《序章》

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《序章》

 二〇✕〇年五月──、現代の文豪と呼ばれた偉大な作家が亡くなった。  その人の名前は、(しろ)(くら)(たくみ)。  発表した作品は十二篇と少ないけれど、いずれも絶大な支持を受け、どの作品が一番の傑作であるかという議論においては、見事なぐらいに意見が分かれている。  城倉先生は(かたく)なに映像化を拒んだ。私はそれに賛同する。先生の作品は、人間の心に鋭く切り込み、潜在的な意識を(あぶ)り出すものばかりだ。人気俳優を使っても、名監督と呼ばれる人が手掛けても、彼の作品に漂う闇と深さを表現しきれはしないだろう。小説であるから良いのだ。素晴らしい比喩や表現方法だから良いのだ。映像化は作品を汚すような気すらする。映画等二時間足らずの尺では、中途半端な仕上がりになってしまう可能性が高い。  私が城倉先生の作品を知ったのは、高校二年生のときだった。初めて付き合った彼氏が先生のファンだったのだ。文学音痴な私は、城倉巧という名前を聞いたことはあっても、本を手に取ろうとは思わなかった。でも、彼氏が熱く語る内容に強い興味を持った。そして、生まれて初めてハードカバーの本を買い、恐る恐ると言った感じにページを開いた。  一行目から二行目へ。二行目から三行目へ。もうそれだけで心を掴まれていた。どんな物語が待っているんだろう、なんて軽い気持ちはすぐに吹き飛んだ。わずか十行読んだだけで、私は本の世界の中にどっぷりと浸り込んでいた。  序章から第一章、第一章から第二章……。物語のヒロインは、私の分身のようだった。日常感じているつらさや、どうにもならない複雑な感情を、文字だけで的確に言い当てられている気がした。会ったこともない人なのに、私のことを何も知らないのに、城倉先生は私自身を描いている。感情移入ではなかった。たとえば心療内科の先生に理解してもらえたときのような涙がほろほろと溢れ出た。それでもページをめくる手が止まらない。いつしか私は、現実から遠く離れ、天国と地獄の境界線に立っていた。  小説の中で、脆く、切なく、しかし身体が燃えるような恋をした。儚く、苦しく、しかし浮き上がるような経験をした。文字の羅列に感じたのは、暗い躍動だった。まさに人間の内面の忠実な描写だった。何度感嘆しただろう。何度嗚咽しただろう。私は人生で初めて死を意識し、人生で初めて生への執着をもった。胸の内側に、城倉巧という堅牢な城が立ち、そこで受ける様々な施しに身を委ねた。  物語を読み終えたのち、ヒロインが味わった喜びと悲しみが走馬灯のように襲いかかってきた。私はベッドに倒れ込み、結局その夜は、一睡もできなかった。
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