枕元にはお仏壇

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 それは僕が小学1年生のころの話だった。  障子を開けると、線香の匂いが鼻を突いた。  祖父母の家はまだ蚊取り線香を使っているのだなと、足元を見ればベープマットの本体が無造作に転がっていた。オレンジ色ランプは点灯しておらず、セットされた青いメンコはすっかり色が抜け落ちていた。  それならば本当に線香の匂いなのかと仏壇を見れば、仏壇にも光はない。どうやら、長年の線香の匂いが障子や畳に染みついたらしい。 「暑くなってきたから。おじいちゃんと寝室交換ね」  オルガンを弾きながら母さんがそういった。  当時のことを振り返るに母さんの一番印象に残っているのはオルガンを弾いている後ろ姿だった。  母さんはつんとした鼻が特徴的な美しい人であり、その美しさは芸能人としてスカウトされたこともあったほどだという。母さんの若い頃は芸能人というのはやくざな人間がする仕事だという風潮があり母さんの両親、つまり僕の祖父母も猛烈な反対にあい結局は断念したらしいが、あと一歩でデビューというところまでいったそうだ。母さんは芸能人になりたいとは思っていなかったので、そのことは別に何とも思っていなかったようだが何とももったいないことをしたものだ。ただ、仮に芸能人になっていたとしても大成していたとは思えないので良かったと言えばよかったのかもしれない。その証拠に結局は母は芸能界に近いところに行ったがそこで名を残すことはできなかったからだ。母さんは芸能界自体には興味はなかったが、歌手にはなりたかったらしい。その後上京して歌手を目指した。ただ母さんは歌の才能はなかったらしくそれは失敗に終わり、結局は地元に帰り父さんと結婚することになった。芸能人と成功できるなら歌手としてデビューしても顔で仕事をもらえるはずであるから最初に芸能人になっていても結果は同じだったかもしれない。  父さんは婿養子だった。母方の祖父の代から酒屋を営んでおり、祖母も交えて家族2人で店を切り盛りしていた。そこに両親も加わり4人で店を切り盛りしていくことになった。時代の流れによって個人店の酒屋は厳しくなり、途中でコンビニになったけれどそれは今まで…つい3年前まで続いた。母は内心は音楽に未練があるのかオルガンを弾くのが日課だった。夢は諦めきれていなかったけれど、結婚して子供を作るというのは母に定められた使命であり、義務でもあった。だから僕は生まれ妹は生まれた。当時はそういう時代であり、それは当然のことと受け止めていたけれど、現代の世相を見るに感謝すべきことだったのかもしれない。現代の世相がそうあるように結婚が唯一の生きる道ではなく自分自身の幸せを優先的に追求すれば僕らは生まれておらず、仮に生まれていても育児放棄されていたかもしれなかったからだ。母は自分の夢に未練があり、どこか「私は本当はこんなところにいるべき人間じゃないのよ」という風を漂わせており、それを僕はどことなく感じてはいたが、僕たち子供たちに対しては人並み以上の愛を注いで育ててくれた。僕とそして特に妹は母さんにとても感謝している。妹が結婚したときは怒涛の「お母さんありがとう」押しに母は涙したものだった。 「うう…」  妹が僕の袖を握って無言の抗議をあげた。  僕も妹も幼稚園に行ったのは二年間だけだったから、妹はその時ちょうど幼稚園に行って一年目だったと思う。祖母が家にいたから面倒は祖母に見てもらえばいいよねということで3年間フルに行くことはなかった。妹に至っては幼稚園はいかなくていいんじゃないのかという案もあったらしいのだが、去年祖母が亡くなり仕方がなく幼稚園に預けられることになった。幼稚園は人付き合いを覚える場所でもあったので、結果的に行ってよかったと思う。  妹の眼下には祖父の和室が広がっていた。  妹は祖父母の家があまり好きではない。というか和室があまり好きではない。なんとなく、怖いらしい。  うちは祖父母との3世帯住宅。すぐ隣に祖父母の家があり隣り合わせに僕たちの家がある。その間をぶち抜いてむりやりくっつけたようなかっこうだった。  そして祖父母の家は木造住宅。冬は寒いが夏は涼しい。なので僕らは夏になると祖父母の家にいって眠り、祖父母は僕らの家に行って眠る。まぁ祖母はもうなくなってしまったけれど。  祖父の部屋は畳と障子と、仏壇。ふすまに押し入れ。おまけにダイアル式のブラウン管テレビが置いてある。確かに時代から取り残されてしまったみたいで、独特の雰囲気がある。怖いというのも分からなくはなかった。 「大丈夫。大丈夫」  僕はそういうと妹を引っ張っていった。  妹には悪いけど妹が怖がってくれると怖がらない自分が特別に強い気がしていい気分になる。おまけに妹も僕を頼ってくれるしね。  ちょっと前に妹は病気で入院していた。その時ちやほやされて気が大きくなったのかしばらくはかなりわがままだったのだけれど、これで兄の威厳を思い出してくれるに違いない。