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「許す訳ないだろ⁉︎ごめんで済んだら、警察要らねぇんだよ!!」
1人の男性が、大声で怒鳴っている。店員が平謝りしても、男性の勢いは止まらない。やがて、数人の店員と共に、男性は店の奥へと消えていった。
『許す訳ない』
何度も耳にしたその言葉が、頭の中でリフレインする。その反芻と共に、世界に膜がかかっていった。自分の中に過去の『私』が現れる。全ての音が、声が、視線が、その膜を通して、鋭い刃物となって突き刺さる。
「うわぁ〜……無いわ。ヤバすぎでしょ。」
「もうね、……がね。」
くすくすと笑いながら、ひそひそと話す声が聞こえる。目をそちらに向ければ、楽しげに談笑する女子中学生が2人。
どくんと胸が波打ち、慌てて目を逸らせば、1人の女性が目に入った。黒いワンピースに身を包み、すっと背筋を伸ばし、大股でしゃきしゃきと歩く美女だ。
自分の周りの空気が、一気に5℃くらい冷えた。
心臓が早鐘を打ち、肺から空気を押し出す。世界がぼんやりと色褪せて見えた。
(違う……あれは、『あの人』じゃない。今日、この時間に、こんな所に、いるわけがない。)
必死で呼吸を落ち着けて、再びその女性に目をやれば『あの人』とは全く似ていない。そもそもあんな服、持っていなかった筈だ。
「……ろよ!」
後ろから、今度は2人の男子小学生が、手ぶらで笑いながら通り過ぎて行く。3人分の荷物を持ち、とぼとぼと歩く男子を残して。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
彼女達も、彼らも、あの男子も、違う。会ったことも関わったことも無い、別人だ。だから、あれは違う世界に生きる別人で、あの人は『あの人』とは違う知らない人で、今目の前を通り過ぎて行く人たちは全く関係のない知らない他人で……。
「……気持ち悪」「人としてあり得ない」「何あの姿」「汚い」「触れるな、菌が移る」「超うける」「生まれてこなければよかったのに」「許さない」
「迷惑ばかりかけて」「存在が不快」「貴方のせい」
声が聞こえる。視線が刺さる。怖い。
耳を塞ぎ、目を閉じた。
「貴方が悪いのよ。」
……分かってる。ごめんなさい。
「許さない。絶対に許さない。全部貴方のせい。今、こんなに苦しいのも、やりたかった事ができないのも、全て貴方が悪いの。貴方が生まれてからずっと、全てを無駄にされたの。」
……ごめんなさい。ごめんなさい。
「貴方のせいで、あのいじめられていた男子はずっと苦しむの。」
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
「貴方が泣くなんて許さない。貴方が笑うのも許さない。」
喉が圧迫されて、息が苦しい。頭が痛い。頬が熱い。
「逃げるなんて、許さない。苦しそうな顔をするなんて、許さない。楽になるなんて、許さない。
………だから、お願い。私を殺して。」
差し出された包丁を、言われるままに手に取った。目の前には、死を望む『あの人』。そして、ここにいるのは『私』。……迷いつつ……震える手で、包丁を自分の喉に当て……。
「許さない。」
どこかから聞こえた、今までと違う声に、包丁を持った手を止めた。
「許さない。」
今度は、頭の中で聞こえた。声の主は、きっと『私』だ。許さない……。何をだろう。分からない。『私』を……?それでいい。こんな所に引きこもったまま、何も成さず、何もできずに消えようとしている『私』を『私』は許さない。
それで良い、今は、それで良いや。
包丁を持った手を、喉から離して前を見ると、『あの人』はいつの間にか、消えていた。私は立ち上がり、前を向いて歩き出した。
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