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僕たちの命日
先生、僕の進路は何でしょうか。この先どう生きたらいいのか解りません。友達は画家になる為に大学に行くようです。
「進路希望調査、お前だけ出してないけど」
放課後までに書くように。と言われたが、放課後になった今、まだ紙は白紙のままだ。もういっそこのまま出してしまおうか。就職、進学、その他の何処にも当てはまらない人間になってしまおうか。……そうなれないから今ここに座っているのだけど。
先生が来た。職員会議が長引いてね。と申し訳なさそうに僕の前に座る。先生の大事な時間を割いてしまう僕の方が申し訳ないです。そう声に出したかったが、何も言えない。
「進路固まったか?」
「いえ。何も」
そう発言すると、呆れているような表情に変わった。手のかかる生徒だと思っているに違いない。実際、自分でもそう思う。まともに学校には行かず、課題も放棄、クラスにも馴染めない。それを改善しようと先生が力を尽くしていたことは知っていた。知っていた上で「もう放っておいてくれ」と言わんばかりに、その過剰な親切心を無視した。
「就職する気は?」
「……働ける気がしません」
「進学は?」
「学校が、嫌いで」
先生が小さくため息を吐いた。見逃さなかった。僕もため息を吐きたいぐらいだ。たかが進路、されど進路。いつかは決めなければならない。
もう夏だ。時間が無い。窓の外で蝉が鳴いている。「生きたい」と鳴いている。いや、「死にたい」かもしれない。そんなどうでもいいことを考える。
「先生がお前ぐらいの年齢の頃はな……」
また始まった。聞いたところで無意味だ。
僕の友達は画家になりたいらしい。そう先生に伝えたところ、馬鹿にされたと笑っていた。それでも美大に進む決心をした。彼女は頭が良く、友達が多く、人望もあった。それ故、『どうせ偏差値の高い大学に行くのだろう』と多少の偏見を抱かれていたことも事実。そう言われる度、嫌な顔一つせずに屈託ない笑顔を振りまいていた。あの笑顔の裏で何を思っていたのか。それは僕にも解らない。
彼女の希望は絵だった。僕の希望は何だろうと考える。勉強は出来ない。絵心も無い。ああ、やはり僕には何も──。
「あ」
声に出てしまった。先生と目が合う。その視線から逃れるようにボールペンを握り、用紙に文字を書いていく。ペンを走らせる音だけが教室に響く。何故か気恥ずかしい。
『卒業後の進路を書いてください』
『進学:
就職:
その他:音楽 』
僕にとっての希望。それは音楽だった。家に引き籠ってギターを弾く毎日を送っている。忘れていた。進学や就職に囚われていた所為で、僕の中から『音楽を続ける』という選択肢が消えていた。そうだ、もう何だって良いじゃないか。僕たちは何者にでもなれるはずだ。しかし、その淡い期待は次の瞬間、見事に打ち砕かれた。
「……本気?」
冗談だとでも思ったのだろう。馬鹿にしているような気持ち悪い目の大人が居た。もう何を言っても馬鹿にされるような気がした。しかし、それでは大人に負けたことになる気がする。生徒の未来を応援するのが先生の役目ではないのか。そう信じていた僕が馬鹿だったのか。
「本気です。音楽は僕を救ってくれました。だから、僕も人を救うような音楽を……」
いや、違う。こんな薄い理由じゃない。ギターを弾いてる時は強くなれる。僕の世界には誰も居ない。誰も居ない。音楽だけが僕を肯定してくれる。だから。
「ギター弾いて、歌ってる時だけ、本当の自分になれて。だから、ずっと続けたいんです。できるなら、死ぬ時まで音楽がそばにあってほしい」
先生にどう思われるかなんて、そんなことはどうでもよかった。ただ知ってほしかった。
「何かそんな奴居たよ。絵を描きたいとか何とかさ」
「……」
「美大に行くんだって聞かないんだよ。そんなとこ行ったってさ、ね?」
思い出した。彼女が言ってた。
「『そんなとこ行ったって金の無駄だ』って言われた。何が分かるんだろうね」
珍しく寂しそうな顔をしていた。よく覚えている。何と言ってあげたらいいか判らなかったから、ただ隣で話を聞いていた。言葉が出てこないから、ギターを弾いた。彼女は、いつも持ち歩いているスケッチブックに絵を描いていた。言葉など要らなかった。音楽と絵が僕たちを繋いでいた。
「……学校に行きたいとは思わないですけど、しっかり学びたいことが決まっていて、それを行動に移そうとしていることの何が駄目なんですか?」
「そういう話じゃなくてね」
口を開けば、もう止まらなかった。散弾銃のように言葉が出てくる。
「世間の思う“普通”から外れることの何がいけないんですか?」
「何故大人が子供の未来を閉ざすようなことを言うんですか?」
「……何故あの子が死ななくてはいけなかったんでしょう」
突如発せられた“死”という言葉に顔を曇らせた。何だ、自覚してるのか。面白くない。手を震わせ、額に汗まで浮かばせている。動揺していることは一目瞭然だった。口を金魚の如く開けたり閉めたりしている。面白い。
「そんな顔しないでください。別に謝罪の言葉が欲しいわけでもないんです」
「……先生は悪くない。全部あいつが」
「全部あいつが悪い。そう言いたいんですか?」
「だってさ、あれはあいつが勝手にやったことじゃん」
「『お前、絵を描いたところで何になるんだよ』」
「え?」
彼女の言葉を思い出していく。鮮明に蘇る。
「『頭良いんだから上位の大学行ったらいいのに』」
「『親に悪いと思わないのか』」
「『美術なんて意味ない』」
やめろよ。と立ち上がる。その勢いで椅子が倒れる。もう黙れ、忘れろ。終わったんだよ。その声は情けなく震えていた。ここまで言っておいて、結局僕が何をしたかったのかどうでも良くなってしまった。進路なんてものも無意味。
この男に復讐したかった。自覚させたかった。そう考えていた時期も確かにあった。しかし、それを達成してしまった今、もう全てどうでもいい。これからの将来も、親も、ギターも。
用紙を手に取る。躊躇することなく破いていく。次第に『音楽』の文字も消えてしまった。
「まだ解っていないようなので、教えてあげますね」
用紙の欠片たちを男の頭上に持っていく。
「お前が殺したんだよ」
手を離す。ひらひらと欠片たちが舞う様子は綺麗だった。
・
教室を飛び出し、階段を駆け上がっていく。僕にはまだやることがある。四階まで辿り着く。そこに行くには、もう一度階段を上がらなければならない。『立ち入り禁止』の黄色いテープが鬱陶しい。それを跨いで階段を上がる。ドアには案の定鍵がかかっていたが、校舎が古い所為だろうか、何度か体当たりすれば簡単に開いてしまうことは知っていた。
ドアを開け、外に出る。日が暮れ始めている。空は橙色に染まっていた。曇っていなくて良かった。本当に良かった。
パラペットの上に立つ。いい景色だ。腕を広げると風を感じた。何とも心地いい。
空を見上げて口を開ける。出てきた音と言葉は、あの日君が好きだと言ってくれた歌。ただ歌った。音楽を前にすると、きっと強くなれるはずだ。だから恐れる必要も無い。
君の進路は殺された。そして、僕の進路も数秒後には死ぬらしい。
気が済んだので、君の名前を呼びながら僕は勢いよく飛んだ。
──そうだ、今日は君の命日だった。
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