頼もしき兄を頼るがいいぞ、と僕は思った。  僕は祖父母の寝室に行くとまずは線香に火をつけた。  祖母が亡くなる前、祖母は言っていた。 「もし私がなくなったら毎日仏壇を参ってね」  僕は2つ返事でOKしたのだが、実際のところそれは守れていない。2つの家がくっついているとはいえ別の家だし、わざわざ仏壇まで手を合わせに行くのは少し手間だったからだ。  でも、夏は毎日ここで眠る。それなら仏壇に手を合わせるなどさして手間にはならない。 「はい、おばあちゃんに手を合わせて? 」  僕は妹にも手を合わせるように促す。妹は少し戸惑いつつも僕に従う。仏壇に火がともる姿は独特の雰囲気があり、これも妹に怖いと思わせる所以なのだろう。妹は恐る恐ると手を合わせている。なんか少し雰囲気が初々しい。毎年寝室交換はしているはずなのにまるで初めてみたいだ。いや、もしかしたら妹的には初めてなのかもしれない。  僕はその時6歳。そして自我が芽生えたのは3歳のころだ。妹は4歳になる。昨年の今頃は3歳ということになるのでぎりぎり自我が芽生ていなかったのかもしれなかった。  自我を芽生えた日のことはよく覚えている。それまではなんだか霞の中を歩いているみたいだったのに、急に視界が開けた気がして身の回りのことがはっきり認識できるようになった。その時には既に僕はもう喋ったり歩いたりできるようになっていたから身体は自由に動かせたし周りの人物も理解できていた。前からそうであったかのように僕は自然に行動した。家族は今まさに僕に自我が芽生えたとは気が付かなっただろう。もし気が付く者がいるとすれば妹だったが、妹はまだ自我に目覚めておらず、というか1歳でありそれに気づけるはずもなかった。僕が自我に目覚めたとき、妹は僕のことを少し警戒するように見つめていた。どうやら自我に目覚める前の僕は妹のことを虐めていたらしい。そんなわけで自我に目覚めた僕が初めてやったのは妹の警戒を解くことだった。  祖父の部屋はそんなに広いわけではないので引ける布団は3つだけだった。寝るのは両親と僕と妹なので一つ足りない。父さんは部屋で眠れず隣の部屋で眠ることになる。隣の部屋は食卓なので下は畳ではない。下には茣蓙を引いてその上に布団を引くことになる。僕は茣蓙と格闘することになった。 「何してるの? 火は口で拭いたら駄目だよ」  妹が仏壇の蝋燭の火を口で拭いて消そうとしていたので慌てて止めた。仏壇の日は口で拭いてはならない。人間の域はけがれてるから吹いて消してはいけないとか、そんな理由だった気がする。 「もう!何やってるの? 」  僕はつい大声で叱ってしまい、妹は泣きそうになっている。 「いじめたら駄目よ? 」  いつの間にか母さんが戻ってきて叱られる。こすいことに妹は母さんに隠れてしまっている。 「僕は悪くないよ」  そう訴えたが無駄だった。僕は母さんに叱られるはめになった。母さんは妹に甘い。もし祖母なら怒られることはなかっただろうに…  ・・・ 「酒屋はいいわよ。絵描きは有名になってお金を稼げるようになるころには死んでしまっているけど酒屋はそうじゃないから」  生前祖母は僕に事あるごとにそう言ってきた。  僕は絵をかくのが好きでチラシの裏に一日中絵をかくのが常だった。そんな僕に祖母は、その趣味を尊重しつつ酒屋になることを進めてきた。祖母は僕に酒屋を継いでほしかったのだ。  祖父母は実に巧妙だった。僕の興味を否定することなくその注意が酒屋に行くように誘導していった。いつしか酒屋になるのが僕の夢となっていた。無理に勉強させるではなうそうなっていくように仕向ける。悪戯におもちゃを取り上げるような教育ママにはぜひとも見習ってほしい手腕だった。  祖母は母親以上に美しい人でありそしてカリスマあふれる人だった。毎日いろんなところから祖母に会いに来る人がいた。祖母は若いころはもてたらしく、あの人は私のことが好きだったのよ、とかいろいろと昔のことを教えてくれたものだった。祖父は寡黙な人だったので、親戚とか近所付き合いは祖父の肩代わりをしていたのかもしれない。女傑といってもよかった。  そんな祖母も失敗はあったそれは長男に酒屋を継がせられなかったことだ。本来家は長男が継ぐべきものだ。だがうっかりその天才的な人心誘導の手腕を勉強の方に使ってしまった長男はものすごく頭がよく育ってしまい、酒屋なんか捨てて上京して建築会社の副社長になってしまったのだ。ちなみに一族経営の会社なので社長にはなれない。副社長が限界らしい。とにかくそのおかげで母さんは養子に父さんを迎えることになった。そしてその失敗から僕は酒屋になることを優先的にほどほど頭がよくなる風に教育されてたのだった。  僕は家を継ぐ長男として英才教育を受けた。だが人心掌握術にたけた祖母のことだ。厳しいばかりではない。むしろ厳しいと思ったことはない。良かった記憶しかない。