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約束
『和哉、例のモノが手に入ったから今夜七時に俺の家に来いよ』
何度も続く長いコール音。一度は無視しようとしたが、あまりのしつこさに渋々通話ボタンを押した俺は、電話に出た事を後悔した。
「慧、俺はもうお前とあんな事したくない。だから……」
「お前に拒否権はねぇよ。必ず来い」
一方的な会話の後、返事を待たずに電話を切られてしまった。……いつもこうだ。俺は毎回あいつの言われるがまま、結局従う羽目になる。
小学校で知り合い、いつの間にか隣にいる仲になり、別々の高校に進学してからも慧とは時々会う関係だ。
優柔不断でぼんやり生きている俺は、自分勝手な慧に歯向かう事が出来ない。
だが、それでも慧と一緒に居るのはそれなりに楽しい時もあるからだ。
平凡な自分とは違い、慧は常に刺激を与えてくれる。彼ほど“生きる喜び“を感じさせてくれる存在は他にいない。
今度こそ不毛な関係を終わらせようと決心したはずなのに、時間通り慧の家に向かう俺がいる。
「慧、俺やっぱり今日は普通に過ごしたいよ」
部屋に招き入れる慧に、思い切って自分の気持ちを告げてみた。けれど彼の表情でその願いが叶わない事を悟ってしまう。
「……和哉、お前も“そのつもり”で来たんだろ? 今更怖じ気つくなよ。醒めるだろうが」
冷たい目を向けられて、つい俯いてしまった。俺は慧と対等じゃない事が明らかだ。
「おい、そんな顔をすんなよ。ちゃんと和哉クンの希望通り花火を見るまで待つよ。ヤルのはその後だ。それまでロマンティックな火遊びを観賞しようぜ」
ギラついた笑みを浮かべて俺の肩に腕を回す。そして『特別なヤツを用意したぜ』と特殊な加工を施されたワンピースとウィッグを押し付けた。
女装は今回が初めてではない。時折、慧は俺に不似合いな格好を強要してくる。恥じらう姿を眺めるのが面白いらしい。
「……似合ってるぜ和哉。さてと、そろそろ時間だ」
俺の唇に赤いリップを乗せて慧が満足そうにうなずく。素朴な目がアイメイクで別人に変わってしまい、これなら女のように見えなくもない。
「人気がなくなる場所までこれを着とけ」
自分のキャップと薄手のパーカーを俺に被せて、そっと手を引く慧。履き慣れないパンプスに気遣う優しさを一応持ち合わせていたようだ。
○
夏祭りの会場から少し離れた山道を歩く。それほど高くはないが、花火を眺めるには知る人ぞ知る隠れスポットだった。
「風が心地良いな」
慧が気持ち良さそうに目を細める。夏の夜は薄暗くなってもむせ返るような暑さだが、山頂まで来ると涼しい風がサワサワと木々を揺らして爽やかだ。
ーーこのまま、穏やかな時間を過ごせたらいいのに。誰もいない、静かな世界で、花火だけを見ていたい。
しかし、この隠れスポットを知るのは俺たちだけじゃなかった。
『あーここ涼しい! ねぇ、ノンタンあそこなら座って見えるんじゃない?』
『いい場所だろ? アキリンが喜ぶと思って特等席をリサーチしたんだぜ』
騒がしいカップルがやって来て、木陰にいる俺たちには気付かずに盛り上がっている。慧は舌打ちして、見るからに不機嫌になった。
ようやく花火が打ち上がった。空に大輪の花を咲かせる度にキャーキャー騒ぐバカップルたち。既に何組かの恋人たちが思い思いに座り、鮮やかな火の玉を見上げている。
夜空の絶景も佳境に入った頃、カップルたちが妙に艶やかな吐息を漏らし始めた。花火観賞だけが目的じゃないのは、俺たちと同じらしい。
『……和哉……そろそろ俺らも愉しもうぜ』
仄暗い欲望をちらつかせた目で、俺に被せたパーカーを剥ぎ取る慧。もう、彼を止める事は出来そうにない。
赤いリップを乗せた唇を、指の腹でなぞりニタリと笑う慧が『俺を喜ばせてくれよ』とプレッシャーを掛けてくる。
付近から聞こえてくる喘ぎ声に、俺も我慢出来なくなってしまった。
「「あぁぁぁぁあ"ァァあ"あぁぁぁぁア"」」
長い髪を振り乱し、カップルの元へ突進する俺。
「うわぁ!!」
「いやぁぁ!」
血みどろのワンピースを着た不気味な女に、カップルたちは悲鳴を上げて逃げて行く。
ラブラブな空気だったはずが、彼女を置いて駆け下りる彼氏。この後、修羅場が起きるだろう。
「「ウう"ぅぅうあぁぁぁぁうぅう"」」
慧も化け物の覆面を被り、他のカップルたちを脅かしに山を走り回る。
甘い秘め事から一転、恐怖の夜を味わう彼らの叫びように、奇妙な快感を得た。
ざまあみろ。ここは神聖な山だぜ。不埒な目的で入山した奴はバチが当たるんだよ!
