浦島太郎

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浦島太郎

 目に飛び込んできたのは穏やかな波が寄せては返す一面の青と、粉のようにきめ細やかな砂が敷き詰められた広い砂浜。  ざざー……ざざー……。  波が静かに時を刻む音が、心地良く耳に響く。海だ! 「こりゃあすげえや!」 「きれいな海!」  わたしたちは誘われるように波打ち際へと歩み寄った。『桃太郎』の世界で見た荒れ狂う海とは全然違う、太陽の光を浴びてキラキラと光るどこまでも透明な海! こんなのを目の前にしたらついウキウキしちゃうよね! 海なんて滅多に見れるものじゃないし。 「ここが『浦島太郎』の世界なんだな」  迷人の言葉にうなずく。間違いなくここは『浦島太郎』のおとぎ話で、おそらく一番最初の舞台となる砂浜だ。 「どうする? 浦島の家を探すか?」 「ううん。家は別にいいと思うの」  遠くに小さな家らしきものが並ぶ集落が見える。浦島太郎の家があるとすれば、あそこかもしれない。けど、今回は行く必要ないよね。  これまでも『桃太郎』や『金太郎』では主人公たちの家を探すところからはじめてきたけど、『浦島太郎』って家のシーンなんてほとんどなかったと思うし。  最初に探すべきなのは―― 「子どもたちよ。カメをいじめている子どもたちを探せば、きっとそこに浦島太郎がやってくるはず」 「なるほど。ゆずは、やっぱり頭いいな」  別に頭が良いわけじゃないけど、運動おバカよりはマシだと思うから否定はしないでおく。  さて、それらしき子どもたちは……と周囲を見渡してみたけれど、砂浜に集まっているような集団は見つからない。砂浜に打ち上げられたカメらしき姿も見当たらない。おかしいなぁ。  ふと、一人の男の子が通りかかったので聞いてみる。 「ねえ、そこの子。このあたりで大きなカメは見なかった?」 「カメ? あー、さっきいたよ」 「いた?」  わたしと迷人は血相を変えて男の子に駆け寄った。早くも目撃者の発見! これは幸先いいぞ、と思ったら、 「そのカメ、どこに行ったの?」 「あっち」  男の子が指差したのは、海。はぁ? 「海に逃げちゃったってこと?」 「うん。男の人と一緒に」 「えぇー!」  わたしたちは飛び上がった。  ど、どういうこと? もしかしてその男の人って……。 「釣り竿持った男か? 一緒って、まさかカメに乗って海の中に沈んでいったんじゃ……?」 「そうだよ、よく知ってるね」 「それで? その男の人はどうなった?」 「わかんない。そのままいなくなっちゃった。おぼれて死んだんじゃない?」  あっけらかんという男の子に、開いた口が塞がらない。こらこら、おぼれて死ぬなんて縁起でもない。  さらに詳しく事情を聞くと、わたしたちがよく知る『浦島太郎』の冒頭のエピソードは、すでに終わってしまった後らしいことがわかった。  男の子たちが浜辺に打ち上げられた大きなカメを見つけて、棒でつついたり叩いたりして遊んでいたところ、浦島太郎を名乗る男の人が現れていじめをやめるよう忠告。その後、浦島太郎はカメに乗って海の中へと去って行ったのだという。 「もう竜宮城に行っちゃったってこと?」  一足遅かった! というよりこれは絶対”本の虫”のイタズラに違いない。  わたしたちが着く前に、さっさと浦島太郎を竜宮城へ追いやってしまったというわけだ。  これは大変! 後を追いかけるにしても、海の中じゃあわたしたちにはどうしようもないし。”本の虫”のやつも少しずつ勉強してるみたいね。 「どうする?」 「どうするって言ったって……ねえきみ、このへんってよくカメが来たりするの?」 「来ないよ。おいらだってさっき見たのが初めてだし」  電車やバスじゃないけど、乗り遅れたのなら次の便に乗っちゃえばいい。そんな希望は呆気なく砕け散ってしまった。じゃあどうすればいいの? 竜宮城まで泳いでいけとでもいうわけ? 「よし、これしかないか!」  迷人が取り出したのは……きびだんご! まだあったの? っていうかそれ食べてどうしようっていうのよ? 「嫌! わたしもう絶対そんなの食べないから!」 「なんでだよ。これしか方法ないだろ」 「あと何個あるの?」 「……二個」 「それで竜宮城までもつ?」 「……」  これまでの経験から言うと、きびだんごの力はとんでもないけど効果時間は意外と短い。竜宮城までどのぐらいの距離があるのかわからないけど、途中で効き目が切れたりしたら大変だ。それこそおぼれ死んじゃうかもしれない。 「じゃあ、どうするんだよ」  迷人の質問に、わたしは黙って打ち出の小づちを取り出した。 「もう使っちゃうのか?」 「だって、他に方法ないじゃない。とにかく竜宮城にいかないと」  それに『浦島太郎』のおとぎ話って、『桃太郎』や『金太郎』と違って誰かと争う物語じゃないし。