自分の意志で努力しているように仕向けられた僕は鞭を鞭と感じることもなく飴だけを享受した。長男として大切に育てられた。そこでちょっと妹にしわ寄せがいってしまったのかもしれない。祖母が亡くなって母が公平に僕らに接するようになるとどうしても妹が贔屓されているように感じるのだった。  ・・・  あれから30年がたった。祖父はもうとっくになくなっている。母も3年前に亡くなった。僕も妹も結婚して家を出た。子供は妹は2人いる。そのせいで今回も実家には帰ってこなかった。僕もできれば欲しいのだが、妹と比べて結婚したのが少々遅かったのでたぶんできない気がする。妻も作る気はあるが年齢がちょっといっている。もう3年も不妊治療しているし難しいのではないかと思う。  僕も結局は家を出た。酒屋を継ぐように英才教育をされた僕の夢は酒屋を継ぐことでありコンビニを継ぐことではなかった。だからとりあえず公務員になって安定した収入を選んだ。そのコンビニも母が亡くなったことで維持するのが難しくなり辞めてしまった。僕を産んだ時両親は30歳だった。父は60を超えており辞めるにはちょうど良い年齢だったのかもしれない。  僕は久しぶりの実家で仏壇に参った。  仏壇は1ッカ月後におじさんのところに送られることになっている。  さきにも言った通り父はこの家の長男ではなかった。実子ですらない養子だ。長男は頭がいい人で東京に出て行って出世して何かの役員をしているのだ。子供もいる。  ここで問題になるのが仏壇の所有権だった。祖父の家の仏壇なんだから祖父のところにおいておけばいいんじゃないかということで実際においてあったのだが、ついに祖父の家は取り壊されることになったのだ。で、仏壇はどうするかという話になった。  僕的には祖母の約束があるので引き取ってもいいんじゃないかと思っていたのだが、そう簡単な話ではなかったらしい。仏壇は長男の、つまりおじさんのところに引き取られることになった。そしてそのあとはたぶん、おじさんの子供、僕からすると従兄の方に行くことになる。従兄とは年齢差もあるしそんなに親しくない。これが仏壇を参る最後になるだろう。 「…」  自然と目から涙がこぼれてきた。悲しいのは祖母との約束を守れなかったことだ。僕は祖母にとても可愛がられた。その恩義には報いたいと思っている。にもかかわらず今こうして仏壇を手放そうとしている。いや、別に僕の所有物という訳でもなかったのだが。それに3年前からは母さんの遺影も一緒に飾られていおり無念さはさらに膨らんで思えた。  僕はもしかしたら結婚しない方がよかったのかもしれない。そんな考えがふと頭に浮かんだ。妻と僕はお見合い結婚だった。条件が合うから結婚したに過ぎない、恋愛関係があって結婚したわけではないのだ。子供がいたらまたもっと別の強い情愛が生まれていたのかもしれないが、子供はいない。  ふと、結婚せずにこの家に住み続け仏壇を守る自分を想像してみた。それはそれでありだったような気もする。  僕は間違ってしまったのだろうか?  僕は仏壇に問いかけてみた。馬鹿げたことだ。仏壇は何も答えない。そこに神聖な価値を見出すのは人間だ。それはただの箱に過ぎない。しかし、そういう思いがあるから人は生きていけるのだとも思える。  あなたが幸せならいい。  きっと祖母も母もそう答えるだろう。彼女達は僕を愛していたのだから。だが、それは僕がこの仏壇を守るために独身を貫いていても変わらなかっただろう。彼女達は僕を愛している。ならば否定することはしないのだ。きっと結婚できなくて申し訳ないという僕に彼女達は、優しく認めてくれたに違いない。  だが考えてみれば仏壇の所有権はどうしたっておじさんにある。僕が結婚せずに仏壇を守ったところで僕の寿命も永遠ではない。根本的な解決にはならない。祖母との約束を守るということにのみ限定すれば約束は果たせるが、僕が亡くなった時仏壇の所有権はあやふやになってしまう気がする。  救いはないのだろうか? 救いはないのだ。仏壇はもうここからなくなる。それは決定事項だ。ただ僕がそれを断ち切って、気持ちを切り替えればいいだけだが、どうしても「毎日参ってね」と言っていた祖母のことを思い出してしまう。約束を守ってやりたかったと思ってしまう。 「父さん」  だからせめて、僕は父さんに呼びかけた。  仏壇は僕が生まれる前からあった。30年以上の年代物だ。そんなものおじさんも本当はいらないかもしれない。おじさんの家に送った瞬間とはいかなくてもおじさんが亡くなったら処分されてしまうかもしれない。従弟にとってはただのぼろい仏壇でだろうし。 「もしあの仏壇を捨てることがあるなら僕のところに回してください、そうおじさんに伝えてください」  父さんはぎょっとしたように僕を見たが、やがて立てかけられた祖母の遺影を見た。 「お前馬鹿な奴だなぁ」  そして父さんは呆れたようにそう言った。
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