天の川の一滴(ひとしずく)

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(……あと何回、こうやって蓮と会えんだろ)  (しゅう)はそんなことをぼんやり考えながら、巨大なコンクリート造りの階段を上っていた。  山に囲まれたこの田舎町で海を見るには、高い高い壁のような防波堤の階段を登らなければならない。一段の横幅も奥行きも大きな階段は、柊の体感では少なくとも三十段はある。  幼なじみの(れん)は、生まれつき明るい茶色をした髪から滴る汗をぬぐい、ハアハアと声を出しながら、柊の一歩後ろを上っている。  最後の一段を同時に上りきり、防波堤の上に着くと、二人は同時に「あー!」と意味のない声を上げた。 「この、階段、いつまで経っても、慣れねえ」 「お前が体力ないだけだろ」  息を切らせる蓮は「うるせえ」と言いながら、柊の腰を軽く足蹴りした。階段を登った後の蓮から繰り出されるキックは、子どもの全力のそれよりも威力がない。かろうじて感じた痛みの原因は、サンダルの留め具の部分だ。  柊は「足グセわりい」と笑い、ティーシャツの裾で汗をぬぐった。 「でも上ったかいはあるな。天の川、よく見えるぞ」  柊がそう言い、二人は空を見上げた。  三年ぶりに晴れた七夕の夜。  胡椒のように細かい光の粒が、吸い込まれそうな黒色の中に光る帯を描いている。  蓮は「おお、きれい」と呟き、口をうっすらと開けたまま、望遠鏡を覗き込んだ。  これから四年、蓮は飽きもせずにこうして夜空を見るのだ、柊のいない場所で。 「……お前も人ばっか見てないで、空見ろよ。来た意味ねえだろ」  望遠鏡に目をつけたままの蓮にそう言われ、柊は驚いた。カアッと熱くなった耳を触ると、暑さに耐えかねて刈り上げた襟足がチクッと当たった。 「……見てるよ」 「嘘つけ。視線がうるせえ」  悪態を付きながらも、蓮は空から目をそらさない。 「お前と違って星の知識ねえから、景色の一つとして楽しめばいいんだよ、俺は」 「だから教えてやるって言ったろ」 「知識がなくても夜空は美しいって言ったの、蓮だろ」  この言葉で、ようやく蓮は柊の方を見た。  いたずらっぽい笑顔を浮かべている。 「そういやそうだったな」  その笑顔に、柊の冷たくなっていた胸にほわっと温もりが宿った。  くすぐったいほどの温もりに気恥ずかしくなった柊は、くるりと体を翻し、話し出した。 「あー、そういや俺たち、子どもの頃から口酸っぱく『夜の海には近寄るな』って言われてるけど、今日くらいは入っても……」  おかしなところで言葉を切った柊に、蓮は首を傾げた。 「おい。どうした、柊」  立ち尽くす柊の隣に立ち、防波堤の下を見下ろした蓮は、「うわあ!」と無邪気な声を上げた。  浜辺に向かって伸びる防波堤の階段の一部が、白んだ青色に光っている。  階段の上から下まで光の帯が伸びる光景は、まるで天の川が落ちているようだ。 「すごくね、あれ。何だと思う。ホタルイカとかじゃないよな」 「誰かのイタズラか、アート作品だろ。たぶん、夜光石を上からザーッと落としたんじゃねえかな」  そう話す蓮の目は、夜空を見ている時に似ていた。思わず柊は、吹き出した。 「お前、帯状の光るものなら何でも好きなわけ?」 「はあ? そんなわけあるかよ」  からかわれていることに気がついた蓮は、口元に手を寄せ、赤くなった顔を背けた。その仕草にも、柊の心臓はグッと鷲づかみされたような感覚に襲われた。 「きれいなものが好きなんだよ、俺は。空も、海も、このよくわかんねえ夜光石も」  蓮は柊と目を合わせないまま、海に向かって階段を降り始めた。柊は心臓の辺りをギュッと握りしめ、その後ろをついて行った。  蓮の予想通り、光の帯の正体は、大量の丸い夜光石だった。  柊は夜光石の一つを手に取り、手のひらでコロコロと転がした。泉のような澄んだ色をしているせいか、石は冷たく感じられた。 「おい、作品だったらどうすんだよ」 「ちゃんと元に戻すから」  蓮は肩をすくめ、階段の一番下に座って、砂を触り始めた。  コンクリートの巨大な壁の上に伸びる、人工的な天の川。  限りなく黒に近い空に浮かぶ、本物の星が作る天の川。  夜空と同じ色に染まる飲み込まれそうな程広い海。  サンダルが踏みしめる砂のシャリシャリした感覚。  柔らかい風に乗って、柔らかく岸に寄せる波の音。  潮と汗の匂い。  今というこの瞬間は、柊の心に深く鮮烈に刻み込まれた。  ただしそれは、蓮が隣にいるからだ。 (……そうか。そういうことだったのか)  柊は手の中の冷たい夜光石を温めるように、ギュッと力強く握りしめた。 「なあ、一個くらいならバレなくね?」 「ダメに決まってんだろ。夜光石なんて今どき簡単に買えるんだから、それはやめとけ」  柊は「はいはい」と言いながら、元あった場所に夜光石を戻し、蓮の隣に座った。 「それじゃあ最初のデートは買い物で決まりだな」 「……デート?」 「うん。俺、蓮のこと好きだから、次に出かける時は、それを意識してほしい」  蓮は呆れたような笑いを浮かべた。 「最初のデートで、夜光石買いに行く奴らなんかいねえぞ」  「バカだなあ」と言って、蓮は今度こそ心から笑った。
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