夕餉

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「……お客さんだよ」  セトの下腹部から顔を上げた男は、顔色ひとつ変えずに告げる。セトはいつも無表情な青年だが、この時もシウを淡白な眼差しで捉えただけで落ち着いていた。事を促すセトに対して、男は拒んで立ち上がる。間近に見た男の服装は、袖口や裾にかけて広がるローブのようなものだった。 「ノア、もう行くのか」 「ショウネンが困ってるじゃないか。最後までは付き合えないよ」 「なら、彼に頼むまでさ。手伝いが好きみたいだから」 「物好きだな」 「冗談だよ」  男はシウの脇を擦り抜け厨房を出る。廊下を表玄関のほうへ向かったようだったが、シウが確認した時には黒服の姿はなかった。服を整えたセトは、俯き加減に視線を寄越して言葉を待っている。それに漸く気付いたシウは、表にいる宿泊客のことを彼に伝えた。 「ああ、きっと四号室のお客さんだ。リースはまだ、あの客室で給仕しているんだろう。彼女に内線をかけて、トランクを持ってこさせよう」  セトはフロントに行きかけ、なぜか廊下を戻ってきた。厨房の出入口で煙草をふかすシウに、「忘れていた」と耳打ちする。 「君のために、裏口の扉を開けておこう。深夜になったら、好きに使うといい」 「……なぜです?」 「バカンスに訪れた君の顔が、物足りなそうだから。遊ぶなら、深夜に限る」 「……ありがとう」  去り際、セトの爪先が頸を突いた。痕をつけたのは、どうも彼らしい。再度フロントへ行く後ろ姿を見送りながら、今夜の相手はセトでも構わないのにとシウは思う。手伝えと言われたら、従うつもりだった。今夜は喉が潤せれば、それでいいのだ。  シウは味気ない煙草を指に挟んだまま、自身もフロントへ向かった。玄関ポーチを窺うと、セトの背中越しに男のくどくどとした声がまだ聞こえてくる。つまり、彼の好みでもないのだろう。  そこへ、階段を降りてきたリースと鉢合わせた。彼女は片手にコーヒーカップを載せたトレイ、もう一方にあの男の物と思われるスーツケースを握っている。面倒事を押しつけられるかと思いきや、怠惰な様子で重たげに唇を動かした。 「……悪いけど、トレイを厨房に返してくれない」 「ああ、……わかった」  リースは持っていたトレイをシウに手渡す。ワンピースの片紐がずれ、日に焼けていない部分が露になっていた。給仕の意味を理解したシウは、それ以上何も訊かず、スタンド灰皿に煙草を押しつけた。 「癖者揃いだな、この宿は」  コーヒーカップに、ブラウンの口紅が付着している。頼まれた通り、トレイを流し台に返したシウは一旦部屋に戻って休むことにした。
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