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大学の入学式の日、ボーッと校内をウロついていた俺は、様々な部活動から誘惑された。
どの部活も楽しそうに感じたが、俺はそもそも部活をする気がなかった。
「君、今のまま生きていけば、40代で腰痛になり50代で成人病になり、つまらない人生を送ることになるぞ」
いきなり背後から、誰かにそう言われた。
振り向くとメガネをかけたイケメンだ。
背が高く均整の取れた細マッチョで、いかにもスポーツマンらしい爽やかな男である。
俺は返答に困って狼狽えていた。
「君ね。背筋と腹筋、胸筋のバランスが悪い。腸腰筋が硬そうだ。せっかく生まれ持った身体の利点を活かしきれてない。君は正しく鍛えれば確実に素晴らしい才能を開花させることができる肉体の持ち主だ」
その男は、俺の身体をジロジロ見つめながら、そう言った。
「何の才能?」
「水泳だ。君の身体は、まさに水泳をするために生まれてきたようなものだ。やってたんだろう?水泳?」
「中学まではスイミングスクールに通ってたけど・・」
「なぜやめた?受験のためか?」
「まあ、何となく」
「もったい。完成間近かになって放置された芸術作品を見ているようで胸が傷む。どうだろう?今こそ、その素晴らしい肉体の仕上げをしてみないか?僕は全面的に君の肉体改造に協力する。僕は真面目だ」
その男は真剣な眼差しで俺に問いかけた。
真っ直ぐで飾りのない彼の言葉は、お世辞とも思われず、俺は30秒程、彼の目を見つめたまま固まっていた。
「よし。決まりだな。来い」
彼は勝手に俺の肩を抱き、優柔不断な俺を近くの教室に引きずり込んだ。
わーっ!
やったー!
歓声と同時に教室にいた学生たちから拍手が巻き起こる。
「新入生第一号の入部者くん!おめでとう!いっしょに水泳部で楽しみましょう。お名前は?」
その中の1人の男に、そう尋ねられ、俺は戸惑いながらも
「西です。西 仙です。よろしくお願いします」
と、言ってしまった。
なぜなら、俺は何でも成り行きに任せて流される男だからだ。
『ま、いっか』
と、深い考えもなくノリで生きている。
「僕は、ゆるさない男です。皆にゆるさない君と呼ばれている。よろしくな。さあ、そうと決まれば早速トレーニングだ」
俺を誘惑した生真面目そうなイケメン男は、そう言って俺を部室に案内した。
「あ、あの。トレーニングって言っても何の用意もしてないけど」
「君の姿勢をチェックする。少し反り腰気味だ。腹筋が弱い。まずスクワットだ。肩幅より少し広めに足を開きお尻を真下に落とす。もっと深く。上体を起こして。膝が内側に入らないように。そうそう、いいぞ」
ゆるさない君は、無駄がない。
やろうと決めた事は即、実行する。
俺は、普段、無駄だらけの男だ。
やろうか、どうしようかと迷って、ダラダラと時間を無駄にするタイプ。
そんな俺には、ゆるさない君のスカッと突き抜けた無駄のない生き方が、実にカッコよく見えた。
こうして、いつの間にか俺は、ゆるさない君のペースに飲み込まれ、思いがけない学生生活を始めることになった。
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