6人が本棚に入れています
本棚に追加
「えっと、ここはどこですかぁ?」
ひょっこりと窓から顔を出して、辺りを見回すマリー。ディックは「水を用意してくる」と言って、工場の奥へ引っ込んでいったので、わたしはマリーに手を貸して、機関室から出してあげることにした。
「ここは『トレイシーの整備工場』。ムーンライト号の整備担当の工場兼わたしたちの下宿先ね」
この工場の二階に、ディックといっしょに一部屋を借りてるんだよね。部屋内では日々、陣地争いが起きてるけど。
「で、あの人が工場長のトレイシー」
トレイシーは早くも、ムーンライト号の点検を始めていた。マリーはじっとその姿を見つめて、「カッコいい人ですね」とこぼした。ああ、なるほどカッコいいね……はい?
「か、かっこいい? トレイシーが?」
「はい、そう思いませんかぁ?」
「いやいやいやいや思わないから」
まあ、たしかにトレイシーは美形だよ。サラサラの金髪もキレイだし、スタイルもいいし。見た目はカッコいいかもしれない。でもさあ、「変人エルフ」と名高いトレイシーだよ?
「あのさ、トレイシーはやめた方がいいと思うよ」
「ええ~、あんなにカッコいいのになんでですかぁ? ……あっ、まさか、フランさんもトレイシーさんのこと……?」
「あ・り・え・な・い! 変な勘違いしないでよ!」
「じゃあどうして?」
そんなの、見てればわかることだよ。
そんな話をしていると、車体の点検をしていたトレイシーが、「ああっ!」とすっとんきょうな悲鳴を上げた。ほら、始まったよ。
「なんだね、この車体の傷は! 嘆かわしい……ミス・ムーンライトのつややかな肌になんてことだ……! ああ、悲しまないでおくれ、いとしのムーンライト! それでもきみの美しさが損なわれることはないのだから!」
空色の車体の表面に頬ずりをするトレイシー。顔が砂ぼこりやすすで汚れても、お構いなしだ。
変人エルフのトレイシーは、根っからの機関車オタク。これはこの辺りの住民の中では有名な話だ。特にムーンライト号への愛はすさまじく、暇さえあれば物言わぬ機関車に向かって愛をささやいている。
人の趣味をとやかく言うつもりはないけど、さすがにトレイシーは度を超えてると思うよ、わたしは。
トレイシーが大騒ぎしている中、ディックが隣の部屋からホースを引っ張って戻ってきた。洗車用の大きなバケツに、水を溜めるつもりみたい。
「またトレイシーのヒステリーか。今回は何があったんだ?」
「どうしたもこうしたもないさ! きみも機関助士ならミス・ムーンライトに傷をつけた責任の一端を担っているのだよ!」
「はあ? なんの話だよ」
「ここだよ! ほら、この傷!」
傷くらいでそんな、大げさな。運転してるんだから、小石が弾け飛んだり、木の枝にすれたり……もしくは、不注意でちょ~っとぶつけちゃったりすることくらい、よくあることじゃん。
トレイシーが示した車体の傷を眺めていたディックは、突然、何かを思い出したかのように、ポンと手を打った。
「これ、今日ついた傷だな。田舎駅の子どもたちと遊んでたフランが、ブリキの飛行機をぶつけた時のだ」
ちょっとちょっと、ディック!? なんでそんな余計なこと言うの!
「……なんだって?」
うわ、これはまずい展開。
ゆらり、とトレイシーが振り返った。その背後には、メラメラと燃えたぎる炎の幻覚が見える。一歩、また一歩とわたしを追い詰めながら、両手を前に掲げた。
ま、まさか、魔法を使う気じゃ……!
「水の精霊たちよ、我が怒りに応えたまえ……!」
「ちょ、トレイシー? いったん落ち着こ? ねっ?」
「フラン、きみというやつは、ミス・ムーンライトの専属機関士でありながら……覚悟しろ、このポンコツ機関士め~~~!」
「わるかったってば~~~!」
トレイシーの手のひらから発生した大きな渦潮は、ものすごい勢いでわたしの方に迫ってきた!
バッシャ――ンッ!
最初のコメントを投稿しよう!