1.もう一つの誕生日

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1.もう一つの誕生日

 その日はクミがアヤメに引き取られてから、ちょうど十年が経つ日だった。 「大袈裟なんだよ、誕生日でもあるまいし」  アヤメは淡々とそう言いながら身支度を調えていた。短く切りそろえられた髪の毛もシンプルで動きやすそうな服装も彼女にはよく似合っている。その様子を見ていたクミは、ますます眉を顰め不機嫌さをあらわにした。 「ねえ、おばさんあんまりだわ。私にとっては誕生日と同じくらい――ううん、それ以上に重要な日だもの」 「でもどうしようもないさ、仕事だからね」  鏡越しに見ても変わらない冷静な表情。いつも通りの淡々とした口ぶり。凜としていて格好良く見えるこの姿がクミは大好きなのだが、今はそれが憎らしくて仕方がなかった。じわ、とこみ上げてくるものを感じ、慌てて下を向く。 (分かってない……。おばさんは何も分かっていない。十年間育ててくれたのはおばさんなのに。生みの親は私をのだもの。もう顔も覚えていない。おばさんが拾ってくれたあの日、私は生まれ直したようなもの。私の、もう一つの誕生日。どうして分かってくれないのだろう……)  ぐっとクミは両手を握りしめた。手のひらに詰めが食い込む。その痛さで、子の苦しみを忘れようとするように。その手をちらっとアヤメは見て、玄関へと向かった。 「――ま、仕事を早く終わらせるように頑張ってみるよ」  ぱっと目を大きく開いたクミは、自分が泣きそうになっていたことも忘れ、顔を上げてアヤメを見た。 「期待はしない方が良いだろうけどな」  じゃ、と軽く手を上げてアヤメは出て行った。クミはしばらく呆気にとられたようにその場に立ちすくんでいたが、アヤメの言葉を反芻して、ちらっと口角を上げた。 「なるほど、だからそんなに機嫌が良いのか~」 「そういうこと~」  学校の昼休み。暖炉のそばを勝ち取ったクミは、弁当を食べながら今朝のことを親友のナナに話した。 「でもさ、アヤメさんの言うとおり、あまり期待しない方が良いんじゃないの? アヤメさんのお仕事、とても大変なんでしょう?」  ナナは浮かれるクミを呆れたように眺めながら、美味しそうなおかずを口の中に放り込んだ。 「分かってないわねえ」  クミはビシッとナナに向けて指を指した。空気をパリッと二分するかのように。 「私にとってとても重要な日だって分かってもらえたのがミソなのよ。――今まで馬鹿馬鹿しいって一蹴されていたのに。だからちゃんとお祝いできるかは今は良いの」 「……そっか」  ナナはクミの指を折りながら首をすくめた。 「まあ、分かるよ。私がクミに出会えたか否かが決まった日だからね」  らしくなく、しみじみというナナにクミは思わずニヤニヤした。 「おやおや~? 私が大好きだって言っているように聞こえますけど、ナナさん?」 「そうだよ」  ナナが突然真面目な顔でクミを見つめてきたので、これは茶化してはいけないと感じたクミも神妙な顔つきになってナナに向き合った。 「こんな寒い季節に棄てられた子をアヤメさんが見つけて拾ってくれたから、私はクミと出会えたわけじゃない。私にとってクミは大切な人。私にとっても大切な日だよ」  ここで、ナナはいったん溜息をついた。 「だから、どうせなら私もお祝いしたい。だから、行くけど……」  その言葉にクミはナナの手を取って強く握った。そして満面の笑みと共に首を横に振った。 「ありがとう、でもごめんね。今日はおばさんと二人きりになりたいの。でもそう思ってもらえているなんて本当に嬉しい。私もナナに出会えて良かった。大好きよ」  ナナはナナで少し眉を下げたものの、嬉しそうに微笑み握られた手を引き寄せて、ぎゅうと強くクミを抱き寄せた。 「そう言うと思った。――でも何かしてあげたいな、何かある?」  窓の外では雪がしんしんと降っている。あの時、急に外に放り出されて、寒くて、惨めで、どうしたら良いか分からなかった幼いクミが外にいるかのようだった。 (あの時の自分に言ってあげたい。貴女は大丈夫。大切にしてくれる人に出会えるからって)  鼻の奥がツンとしてくる。それをごまかすかのようにクミはナナを抱きしめ返し、肩に顔をうずめた。 「――じゃあ、そのお弁当にあるお肉、美味しそうだから食べたい」 「え? それは無理。久々に母さんが奮発して買ってきたのよ」 「ちぇっ、ケチだなあ」  二人が笑い出す。もういつもの二人組だった。
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