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子どもの頃から、何度も何度も絵本の中で見て来た竜宮城は、実際に目にすると何倍もきらびやかで、豪華だった。
お城をぐるりと囲む城壁まで、ピンクや緑、黄色に赤といった熱帯魚を連想させる明るい色で彩られていて、光の届かない海の底でも輝いて見える。
ホント、夢の世界だわ!
「はい、こちらでーす。停まって停まってー」
カメが門の前まで泳ぎ着くと、立っていた男の人がわたしたちを止めた。
「ようこそいらっしゃいませ。ここから先はカメの乗り入れ禁止なので、徒歩での移動をお願いします」
学生服にも似た詰襟に帽子をかぶった姿は、高級ホテルの入り口に立っているベルボーイみたいだ。あれ? 竜宮城の人ってタイとかヒラメとか魚なんじゃなかったっけ?
「ゆずは、降りろよ」
「う、うん」
迷人にしがみつくというか、後ろから抱きついたような恰好のままの自分の姿に気づいて、慌ててカメから降りる。それでも迷人の背中の温もりが残っているみたいで、なんだか体がムズムズした。
「本日はお二人様でのご来場ですね?」
「は、はぁ……」
「ご案内します。こちらへどうぞ」
男の人に案内されて、門の内側へと入る。思わず「うわぁ」と声が漏れた。竜宮城の庭には色とりどりのサンゴの林が広がっていて、可愛らしい小さな魚たちがその間を泳いでいる。光を浴びてキラキラ揺れる様子は、まるでわたしたちを歓迎しているみたい。その先には、真っ白い壁に金の飾りがついたとっても立派な建物。これが竜宮城かぁ。
入口にはカラフルな着物を着たきれいな女の人たちが並んでいて、わたしたちが行くと「ようこそいらっしゃいませ」と笑顔で迎えてくれた。
「すげーな。魚じゃないんだっけ?」
「わたしたちは元々は魚ですよ。竜宮城の中では、このように人の姿でいられるのです。ちなみにわたしは元々タイです。それでは宴会場へご案内いたします。こちらへどうぞ。お荷物を持ちましょうか」
赤い着物を着たタイのお姉さんは、迷人のデリカシーのない質問も軽く受け流し、先に立って案内してくれた。すごいなー。竜宮城って、どこかの外国のリゾートホテルみたい。
「ちなみに本日ですが、もうお一人お客様が先にお見えになられています。同室とさせていただきますので、あらかじめご了承ください」
わたしたちは黙って顔を見合わせた。先客ってきっと、あの人しかいないよね?
案内されたのは教室ぐらいありそうなとっても広い部屋。その真ん中で、数人の美女に囲まれて一人楽しそうに食事をする男の人がいた。
薄汚れた着物を着て、長い髪の毛を後ろで一つに縛ったその姿は……間違いない、浦島太郎だ!
「浦島さま、すみません。他のお客様がいらっしゃいましたので、こちらでご同室させていただきます」
「ああもちろん、いいですよいいですよ。どうぞこちらへ。楽しくやりましょう」
ヘラヘラと笑う浦島太郎。なんだか鼻にツンとくる匂いがする。もしかして、お酒飲んでるの?
「さぁさぁこちらへどうぞ」
浦島太郎の隣に立派なお膳とふかふかの座布団が用意された。すごい! 見たこともない美味しそうなごちそうがたくさん並んでる。
「これからお歌を披露しますよ」
「わたしの踊りも見て下さい」
きれいなお姉さんたちが素敵な歌や踊りをはじめるのを見て、
「これはめでたい! 何度見ても素晴らしい!」
と浦島太郎は手を叩いた。やっぱり酔っ払いだ。かと思ったら不意に横の迷人を向いて、お銚子を差し出した。
「ささ、どうぞ一献」
「ああ、すみません」
浦島太郎が注いだ飲み物を、迷人はごくりと一息に飲み干した。ちょっと迷人、それ、お酒じゃないの?
「ぷはーっ! うまいなこれ」
「そうでしょうそうでしょう。さぁもう一杯」
「すまねえな。浦島さんもどうぞ」
なんだかよくわからないけど、交互に注ぎ合っては仲良く飲み始める男二人。迷人も平気な顔してるってことはお酒じゃないのかしら?
