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マリーが来たことで、シャルフェンの生活には大きな変化が生まれた。
本を読んだり音楽を聴いたりして緩やかな時間を過ごすのは同じだが、それを彼一人ではなく、彼女と二人で行うようになったのだ。
例えば、読書。
好みが一致したらしく、
「面白かったですわ、この本。主人公の心の動きに、なんというか、奥行きが感じられて……」
「ほう! 使用人たちに読ませても、地味とか退屈とかいった態度を示すばかりでしたが、あなたはその良さがわかる人なのですね! では、今度はこちらを……」
マリーはシャルフェンの部屋に入り浸って、彼から勧められた本を楽しむ。その間、もちろんシャルフェンも別の本を読む。
もともとシャルフェンは、ロッキングチェアに座って読書する習慣だったが、そのロッキングチェアが二つに増えた。仲良く向かい合わせて、二人それぞれ本を読んで過ごすようになったのだ。
そうした光景を目にする度に、ヴァルターは思ってしまう。若い男女が向かい合って座るならば、愛の一つでも囁くのが普通なのではないか、と。
例えば、音楽。
「素敵ですね、この曲。聴いているだけで、こう、胸が締め付けられるような……」
「ほう、わかりますか! いわゆるクラシックというやつでしてね。昔々の、ドイツという国の音楽です。中でも、私の一番好きな作曲家のものですよ。今聴いたのは第一交響曲と呼ばれるものでしたが、第三交響曲もお勧めでして……」
音楽は読書とは異なり、一緒に別々の曲を聴くわけにはいかないから、二人で同じ曲に浸る。椅子も向かい合わせではなく、スピーカーに正対する形で、二つ並べていた。
ロマンチックな音楽が流れる中、手を伸ばせば届く距離だが、手を握る程度のスキンシップもなかった。大の大人が何をやっているのだ、とヴァルターは思ってしまう。
長い時間、二人で一つ部屋にこもっているくせに、いったい何なのだ。
ヴァルターは少しもどかしくなるが、それは彼が男だからであり、女の使用人たちには違う見え方になるらしい。
「旦那様はお変わりになられた」
「マリー様を『奥様』とお呼びする日も近いのではないかしら」
二人がお互いを見る目は、明らかに想い人へ向ける視線だ。いったん気持ちを確認し合えば、あとは堰を切ったように、一気に関係は進展するはず。
彼女たちは、そう噂していた。
「関係……? それって……」
「やだなあ、ヴァルターさん。男と女の『関係』といえば、あれしかないじゃないですか」
恥ずかしいこと言わせないでくださいね、という顔で、召使いたちはクスクス笑うのだった。
つい聞き返してしまったが、ヴァルターだって頭ではわかっていた。シャルフェンとマリーが、文字通り結ばれるという意味だ。
だが、ヴァルターの主人シャルフェンは、今まで一切女性と付き合おうとしなかった男。そんなシャルフェンが誰かと枕を共にするなんて、いくら相手がマリーのような女性――趣味嗜好の合う美人――だとしても、ヴァルターにはイメージしにくかった。
しかも、今まで「もどかしい」と思っていたくせに、いざ二人が結ばれる可能性を考えると、素直に祝福できない気持ちが生まれてくる。
「記憶喪失で転がり込んできた謎の美女……。どこの馬の骨ともわからぬ、怪しい輩ではないか。そのような者を、アンツェル家の奥様としてお迎えできるのか……?」
疑念を持ち始めたヴァルターは、シャルフェンとマリーの仲睦まじい姿を見れば見るほど不安になった。
だから、こっそり色々と調査を始めて……。
その結果の一つが、今晩ついに判明したのだった。
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