夕餉

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「聞いたことのない諺ですね」 「あたしの街じゃ有名だよ。覚えておきな」  セトはシウたちのテーブルへ一皿余分にスープを置き、厨房に引っ込んでいった。老女の恨みを買ったことを他所に、ジンは二皿分を難なく平らげる。シウは料理を全て片付けた後で席を立った。一人になりたい気分だ。幸い、ジンはテーブルに伏せて寝ている。  表玄関のドアベルがカランカランと小気味よく鳴る。ペンションを一歩出ると、街灯りを反転させた海が臨める。  街並みは白くとも、夜になれば色とりどりのネオンが輝く。水平線の薄明かりと湾岸を紫に染める色が入り混じって区別がつかない。  その湾岸道路をヘッドライトが途切れずに行き交う。日中と比べても交通量はさほど変わらないのに、夜の空気は何故か澄んだ感じがする。  シウは隠し持っていた煙草に火を点けた。あの老女のように様になるにはセンスが必要だ。ただ歳をとるだけでは駄目なのだ。現にジンが煙草を吸っていても、シウには彼がぼやけたレンズにしか映らない。際立つには魅力も不可欠だ。  午前中、ビーチ沿いで見かけた少年が鮮明な映像で、且つ頭から離れないのは、魅入られているせいだからか。  シウが煙草の火を靴裏で消したとき、坂道を上ってきた人物と目が合わさった。ペンションの軒灯が届く範囲まで来た男は、よれよれのスーツを羽織った見窄らしい格好である。まともな()()であれば、自信満々に如何わしいものを売りつけられそうだ。男はビジネスシューズの中に溜まった砂を振り落として、また靴を履いた。素足である。 「悪いんだけど君、スーツをクリーニングしてくれるかな。あと、ボクのトランクを持ってきて。着替えが入ってるんだ」  シウを従業員だと決めつけた男は、外にいるにもかかわらず、ジャケットを脱いでシャツの釦をもはずす。 「僕は従業員じゃありません。用があるなら、オーナーを呼んできますから、お待ちください」  スーツに付着していた砂が襟ぐりを通って素肌を流れる。ポールハンガーと同じ扱いを受けたシウは、雑に衣類をひっくるめて男に投げつけた。誰が好き好んで三十代半ばの男の裸体を見たいのだろう。少なくとも、シウの好みではない。大胸筋が発達しすぎている。繊細さのない躰は嫌いだ。  男はまだしつこく喋っていたが、埒が明かないため、シウは一旦ペンションに戻ってセトを呼びに行った。厨房にレイの姿はない。コールドテーブルに寄りかかるセトを見つけたが、見知らぬ男と一緒だった。気配を感じてシウを一瞥したのは、意外にも黒い服を纏った男の方だ。歩道で少年といた人物と格好が似ている。
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