竜宮城に着いたら、美味しいご飯を食べながら歌と踊りを見て楽しく過ごすだけでしょ? これまでに比べたらあんまり難しいことにはならない気がするの。  そうと決めたら善は急げだ。打ち出の小づちを構えたわたしは、 「えいっ!」  と勢いよく振り下ろした。ポンッ! という小気味良い音が鳴り響き、現れたのは大きなカメ。 「さぁカメさん、わたしたちを竜宮城へつれて行って」  カメはゆっくりとした動きで首を伸ばしたかと思うと、かくんと力を失ったようにうなだれた。もしかして今、うなずいた? ゆっくりと旋回して、海へと向かって進み始める。前足と後ろ足を交互に動かして、えっちらおっちら。 「おっ、行くんじゃないか。乗ろうぜ」  迷人にうながされるものの……乗るってどこに? カメは大きいといってもせいぜい畳の半分ぐらい。普通に考えたら絵本で見た浦島太郎みたいに上にまたがるしかないんだろうけど、実際自分がやるとなると狭くない? しかもわたしたちは浦島太郎と違って二人だ。  しまったなぁ。どうせ海に潜るんならもっと大きくて快適そうな潜水艦でも出すんだった。 「早くしないと、置いていかれちゃうぜ!」  なんのためらいもなく、迷人はカメの上にまたがった。カメは抵抗もせず、何事もなかったかのようにえっちらおっちら前進を続ける。 「早くって、ど、どこに座ればいいの?」 「後ろでいいだろ」 「つかまるところないじゃない」 「オレにつかまれよ」  そんな普通に言われましても。  仕方なく迷人の後ろに並んで乗り込む。オレにつかまれって言われてもどこを掴んだらいいんだろ? とりあえず腰のあたりを両手でつかんでみる。  途端、迷人が「ばっ!」とふき出した。 「バカ、そんなとこつかむなよ! くすぐったいだろ!」 「じゃあどこつかめっていうのよ!」  仕方なく手を肩に移動してみる。これもこれで、なんだかなぁ。乗っているのが馬だったりしたら絵になるんだろうけど、カメだし。しかもえっちらおっちら、なかなか進まない。 「おい、カメ頑張れよ」 「カメさん、頑張って」  わたしたちはカメの背中の上から激励を飛ばし、それでもえっちらおっちらとたっぷり時間をかけて、ようやく海水に触れるぐらいのところまで来た。 「きゃっ!」 「冷てっ!」  海の水に肌が触れて悲鳴をあげるけれど、問題なのはこの後だ。このまま海の中に潜っていったら、息ができなくて溺れちゃいそうだけど――ところが水の中に入っても、不思議と苦しさは覚えなかった。 「すげえな。こういうことなのか」 「絵本の中だから、なんでもありなのかしら?」  水の中なのに、普通に呼吸ができちゃうし声だって出せちゃうの。感動よね。これなら溺れる心配はないけど、問題は別にあった。 「しっかしこれ、いつになったら竜宮城に着くんだよ?」  水の中に入ってもカメのスピードはほとんど変わらなくて、全然進まない。海の底はどこまでも続いているように見えるし、この調子じゃあ夜になっても着かないんじゃないかしら? 「二人乗ってるから?」 「あーそれもあるかもしれないな」  ふと、不安がこみ上げる。もしかしてこれも”本の虫”のイタズラってことはないだろうか? 「ねぇ、このままゆっくりしてたら、浦島太郎が先に帰っちゃうってことはないかしら?」 「なんだって?」 「だってもうとっくの昔に浦島太郎は竜宮城に向かってるでしょ? わたしたちと入れ違いになってもおかしくないじゃない。もしかしたらそれが”本の虫”のイタズラなのかも」 「そんなことになったら大変だ! 急がないと!」  とはいえ打ち出の小づちはさっき使ったばかりだし、あと残された手段といえば…… 「きびだんご!」  期せずして迷人と声が重なった。 「よしカメ、こいつを食うんだ!」  えっちらおっちら水の中を泳いでいたカメの口に、有無を言わさずきびだんごを突っ込む迷人。途端、ロケットでも爆発したようにカメの速度が上がった。 「おおぉぉぉぉーー!」 「きゃあぁぁぁっ!」  慌てて迷人の腰に両腕を回し、ぎゅっとしがみつく。いくらなんでも早すぎ! 振り落とされちゃう! 「ぜ、絶対離すなよぉぉっ!」 「も、もう、無理いいいいぃっ!」  忘れてたー! 鬼ヶ島に渡る時だって、あんなひどい目にあったばかりなのに! もう無理! 指がちぎれちゃう!  と思ったのも束の間、あっという間に透き通った海は光の届かない闇へと変わり、深く、深く、どこまでも深く、わたしたちを乗せたカメは突き進み、気づいた時には視界の先にキラキラと光るものが見えてきた。 「迷人、あれ!」 「竜宮城だ!」  ちょうど駅が近づいた電車みたいに、きびだんごの効果が切れたカメのペースも緩やかになり、えっちらおっちらと元の呑気なペースでわたしたちは光の中へと吸い込まれていった。
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