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「旦那様、早まってはなりませぬ!」
バンと大きな音を立てて扉を開き、ヴァルターはシャルフェンの部屋に飛び込んだ。
執事である彼が、主人であるシャルフェンの部屋へ、ノックもせずに立ち入ったのだ。前代未聞の出来事であり、驚いたシャルフェンは声も出せず、ただ目を丸くするばかりだった。
しかもシャルフェンにとっては、ちょうど、ばつの悪い場面だった。
シャルフェンは大きなベッドの上に正座しており、彼と向かい合うようにして、マリーが同じく正座している。二人とも寝巻き姿だが、シャルフェンの右手はマリーの胸元まで伸びており、「今からボタンを外して脱がします」と言わんばかりの手つきだった。
状況を一目で見て取ったヴァルターは、厳しい顔をしながらも、ホッと胸を撫で下ろす。
「事に及ぶ前のようですな。不幸中の幸いです、旦那様」
「ヴァルター、いきなり、どうして……」
シャルフェンが口を開くが、言葉がまとまらない。そんな主人の発言を遮るようにして、ヴァルターが続けた。
「旦那様とマリー様は、結ばれてはならぬお二人なのです」
ヴァルターの瞳に、悲しみの色が浮かぶ。
「マリー様の正体が判明いたしました。マリー様は、シャルフェン様だったのです」
これでは二人とも、ますます混乱するだろう。そう思いながらも、ヴァルターは、まず先に結論を口にするのだった。
「マリーが私……? どういう意味だ……?」
「わけがわかりませんわ」
案の定、二人には通じなかった。
ヴァルターは、少し噛み砕いて説明し直す。
「勝手ながら、調べさせていただきました。マリー様が口をつけたティーカップやスプーンなどから、遺伝子を採取させていただいたのです」
話しながら、ヴァルターは思う。彼女が現れた日に遺伝子検査も行うべきだったのだ、と。真っ先に遺伝子を調べておけば、あの場で真相がわかったに違いない、と。
「そうして調べた結果、マリー様の遺伝子は、ほとんど旦那様と同一でした。『ほとんど』というのは性別が異なるからであり、それ以外の部分は完璧に一致しておりました。つまりマリー様は、いわば女性版シャルフェン様なのです」
「……!」
シャルフェンとマリーは、全く同じ驚愕の表情を浮かべて、顔を見合わせる。本当にそっくりだ、と思いながら、ヴァルターは話を続けた。
「まるでクローンですな。でも人間のクローン製造は禁忌ですし、そもそも性別が異なる時点で、クローンではありません。ならば何かと考えると……」
ここでヴァルターは、歴史の教科書を思い浮かべる。
「旦那様は、最近の科学技術はお嫌いのようですが、それでも、百年ほど前から格安で月旅行できることくらい、ご存知ですよね? さらに人類は行動範囲を広げて、今世紀になると、並行世界への移動も可能になりました」
とはいえ、並行世界への旅行は、まだ一般的ではなかった。
宇宙旅行に飽きた一部の大富豪たちは、既に並行世界を訪れているそうだが、現時点では安全面に問題があるらしい。世界間を移動する際、頭痛や吐き気に襲われるケースが多く、中には意識を失うほどのショックを受ける者もいるという。
「マリー様は、並行世界のシャルフェン様なのです。今にして思えば、記憶喪失も、世界間移動に伴うショックが原因だったのでしょうな」
「マリーが別の世界の私……」
「私が別の世界のあなた……」
互いの顔を見つめる二人は、本当によく似ていた。
人付き合いが苦手なシャルフェンでも気に入るほど、マリーの趣味嗜好が重なっていたのは、そもそもマリーがシャルフェンだったからなのだ。並行世界である以上、全く同じではなく少しは違う点もあるはずだが、この二人の場合、その違いが性別だったのだ。
そんな二人が出会ってしまえば、同族嫌悪に陥るか、あるいは逆に理想の相手と思うか、両極端に違いない。シャルフェンとマリーの場合、後者だったわけだが……。
それ以上は考えるのをやめて、ヴァルターは悲しげに首を振る。
そして二人に言い聞かせるような調子で、改めて口を開くのだった。
「古来より、人間社会では近親相姦が禁じられています。遺伝子の多様性が失われるからです。技術的には可能なのに、人間のクローンが禁忌とされているのも、同様の理由でしょう。ならば、並行世界の自分と契るのも、いわば究極の近親相姦のようなものであり……」
(「彼と彼女の許されざる恋」完)
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