3人が本棚に入れています
本棚に追加
11 伝わる
しばらくそうしてこのところのお約束のやり取りを続けていたが、いつまで続けても平行線とばかりに二人の元皇后は引き上げ、前国王一人が部屋に残った。
明るかった塔の外が次第に赤みを帯びてきて、秋の陽が急いで少し下に見える王宮の影に落ちてゆく。
ほんの10日ほど前には自分はあの建物の、いやこの国の頂点に立っていた。
そう思うと沈む陽をぶつけてあの建物をきれいさっぱり燃やし尽くしてやりたい、そんな思いに駆り立てられた。
静かに扉が叩かれたがこの部屋の今の主は返事をしない。
「失礼いたします」
「冬の宮」付きの王宮侍女が食事のワゴンを運んできた。
「お夕食でございます」
主は振り向きもしなければ返事もしない。
侍女はカラカラと音を立ててワゴンをテーブルの横に付けると、静かに食事を並べ終えた。
「本日のパンは特別仕上がりが良いとのことです。ぜひともお召し上がりください。もちろん他の物もすべて料理長が特別心を込めて国王陛下のためにと調理したものではございますが、特にパンはぜひとも召し上がっていただきたいとのことでした」
そう言って頭を下げて部屋から出ていった。
侍女を完全に無視していた前国王だが、ふと違和感を感じた。
(国王陛下、だと?)
この塔に連れて来られて以来、自分をその呼び名で呼ぶ者はいなかった。
どいつもこいつもわざわざ「前」と付けて「前王陛下」と呼んでいたのだ。
だが今の侍女は……
前国王は今の言葉に何か含むものを感じ、テーブルに近づくと並べられた夕餉の数々を見下ろした。
どれも見事な料理であった。だがやはり王宮の物より色褪せて見える。
気持ちの問題だけではなく、ここへ来てから実際に「年寄り用」にあっさりと品数も少ない食卓とされていた。
王宮にいる頃は、有り余るほどの料理をずらっと並べ、そこから好きな物、その時食べたい物だけを食べたいだけ食べていたのに。
そのこと一つ取っても前国王にはテーブルの上を全部薙ぎ払いたいぐらいの腹立たしさであったのだ。
前国王は椅子に静かに座ると、ここに来て以来初めて、ゆっくりと並べられた食事を見た。
そしてナプキンを敷いた籐籠に入れられたパンに手を伸ばす。
籠に入ったパンは5つ。
それでも本来なら一人分には多いのだが、何しろ今までは何種類ものパンがいくつもの籠、皿などに盛り付けられ、気が向いた物を取って食べればよかった。その気になれば食べ尽くせるだけの5つしか盛り付けられていないパン籠など、屈辱の印のようなものだ。
それでも手に取ったパンを静かに割ってみる。
何もない。
もう一つを割る。
何もない。
そして三つ目を割る。
中には小さく畳んだ紙が入っていた。
前国王はそれを震える手で広げてみた。
『必ずお助け申し上げます』
ただ一言、そう書かれていた。
一体どこの誰がどういう経路でこの手紙を届けてきたものなのか。
そして今の侍女は自分の味方なのか?
暮れゆく部屋の中で食事にも手を付けず、元国王はしばらく手のひらぐらいの小さな紙を見つめていたが、もしも誰かが入ってきて見られてはまずいと気がついた。
部屋を見渡すとランプの一つに火が入っていた。
もしかするとさっきの侍女が火を入れて行ったのかも知れない。
ランプに近づき紙に火を点けた。
紙はすぐに燃え上がり、一文字も残さず燃え尽きた。
前国王は少しばかり火傷をした指先をじっと見つめ、こんな些細な傷、自分の自尊心に深く深く穿たれた傷から見れば比べる価値すらない、そう思う。
そうしてテーブルに戻ると、パンを中心に食事をとった。
食べもしないパンだけが割られていたらまずいだろうと思ったからだ。
そして今は食事が久しぶりに美味かった。
ここに来てからは全く食欲を感じず、空腹を満たすためにいやいや流し込むように少しばかり食べてはいたが、今は久しぶりに食事を楽しむことができた。
そうしてしばらくするとまた一人の侍女が食卓を片付けにやってきた。
カラカラとワゴンを押して入ってくると、頭を下げてから黙って食卓の上を片付ける。
この侍女は先程食事を持ってきた侍女なのだろうか。
前国王は侍女を完全に無視して外を見続けていたのでよく分からなかった。
いや、そうではなくとも、王たる者がいちいち侍女の顔など覚えているはずがない。だからあえて片付けている侍女のことも無視をしていた。
「お口に合いましたでしょうか」
ふいに侍女にそう話しかけられる。
常ならばまともに返事などしていなかっただろうが、さっきのことがある。
前国王はやっと侍女をまともに見た。
見たところ年齢は40代ぐらいか。あまり器量はいいとは言えない。少なくとも若い時であったとしても、自分が食指を動かす女ではない、そう思った。
「料理長から」
侍女は前国王の反応を気にせずに言葉を続ける。
「お気にいっていただけたのなら光栄です、との伝言を預かっております」
やはりこの侍女だ。
あのパンの中に伝言を入れたのか、入っているのを知っていただけかは分からないが、分かっていて届けたのだ。
「ああ、美味であったと伝えてくれ」
「分かりました」
侍女はそう言って頭を下げると、食器と食べ残しが乗ったワゴンを押して部屋から出ていった。
最初のコメントを投稿しよう!