斎場

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斎場

 彼にはもともと持病の喘息(ぜんそく)があった。その関係かどうかは分からないが、長野県の松本に転勤してから調子を崩し、入院した。  著しい意識障害がある、風の便りにそう聞いてはいた。だが、まさか……  通夜が執り行われる松本市の斎場には、社内の懐かしい面々が揃っていた。あちらこちらで達也の想い出話などに、花を咲かせている。  話題の中心は、もっぱら達也の死因の真相だった。最終的な死因は多臓器不全だったが、医療ミスという声が聴こえる。  ボクはこの手の話に、耳を傾ける気になれなかった。真相がなんであろうと、もう達也は帰って来ない。  半端ない喪失感にボクは襲われていた。 「アイツが入院した頃にさぁ、変な電話かけてきてさぁ」 「あ、うちにも来た。意味不明なこと話してたよ」  そのとき達也に、何があったんだろう。そして何を伝えたかったんだろう。  ただボクのところには電話がなかった。仲間をちょっと嫉妬する。  不審電話でもいいから、達也からのメッセージが欲しかった。  通夜は滞りなく進んで行く。  達也の遺影が穏やかに微笑んでいたのが、逆に涙を誘った。  アイツ、こんな(かしこ)そうな顔を見せること、あったんだ。微笑みながら、何を考えているんだろう。 「俺、遺影になっちまったゼ。イェーィ!」  そう言っているような気がした。  誤解を恐れずに言うと、葬式っていいものだ、って思う。なぜか心が優しく清らかになるからだ。ある種の諦めに近い喪失の感情の先には、浄化されたものだけが残る。そういうことなのであろうか。  いずれにせよ、命って一体何なのだろう……ということを考える、リアルな機会にはなっている。  通夜が一通(ひととお)り、終わった。  ボクの周辺にいる参列者(メンバー)の間には、 「さあ、どうしようか。酒が好きだった達也を偲び、ここは呑みに行くしかないでしょう」  そういう空気が流れていた。  一緒に行きたい。 だがボクは車で来ていたし、今夜どこかに泊まるつもりもなかった。  実は、途中の名古屋で高速を降り、三か月ぶりに元妻に会ってみようか、そんなことをあらかじめ考えていた。  嫌いで別れた訳でもないんだし……
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