因縁がある。縁と神護

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

因縁がある。縁と神護

「じんごぉぉー!!神護(じんご)ぉぉッ!!」  鎖に繋がれ、人の名を叫び狂う異形の女は、明確な殺意を撒き散らし、獣のように暴れ狂う。 「じんごーーーッ!!」  吐血しながらも、吐き出す言葉には、怨みの念しか感じられず、肉に喰い込み張り裂けた皮膚の血がボタボタと床を濡らすが、その怒りが収まる事はあり得なかった。 「貴様だけはッ!貴様だけはーーッ!!」  女の端正な顔立ちはひどく歪み、瞳から流す涙には美しさなど、ひとつも感じれない。  醜い化け物から、ただ、止まることのない涙と声が、異様な光景を作り出していた。 「……あー、退屈だ。」  女の近くにいる、男が小さく呟く。  鎖で繋がれ叫ぶ化け物を一切見ることなく、丸斑眼鏡を掛け、古臭く和装した、無気力そうな男は天井を眺める。  その女の慟哭など、どうでも良いと言わんばかりの虚な目は、ボーと虚空を眺め続け、ここには誰もいないと否定するよう一点に固定されていた。 「退屈って…神さん。どーするんすか?この女のせいで計画がグチャじゃねーですか。」  ガタイの良いスーツ姿の若い男が、神護と呼ばれる男に問いかけると、神護はゆっくりとその顔を喋りかけてきた男に合わした。 「?!…じ、神護さん?」    振り向いた神護の目からは涙が流れ、その涙は拭われることなくポタポタと滴り落ちる。  その涙は、憎悪による悔しさ、怒りからくる女の流す涙とは対照的に、絶望的な悲しみを背負い無自覚に垂れ流されていた。 「…あー、涼逸(りょういつ)、教えてくれ。…僕は、どこで間違ったんだろう。…間違えた。あーーー。」  神護は喋りかけてきた男の名を呼ぶと、自分の頭を両腕で抱え込み、ブルブルと否定するよう横に降り続ける。そして、自分の過ちを悔いるよう、うわ言のように間違えたと繰り返す。 「貴様だけはッ!必ず地獄に堕としてやるぅッ!!」  尚も女の叫びは途絶える事はなく、殺風景な部屋に反響する。  恨みつらみの言葉は続くが、その殺意の対象に、その悲痛な叫びは届く事はなかった。  叫ぶ女、絶望する男、阿鼻叫喚の異様な風景に、耐えることができなくなった涼逸は女に顔を歪め近づくと、硬く握り込んだ拳を叩き込んだ。 「がふッ?!あぁぁああ…!!」  涼逸と呼ばれた男の拳が、縛り付けられた女の腹部に深々と突き刺さると、女は叫んだ後に血反吐を吐き出す。 「少しは黙れよッ!発情期の猫かよ、お前は!…うるせー、うるせー、夢に出そうだ。」  涼逸は殴った右手の拳を汚い物でも触ったかのように、ブンブン振った後に、取り出したハンカチで拭き取ると、そのハンカチを床に無造作に捨てる。 「涼ちゃん!ゴミは捨てたらあかんよ!…神ちゃんもやで、シャキッとしー!」  遠くから、別の女の声がする。  涼逸がその声のする部屋の片隅に目を向けると、雨合羽で全身を包み、雨傘を横に向け開き身構える女の姿が見える。  涼逸は、その様子を見て呆れたように頭をボリボリ掻くと、女に視線を合わせ言葉を返した。 「(しき)ちゃんよー。そんな離れた所から言われてもなー…。…せめて、こっち来いよ。」 「嫌やッ!当たり前やろッ!血ぃでもついたら、どないすんの?!責任とってくれるんか?!」 「俺に切れられてもー…、あーもう、めんどくせーな、めんどくせー。」  