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私はマグカップを持って彼の私物が詰められた箱の前に座った。中からチェック柄のハンドタオルを取り出して割れないように包む。それを箱の一番奥に突っ込んだ。
「あ、洗濯物」
いつの間にか地平に近づいていた太陽。秋の日はつるべ落としってほんとうだな。西日の眩しさに目を細めながら洗濯物を取り込んでいく。両手いっぱいに抱えたシーツからはおひさまの匂いがした。ふぁさりと広げてベッドにかける。四隅をきちんと揃えて丁寧に。そこにふかふかになった掛け布団と枕を、置いた。
今日眠るときにはもう、彼の匂いはしない。
かすかな彼の残り香に泣くことは、もうしない。
洗濯物を畳む。彼の好む畳み方で。Tシャツは最初に縦に半分に折ってから袖を中に入れる。靴下は履き口でまとめるだけ、ワイシャツは一番上と袖口のボタンは留めない……こんなに、こんなに、細かなことまで分かってるのに。どうして、彼の心が冷えていくのは、分からなかったんだろう。
畳み終わった服たちを紙袋に入れて段ボールの横に置いた。
たぶん、これで、全部。
彼に返すものは捨てていいよと言われたものばかりだ。それでもこうして取りに来てくれるのは……私との時間を作ってくれるのは、彼なりの優しさなんだろう。
玄関のベルが鳴った。
時間が、きた。
最後を告げる電子音が胸に深く刺さる。抉られる。頑張って塞いでいた感情の蓋に穴が、空く。ぽっかりと昏い穴。溢れ出す。どす黒い感情が、どくどくと。溢れ出して、体中を覆い尽くしていく。
どうして別れなきゃいけないの?
好きなのに、まだ好きなのに、好きなのに、どうして?……嘘つき。憎い。苦しい。中途半端な優しさなんてやめてよ。私のそばにいてくれないなら、この世からいなくなってくれたらいいのに。そうしたら……全部に諦めがつくのに。腹が立つ。むかつく。嫌い、大嫌い……でも、好き。どうせだめならなにもかも全部壊してやりたい。心変わりなんて許せない。許さない。なんで?なんで?!どうして?詰って、責めて、泣きついて、すがりつきたい。
ねぇ、私がいなくなったら、後悔してくれる?
ピンポンと、また、ベルが鳴る。
今、私が死んだら、あなたは私を忘れずにいてくれる?
ふらふらと、窓に、寄った。
―――晴れの日には、自殺が良く似合う。
カーテンを開ける。
雲ひとつなく広がる群青色。うつくしく澄んだ夜空。まあるい金色の月が輝いて、かすかに煌めく星たちが私を見下ろして…………は、いなかった。
「あめ」
そう。雨が降っていた。涔涔と。絹糸のような雨が、静かに、街を灰色に染めていた。しん、しん、しん。剥き出しになった痛みに、じんわりと、雨が、沁みていく。
私は、雨の日の彼がとても好きだった。
すごく、すごく、大好きだった。
私は玄関に向かった。扉の向こうに、彼が、いる。鈍い銀色のドアノブ。手をかけるとひんやりと、つめたい。
そう。だったんだ。
だいじょうぶ。うん、だいじょうぶ。
涙が溢れないよう、目の奥に力を込めた。目を細めて、口の端を綺麗にあげる。きっと上手な笑顔ができてる、はず。
「いらっしゃい。雨、降ってきちゃったね」
恋を失ったくらいで死ぬなんて、そんなことはしない。
必要、ない。
そんなことしなくても、私の心は、今、この瞬間も、悲鳴をあげて死んでいっているのだから。
ーFin.-
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