屋上の住処

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 俺の住処の周りにはいつからか人が集まるようになった。今夜もこそこそと何やら話しながら二人組だったり三人組だったり四人組だったり、もしくは一人でだったりとうろうろとしている。その表情は不気味そうでもあり興味津々といった具合でもある。  俺の住処は六階建てのホテルの屋上にある。ある日、車を運転していた俺はそのホテルの屋上に目をやった。小屋がある。ドラマや映画でそこに住んでいる主人公に憧れたっけなとぼんやりと思った俺はそれを現実にすることにした。ホテルで働いて、そこに住むのだ。そして一ヵ月前、実際に働くことが決まると俺はアパートを解約した。屋上の小屋に住むしかないという状況を作る為だ。ホテルの支配人は俺の思い通り仕方がないから屋上の小屋に住めと言った。完璧な流れだった。あいつが現れるまでは。 つい一週間前、深夜に屋上で景色を眺めている俺にあいつは声を掛けてきた。まるで普通の人間みたいに。 「なあ、オレのこと知ってる?」  その言葉に振り向いた俺はそこにいる相手が透けていることに思考が停止した。  前髪が長い金髪、そのせいで目は良く見えない。歳は三十手前くらいだろうか。青白い肌、真っ赤な唇、上下灰色のスウェット。心臓がバクバク鳴る。足は、ない。 「何だって言うんだ?」 「幽霊だけど」 「俺に霊感はない!」  俺はこの状況を否定したくて怒りに任せて叫んでいた。  すると男は俺の方へ歩いて来たかと思えばするりと俺を通り抜けて行った。まるで窓を開けて冷たい風が部屋へ流れ込んで来たみたいだった。振り返ると男はそこにいる。俺は認めるしかなかった。 「わかった。何が目的なんだ?」 「いや、だからさオレのこと知ってる?」 「知らん」 「オレ記憶なくてさ。でもこのホテルだけは覚えてたんだよね。まあ、自分で探してみるわ」  男はそう言ってホテルの中へ入って行った。  何が起こったのか正確に把握出来ているのかわからない。けれどその後、男は深夜になると何度も俺の住処へやって来て何も思い出せない報告なのか暇潰しなのかそんなようなことをするようになった。 「俺はコウセイ。不便だからお前の名前はミヤビな」  俺は男に勝手に名前を付けた。グラビアアイドルから取った名前だ。この時はまだミヤビにいなくなって欲しいと思っていなかった。それほど迷惑を被ってはいなかったからだ。  少しするとどうしてだか俺の住処の周りをうろついたり中を覗いたりする人間がちらほらと現れた。それからはどんどんとそんなやつらが増えた。 「幽霊は良くこの屋上に出るらしいよ」 「ここから飛び降りたってことかな?」  そいつらのそんな会話が聞こえ俺はゾッとした。ミヤビのせいで俺の住処がそういった類の人間の観光名所になり始めている。俺はミヤビに対して怒りが湧いた。屋上は俺の庭だ。他人がいるだけで気に障る。もっと増えれば俺はここに住むどころではなくなってしまう。どうにかしなければならないと危機感を抱いた俺はミヤビを成仏させることにした。 「なあ、俺手伝うよ。お前が誰で、どうして死んだのか知りたいんだよな?」  またしても屋上にやって来たミヤビに俺は提案した。 「なんでそんな気になったんだ?」 「協力したくなったんだよ。もう友達だろ?」  俺はミヤビの目を見ているようで見てはいなかった。 「ふーん。わかった」  納得したのか頷いたミヤビに俺は今までこのホテルで何かわかったのか聞いたが収穫はゼロで何人かの客に気付かれただけだった。  仕方なく俺は自分の足で調べることにした。まず最初に目を付けたのは昼休憩で良く一緒になる一つ上の従業員仲間のミチルだった。ミチルとは姉弟のように仲が良い。結構エグい話もする。だから選んだのだ。今日もまたホテルの向かいにある古い喫茶店でナポリタンを食べながら俺は話し始めた。 「なあ、なんか友達から聞いたことあるんだけどさ、そいつ振った相手が自殺したことあるらしいんだよね。それって良くあることだと思う?」  俺は飽くまで軽い話、という体を装った。 「少なくとも私にはない。そういうやつは私に告白してこないから」  ミチルはいつも通りドライに答えた。 「そっか。でもさホテルの従業員の中で一人くらいそういう経験したことあるやついると思わない?」  俺は情報収集の為に食い下がった。一欠片でも何かを掴みたかった。 「聞いたことないな。まあ、あっても言わない可能性もあるしね」 「つーことはミチルも隠してるだけだったりして」  俺はへらへら笑ってこの話を終わらせた。従業員の恋愛絡みの話をほぼ知っていると言っても良いミチルが知らないとなればそういう類ではないということだ。  