識と呼ばれた少女は、涼逸の言葉に即答すると我関せずと少女らしく頬を膨らませ、フンっと言いそっぽを向く。  涼逸は識と言う少女の態度に呆れた様に首を垂らすしか出来なかった。 「…なんで、なんで、…なんで、(そら)を殺したんじゃ、神護。…儂が憎いなら、儂を殺せば良かったのに…辱めでも、苦痛でも、儂に責め苦をすれば良かったのに…。何でじゃ!!神護ッ!!」  鎖に繋がれた女の声は、悔しさに震えると、少しか細くなった声が弱々しく自分を責める。  しかし、再び瞳に宿る覇気が、最後の質問をせんと語尾を上げ、神護に問いかける。  その様子に神護は、ようやく諦めた様に視線を現実に戻すと、女に向けボソリと呟く。 「…だよー、(よすが)。」 「…は?」 「手違いなんだよ、縁。…ごめんよー。」  神護は鎖に繋がれた女の名を呼ぶと、悪びれた様子もなく間違いだと軽く告げた。  そこに罪悪感など微塵も無く、ただ繰り返された言葉には意味もない様に聞こえる。  神護の無自覚に呟いた悪意が、縁に胸を抉り取ると、その形相はこの世のものではないかの様に歪み、周囲に怒気を放ち大気を震撼させた。 「神護ぉぁッ!!!!貴様はッ!貴様だけはッ!地獄に堕ちろぉ!!」  縁の繰り返される悲痛な叫びと荒々しくも最後の力で喉笛を噛みきろうと飛びかかる様な動作に、神護は再び目から涙を流しゆっくりと縁に近づく。 「神護、刻んでおけ!儂は、因縁がある限り、必ず舞い戻り!貴様を地獄に堕とす!!」  縁の叫びは尚も止まらず、己と神護に対しての戒めの様に、決意を言葉として吐き出し続ける。    だが、次の瞬間、神護は縁の肩に両手で触れ、顔を間近まで持っていく。  そして、その堪え切れなくなった両目から一気に決壊させた涙を溢れだすと、泣き崩れる子供の様に顔を歪めた。 「地獄なら、君が堕としたじゃないかー!僕が、…君の力を見誤ったばかりに…」  そう呟き絶望するよう項垂れた神護は、力なく膝を落とし、虚な目を床に向ける。  その野心にも似た欲望を砕かれ、夢が終えた様子は、鎖に繋がれ身動きのできない、ましてや、もう幾許の命もない様な傷を負った女に対して侮辱の様にこびりつく。  どっちが絶望的かわからないと錯覚させる程に、神護のその態度は酷く馬鹿馬鹿しく見えた。 「…あー、あんまりだぁー。あんまりだよ!!縁!」  床を見つめ、それでも、神護はうわ言を叫び続ける。  その異様な光景に、神護の仲間であろう涼逸と識でさえ言葉を失い、彼が持つ異常性を再認識させると身体が強張るように震え出した。 「…やべーな。…神さん。」 「あかん。神ちゃん、トリップしてはる。……ち、近寄らんとこ。」  2人は息を合した様に同時につぶやくと、涼逸は神護からそそくさと距離をとり、識はその場にしゃがみ込むと雨傘で全身を隠す様に覆った。  泣き崩れていた神護だが、暫くしてのそりと柳を揺らす様立ち上がると、縁に顔を合わした。  その顔は酷く歪み切り、異形の形を持つ縁にすら不気味に映った程で、この世のものとは思えない醜悪極まりない表情で怒気を放つ。 「…君のせいで、…君のせいで!!僕が今から生きる世界こそが地獄なんだからァァッ!!!!」  神護の叫びと共に、足元の床からヌルリと黒い影が縁の喉笛に絡みつくように巻き付くと、徐々に形を成していく床の影達は、複数の赤き眼の黒き烏となり、無限に増殖するよう生まれ続けると宵闇に向かい鳴き声を上げた。 「やっべわ!暁烏(あけがらす)かよ。…識ちゃん!!」  涼逸が識の方を振り向くと、さっきまで雨傘で覆っていた彼女の姿はなく、バタンと扉の閉まる音だけが涼逸の耳に響く。 