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10 諭す
王宮から北東の方向、聖なる山の中腹、シャンタル宮よりはやや低いが、王宮の敷地では一番上の位置にある「冬の宮」、そのある塔の一室に前国王は軟禁されていた。
塔と言っても、そもそもが一線を退いた王族が優雅に余生を過ごすための建物の一部である。「冬の宮」は王宮と同じぐらい設備も整い、温暖な王都にあっては夏の暑さからその身を遠ざける避暑地のような位置にある。わざわざ冬という名をつけているのも夏でも心地よく過ごせるという意味合いが強かったりもする。
引退した王族だけではなく、現役の王族たちも訪ねてきて尊属たちと休暇の一時を過ごしたり、一般の民たちからすると「実家」的宮殿、それが「冬の宮」である。
「前国王」は当然のことながら、不愉快な気持ちで塔の窓から王宮を睨みつけ続けていた。
部屋の中にいるのは正室たる皇后あらため「皇太后」と、順送りに「太皇太后」となった前国王の母だ。
「いつまでそうして外を睨んでいるつもりですか?」
太皇太后が息子にそう声をかけた。
70の坂を超えても矍鑠とした老婦人である。
「母上にはこの口惜しさが分からんのでしょうなあ」
前国王が吐き捨てるようにそう答えた。
当然であろう。あと数ヶ月で八年前の雪辱を晴らし、天上の美姫をその腕に掻き抱ける、そう信じていた明るい未来が、あろうことか実の息子の手によって奪われてしまったのだ。
「もう年を考えなさい」
老いた母が情けなさそうにため息をつく。
「母上まで私を老人扱いするのですか!」
「扱いではなく、もう実際にそうだと言っているのですよ」
やんわりと、だがはっきり母が息子に現実を突きつけた。
「母上だってまだまだお元気でそうしてらっしゃるではないですか!」
「ですがわたくしは、自分の子より若い男を側に侍らしたいなどと思ってもいませんからね」
「当然です!」
「おやおや」
太皇太后が呆れたような声を出す。
「なぜおまえはよくてわたくしはだめなのでしょうね?」
「それは母上が父上の正室で、私は国王だからです」
「おまえの父上は色とりどりの花々で後宮を彩ったりなどいたしませんでしたよ」
前国王の父王は、確かにそれほどの数の側室を持ちはしなかったが、それでも数名の側室や、身分などから側室に据えられなくとも特別の存在として後宮や地方の城に置いていた女性はいた。
「父上にだっていたでしょう」
「ええ、ですが、それはわたくしも認めていただけの者、正室の面子を潰さぬ少数精鋭の花だけです。ましてや女神を手折ろうなど、考えもされなかった」
「それは当時のマユリアがどなたも普通の方だったのと、大叔母上だったからでしょう」
そうなのだ。
今、この「冬の宮」の最長老である元国王の姉が元シャンタルであった。
次代の指名はその出身の貴賤を一切問わない。神たる身から見れば王族も市井の最も貧しい者も同じ人にすぎないのだ。
「もしも父上が私と同じ立場なら、やはりマユリアをお望みになったと思いますよ。現に天に唾する我が愚息も生意気にもそう望みましたからな!」
「あれならばまだ年頃も合っておるし、おまえが望むよりは普通のことのように思いますけどね」
太皇太后にしても、国王がマユリアを望むことに対してどうと言っているわけではない。
国王はシャンタルに次いで尊い身、女神マユリアと同列のこの国の人としては一番上位の存在だ。神と等しい、人としての最高位の者が何を望もうと許されぬということはない。
だからこそ、咲き溢れる花園を苦々しく思おうとも、表立って意見したりすることもなかったのだ。
「ですから八年前には何も申しませんでした。けれど、あれから年月を経て、おまえも老境に入るという年齢になったのです。それを理解せねば」
「母上様のおっしゃる通りです」
正室の皇太后も義母の意見に同意する。
「おまえもあいつに加担したのだったな」
前国王は正室たる妻に憎しみの目を向ける。
「母上様にご相談の上でそうしたのです」
皇太后は後ろ盾がいる強みできっぱりと言う。
「わたくしも八年前には何も申しませんでした。それは国王たるあなたのお考えに異議を唱えることなど思いもしなかったからです。ですが、天はあなたの手に女神を渡すことを良しとはなさらなかった。その事実をよくお考えください」
母と妻、二人で前国王に言葉を尽くし、残りの人生はここで静かに暮らすようにと諭しているのだが、前国王は一切受け入れようとはしない。
「おまえの花園の者たちは新国王と相談して、各々その望む場所に置くことにしました」
「新国王ですと!」
前国王が血走った目を母に向ける。
「ええ、まだ即位の礼は済ませておりませんが、あれはもう立派な現国王です。そのことを受け入れなさい」
「受け入れられるものですか!」
前国王はガタンと音を立てて立ち上がった。
「きっと取り戻してみせます! 玉座も、そして女神も!」
ここに来て以来ずっと、何度も何度も同じ会話を繰り返している。
一線を退き、穏やかな日を過ごしたいと願う元皇后二人が、互いに視線を合わせ小さく横に首を振った。
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