忙しく仕事をこなしていた俺が次に話を聞けるチャンスに恵まれたのは退勤時の更衣室だった。そこで居合わせたのは強面の上司、サトシだった。こうならないと誰も聞けない質問を俺はぶつけることにした。 「サトシさんって前はどんな仕事してたんですか?」 「金貸しだよ」  サトシさんが掛けていたサングラスを少しずらして俺を見る。 「うわっ、やっぱり。強引な取り立てとかしてたんすか?」  俺は冷や汗をかいていたが誤魔化す為に無理矢理にテンションを上げるしかなかった。 「銀行員だよ。やっぱりって?」  サトシさんは罠にかかった獲物を見て満足そうに笑っている。 「トイチどころかトゴで金貸して客を追い込んで自殺した人までいるんじゃないかとか思ってすみませんでした」  俺は正直に吐いた。それが唯一の楽になる方法だからだ。 「ボクの趣味は編み物だよ」  サトシさんは俺の肩をポンと叩いて更衣室を出て行った。  編んだマフラーで俺は何をされるんだろうかなんてことが頭を過ぎったがそんな想像は消し去ることにした。  今夜もまたミヤビ見たさに屋上には客が沢山来ている。仕事中はお客様として接しなければならないが仕事が終われば俺の住処にずかずかと入り込む迷惑な人間でしかない。けれどこいつらが何を知りここへ来ているのか詳しく聞かない訳にはいかないだろう。 「ねえねえ、俺もここの幽霊について調べてるんだけど君たちは何か知ってる?」  俺は同類の振りをして二人組の男に聞いた。 「ホストに捨てられた女の幽霊らしいですけど」 「それにそのホストにつぎ込んで相当な借金があったって」  男たちは深刻そうに話す。 「あー、そうなんだ。可哀想な話だね」  俺は奥歯を噛み締める。こいつらは手掛かりどころかこんな見当違いの情報でここに来ているのだ。苛立ちのあまり俺は住処に戻りベッドに倒れ込むと枕に顔を押し付けて叫んだ。  それから俺はホテルの他の従業員、客、はたまた近くの店の主人やその常連客にまで聞いて回ったが何の情報も得ることが出来なかった。だから俺の住処でぐだぐだと寝転んでいるミヤビに何も言うことが出来ないでいる。  ため息を吐くしかない俺は早朝の静かな勤務の中、支配人のユウヤさんにこのホテルは墓を潰して作られたのかとふざけて聞いた。 「そういうことは誰からも聞いてないな。まあホテルだから客室で死ぬ人は何人もいるけどさ」  ユウヤさんはゆったりと気だるそうに、けれど外面だけはしっかりと保っている。 「自殺?」  期待していない時ほど探し物は見つかるけれどもしや、と俺はユウヤさんの答えを待った。 「それもあるし、お前が入るちょっと前なんか心臓発作で亡くなった人もいた。若いのに気の毒だったよ」  ユウヤさんはその時の客を思い出しているのか顔を曇らせた。 「それって金髪の長い前髪の男?」  俺はまじまじとユウヤさんの顔を見る。 「そうそう……タナカシンジさんって名前だったかな。灰色のスウェット着てさ。もしかして知り合い?」 「あ、いやなんとなく」  ユウヤさんと目が合った俺はぎこちなく逸らす。  答えに辿り着いた。ついにミヤビを成仏させられるのだ。俺は僅かに震えていた。  その日の深夜、またふらりと現れたミヤビに俺は支配人から聞いたことを話した。ミヤビではなくタナカシンジであること、心臓発作で亡くなったこと。 「そっか。なんだか残念で平凡な死に方だね」 「でも知りたかったんだろ?」 「うん。このホテルもう一周してから行くわ。じゃあ」  タナカシンジはとぼとぼと歩いてホテルの中に入って行った。  あっけない別れだ。でもこれで良かったのだ。俺は幽霊を一人成仏させた。なかなかない経験だろう。手摺にもたれて景色を眺めていると背後に冷たい風を感じた。振り向くとそこにはタナカシンジが立っていた。 「なんだよ。ちゃんと別れを言いに来たのか?」  俺は変な気分だった。こんな状況の正しい表情がわからない。 「いや、なんかまだここにいたくなっちゃって」  タナカシンジは私もカラオケ行きたくなっちゃったみたいなノリで軽く言った。 「……いや、ダメだろ」  開いた口が塞がらない。そんなことって有り得るのか。俺がしてきたことは何だったのか。沸々とまた怒りが湧く。俺はこいつを許せそうにない。成仏するべきだろう。拳を強く握り締める。こいつを殺してやりたいが死んでいるからもう出来ない。  ホテルの経営は上向いている。幽霊が出ると知った支配人が宿泊プランにホラーツアーとかいうものを組み込んだからだ。俺の住処に安寧が再び訪れることがあるのか定かではない。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加