静寂の夏

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静寂の夏

 開け放した窓のはるか遠くのほうから、太鼓と(かね)()が聞こえてきた。  カンカンという乾いたその響きは、硝子(ガラス)の風鈴を連想させる。頭の中で、丸っこくカラフルなものが揺れた。カランコロンと涼しげな音をたてながら、揺れていた。  祭りの練習なのだろうか。そういえば提灯を玄関先に吊るした民家があった。 「もう祇園祭(ぎおんまつり)が近いんだな……」  思わず飛び出すひとりごと。頭の中で「祭りが夏を連れて来る……」とつぶやいていた。たしかにそれが、いつもの夏のルーティーンだった。  こんな眠たくなるような午後の職場には、ドンヨリした空気が漂っていた。  思えばこれまでが、あまりにも忙しすぎたのかもしれない。またたく間に過ぎ去って行った三ヵ月間。前任地の名古屋から、ここ京都に引越してきたのが三月の末のことだった。それがもう遠い昔の出来事のようだ。  新任地での業務は新たに覚えることも多く、数倍も忙しく感じた。でもバタバタと残業しているくらいのほうが、今のボクにとっては丁度いい。どうせ家に帰っても誰もいない単身生活、そしてまだ心の傷が癒えていないボクにとって。  実は三月の末、四年半を一緒に暮らした妻と離婚したばかりだった。 「じゃぁ転勤を機に別れようか」  そんな話をしていた今年のバレンタインディ。それは実にあっさりとしたものだった。そう決めた瞬間、頭を覆っていた霧がスッと晴れたことだけが心に残っている。  離婚を決めた当初は心の重荷も取れ、妙に穏やかな日々を過ごしていた。だが最近になって、本当にこれでよかったのか……なんてウジウジ考えている。今もこうして月末の事務処理をこなしながら、別れを決めた時の情景を思い返しているし……  でもこのモヤモヤは、いつしか時間が解決してくれるだろう。時間ってヤツは、本当に不思議な力を持っているんだから……   ウィーン、カタ カタ カタ……   少し離れた場所に置かれた事務所のファックスが何かを受信している。唯一その音だけが職場内に響いていた。近くにいた女子所員がそれに気付き、顔を上げる。 「主任、ファックス来てはりますよ」  女子所員が出力されたばかりの紙を手に取る。 「えっ! えぇぇ……」  驚愕(きょうがく)しながら彼女は、今にも泣きそうな顔でボクにその紙を見せた。  そこには、こう記されていた。 「逝去通知。松本事務所○○達也(たつや)様の通夜・告別式は、下記のとおり執り行われます……」  何なに、親族の葬儀で……達也が喪主か…… あっ違う…… えっ…… 達也……達也が、死んだ……  達也はボクが本社勤務だった頃、同じ職場の後輩だった。そしてボクにとって唯一の、アウトドアと酒が好きな無二の相棒……その達也が、死んだ……  つい数ヵ月前、お互いの転勤が分かったとき、電話で話したばかりなのに。   「じゃぁ今度、お互いの中間地点あたりで思いっきりアウトドアしましょうよ。星空の下で焚き火して……」  いつもと変わらずアイツはそう言っていた。そう言っていたのに……
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