「…早過ぎだろ、あいつー。…って、南無三!!」  涼逸も識のあまりに過敏な行動の早さに、呆れたように声を漏らすが、自身に起こる身の危険を感じると、拝むように言葉を吐き捨て、その場から離れる。 「見境ねーから、嫌なんだよ。神さんは…。あー嫌だ。」    最後にそう呟く涼逸は、血の気が引いたかのような顔を見せると、若干嫌悪にも似た視線をぶつけた後に、矢継ぎ早に扉を開けると部屋を出ていった。  尚も不気味に数を増やす烏の群れに、あげる鳴き声は重なり狂い、不協和音のように暗室に響き渡る。湧き出た汚泥のように歪む景色を蹂躙していく烏の群れは、縁に少なからずこの世への未練を思い起こさせた程だった。 「…縁。………さよならだね。…喰え。」 「神護ッおおぉー!!」  縁を見る神護の目の表層が濁りきると、歪んだ口角は酷く引きつり、吐き捨てらた言葉の無情さが、縁を蝕む。  最後に怒り狂った声を上げた縁だが、神護の名を呼ぶその声は、無様にも思えるように、あげた烏の音色に掻き消された。 「「カァー」」「「カァー。」」「「ガアッ」」「「ガア‘ァ‘ァ‘」」 「…(そら)…すまん。」  縁がこの世への生を諦めた瞬間であり、俯き吐き出された友人への謝罪の言葉も、短い言葉にもかかわらず、一際絶望が滲みでるようだった。  最後を告げる縁の声を待っていたように、一斉に鳴き声を終えた烏の尖った嘴は、餌に食らいつくよう縁の片眼に突き刺さると、奇妙な音を立て眼球を抉り出していく。黒き群れに埋め尽くされた縁の身体も、捕らえられる前についたであろう傷口を、嘲笑い拡げるように侵していく。 「がっぁ…ぁ…」 「交情の夢破る、別れの歌かー。………明け方に鳴く烏は、切ないね…縁。」    眼球が落ちようが、傷口が抉れようが、もはや事切れたかのように、縁があげる声は、もはや反射的に漏れた細かい単音ばかりで、最後まで苦痛を与えながら死に絶える様は、無情と呼ぶに相応しい。  神護の繰り出した別れの詩も、その歪な想いも、もはや誰にも届く事は無かった。 「君を殺しても、ちっとも気が晴れないよ、縁。…僕の夢なのに、なぜ他人が邪魔をするんだろう。…わからないし、酷く疲れた…。」  もはや縁を見ていない、その空虚な目は、天井の淡い光を眺めながら、烏の人を蝕む音だけを聞く。 「…い…つか…殺、して…(そら)。」 「………。」  縁の口から出た最後の言葉に、神護は振り返る素振りを見せるが、垂れ下がった目と口が物語るよう、酷く疲れた様子で、何も言わずにその場を後にする。  神護の足取りは重く、項垂れたまま繰り出す、その一歩一歩は枷のようで、明日に絶望するその悲哀に満ちた表情は、母親と早くに死別した子供のようにも見えた。 「…ああ。いつか、殺してくれよ。…助命(ぜみょう) (よすが)。…そっちの方が、愉しいとすら思えてきたよ。」  神護の去り際に言った、真顔で呟いた本音は、誰にも理解されぬまま、暗室に押し込まれるよう篭もりきると、バタンと扉の閉まる音だけが静かに響いたのだった。 ーーーーーーーーー10年後ーーーーーーーーー  それから10年の月日が何事もなく流れた。  何かは起きていたのかもしれない。  だけど僕が知るのは、これからだった。  僕の名前は、斑鳩(いかるが) (たより)。  凄く普通な高校2年生だ。  
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!