完全に慧と思考が同化した俺は、カップルを破局させる事に心血を注いだ。
我らは穢れなき童子。快楽に溺れる者共よ、散れ! と、中二病全開で暴れる高一男子の俺ら。
しかし、そんな行為がカップル全員に通用するはずもなく。慧は強面の男に捕まり俺に助けを求めた。
「和哉ァ! 俺を置いて行くな! 逝く時は一緒だと約束しただろ!」
そんな約束はしてないぞ慧。
奴を片手で持ち上げる大柄な男と目が合う俺。一瞬で肝が冷え、慧の無謀な計画に加担した事を悔やんだ。
逃げるなら今しかない。これで慧との関係が壊れても、むしろ平和になる。慧の意味不明な要求に応えたせいでどれだけ恥をかいたことか。
「裏切るなよ和哉……! お前は俺の親友だろ?」
もう、終わりにしよう。刺激よりも俺は、安全に生きたい。
「お前だけが……俺の、ただ一人の理解者なのに」
ごめん慧。“第5回バカップル共を別れさせようぜ作戦”にはもう飽きたんだよ。
「……裏切るならちゃんと逃げ切れよ。今まで楽しかった。最後まで俺のワガママに付き合ってくれてサンキューな」
しょぼくれた顔で力なく微笑むサトシ。卑怯で意地汚くて自分勝手で強引なくせに、こういうところが憎めない。
俺は無駄だとわかっていながら、強面の男に突撃し、ボコボコにやられた。
『……花火もいいけど、ここから見える星空も悪くないよな』
二人一緒に入院する事になった俺たちは、大部屋の天井を見つめていた。俺は窓際で慧はその隣。当然外が見えるはずもなく、ボコられた衝撃で別の何かが見えてる慧。
「二度とこんな酷い目に遭いたくないよ。次は絶対やらないからな!」
「和哉はいつもそう言うけど、最終的にめっちゃノリノリになるだろ? 今度は違う方法でカップルの邪魔をしようぜ!」
「バカ! 一人でやれ! 最悪の夜だよこれ。普通に花火見るだけで良かったのに」
「そんなもん、大人になればいくらでも出来るよ。今しか出来ない事をやるのが最高の思い出作りだぜ?」
馬鹿馬鹿しい作戦だったくせに、妙にそれっぽい事を言って俺を丸め込む。
「だったらお前も女装しろよ! 俺だけ変なワンピース着て運ばれて医者にめちゃくちゃ不審がられたわ!」
「俺は色黒だから似合わねぇんだよ。白くて華奢なお前だから出来るんだ。てか、普通に可愛かったしな。次は胸も盛ってみるか?」
「キモっ。そういう目的で俺に着せたらガチで縁切るからな!」
「バーカ。さすがにカピバラ顔の男に興奮しねぇよ」
カラカラと笑う慧に俺はムッとして背を向けて寝た。慧は俺に彼女がいないと思ってるけど、俺、実は…………。
“親友”に隠し事をしたまま、俺は病室の網戸にへばりつくバッタを眺めた。
完
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