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カランと、音を立てたグラスの氷を漫然と見つめる。するとカウンターの向こうから新たな水を継ぎ足され、こだまは顔を上げた。
「あ、ありがとうございます」
「いーえ」
恭弥は柔らかく微笑むと、厨房へと体を向ける。馴染んだ光景に、力んでいた体が僅かに弛緩した。
先日、和樹に話がしたいと連絡を入れた。加えて家ではなく外で。自宅で話をしようと思うと、この前同様になし崩しにされる危険があるのでそれは避けたかった。
和樹から文句はあったが、意外にも了承はしてくれた。聞く耳を持たれないことも想定していただけに少し拍子抜けする。以前会った時といい、なんだか最近の和樹は様子がおかしかった。
話し合いの場所として恭弥の店を選んだのは文屋だった。提示された例の条件のひとつだ。
適した場所が見つからずにいたのは事実だが、恭弥に迷惑をかけてしまうことは避けたかった。しかし彼からは『あいつから面倒ごとに巻き込まれるのなんてしょっちゅうだから』とすぐに了承されてしまい今に至る。
今日で、終わらせる。
ずるずると続いてしまった和樹との関係を、すべて。
その時店の引き戸がカラカラと開く。見れば仕事帰りだろうスーツ姿の和樹がいた。店内には客はいない。閉店後、誰もいなくなったところを使わせてもらっていた。
「仕事、大丈夫だった…?」
「…あぁ」
ちらりと和樹が厨房の恭弥を見遣る。彼はこちらに背を向け、閉店後の厨房の掃除を始めていた。
恭弥はあくまで部外者としてこちらに関与することはない。そのことは和樹にも伝えてあった。
「わ、わざわざ時間取らせて悪かった。でももう一度、ちゃんと話を…」
「その件ならあの時返答したはずだが」
──お前みたいのには無理だよ、こだま。
──俺に打たれて興奮してるような変態が、今更真っ当な恋愛なんてできるかよ。
──お前みたいなじゃじゃ馬に付き合えるのなんて俺ぐらいだろ。
散々に言い負かされて、あの時は何も言うことができなかった。
自分と文屋とでは不釣り合いだ。そう思っていたから。
文屋のことを遠い存在だと思い込んで、彼の抱え込んだものに気付こうともしていなかった。
でも初めから、文屋さんは歩み寄ってくれていたのだ。あの河川敷で出会った時から。
距離をあけていたのはこちらで、勝手に引け目を感じて、彼と言う人間を憶測で作り上げて…。
和樹との関係を終わらせようと決めたくせに、表面上の御託ばかりを連ねて誤魔化そうとした。
このままじゃ和樹のためにならないだの。俺がいると負担になるだの。本命を見つけるべきだの。
本当はそんなことじゃなかったんだ。
たったひとつだけ。単純な理由だった。
「──俺、好きな人がいるんだ」
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