それにしてもこの人、すぐ知らない人と仲良くなっちゃうんだから。運動おバカの神経はわたしには理解できないわ。
「ゆずは様も、お飲み物はいかがですか?」
「あ、すみません。わたしお酒は飲めないんで」
「こちらはお酒じゃありませんから、大丈夫ですよ。安心してお飲みになって」
赤い着物を着たお姉さんから飲み物を注がれて、試しに一口舐めてみる。甘くてさっぱりしてて、美味しい! 今まで飲んだどのジュースとも違う不思議な味! お父さんがいつも飲んでるお酒とは匂いからして全然違う!
「これってなんなんですか? 初めて飲みました!」
「サンゴの実をしぼって作った果物酢みたいなものです。お口に合って良かったわ。ぜひ楽しんで下さいね」
「はい!」
わたしは笑顔で応えた。竜宮城でおもてなしを受けるのは『浦島太郎』のおとぎ話通りだし、とりあえず楽しんじゃえばいいか。
※ ※ ※
――それからどれぐらいの時間が過ぎただろう。
歌や踊り、楽器の演奏のあとはお姉さんたちがいろんな遊びでわたしたちともてなしてくれた。箸の本数を言い当てるクイズや、扇子を投げて的に当てるゲーム、ジェスチャーでやるじゃんけんみたいなゲームなど簡単なものばかりだったけど、勝負が決まるたびにお姉さんたちは周りで盛り上げてくれるから、わたしたちは夢中になって競い合った。
「浦島、さすが上手いなぁ」
「迷人どのも、なかなか」
いつの間にか真っ赤な顔をした男子二人は、肩を組んでヘラヘラと笑い合ってばかりいる。仲良くなるのは良いけど、やっぱり様子がおかしい気がする。二人とも、酔っ払ってない? ひっく。……って、あれ? なんだかわたしも頭がぽーっとする気が。ひっく。
「ねえねえ、タイのお姉さん。ちょっと質問が」
わたしは赤い着物を着たタイのお姉さんに話しかけた。
「さっきのジュース……ひっく……お酒は入ってないって言ってたのに……ひっく……なんか変じゃないですか?」
「サンゴ酢はお酒なんて入っていませんよ」
「でも……ひっく……みんな酔っ払って……」
「ええ、酔いはしますよ。お酒は入ってませんけど」
にっこりと答えるタイのお姉さん。
えぇー! お酒は入ってないけど酔っ払うって、それじゃ意味ないじゃない! 『浦島太郎』にそんな設定あったかしら? それともこれも”本の虫”のしわざ?
いずれにしてもこうなってしまったらあとの祭りだ。男子二人もわたしも酔いが回って、頭はぼーっとするし体もだるくて動かない。
どおりで変に楽しくなっちゃったわけだ。たいして楽しい遊びをしていたわけでもないのに、こんなに愉快でたまらないのは自分でも不思議だったけど。
そういえば不思議なことって、他にもあった気がするなぁ。
そもそも得体の知れない”本の虫”を追いかけて絵本の中までやってきてること自体が不思議だけど。
そうそう。わたしたち”本の虫”を捕まえるために『浦島太郎』の世界にやってきたんだ。
せっかく着いたのにカメはいないし。打ち出の小づちでカメを呼び出したはいいけど、迷人がきびだんごなんか食べさせるから大変な目にあったし。でも竜宮城は想像通りこんなに楽しいんだからまぁいっか。
なんか忘れてるような気がするんだけどなぁ。ひっく。
「ねえ浦島さん、あなたいつからここにいるんですか?」
「いつ……いつだったでしょう? あなたがたが来るだいぶ前だった気がしますね」
「カメに乗ってきて、そのまま真っすぐここへ?」
「そうですそうです。ここにいるお姉さんがたがもてなしてくださって。もう夢のようですよ。まさか海の底にこんな素晴らしい世界があるとは」
ふーん、そっか。ひっく。わたしたちと一緒なんだ。真っすぐ宴会場に案内されて、飲めや歌えで楽しんで。ひっく。うーん、夢のよう。素晴らしい世界。
これなら『浦島太郎』が時間を忘れて楽しんじゃう気持ちもよーくわかるわ。ひっく。
あれ?
やっぱり何か忘れてる気がする。『浦島太郎』ってこんなお話だったかしら?
「じゃあ次は、オレが歌ってやるよ」
やおら迷人が立ちあがり、大声で歌い始めた。
「むっかしーむっかしー浦島はー、助けた亀につれられてぇー、竜宮城へ来てみればぁー、絵にもかけない美しさぁー」
「おぉ、これは素晴らしい!」
「即興とは思えませぬ!」
浦島太郎や周りのお姉さんたちは拍手喝さい、やんややんやと喜ぶ。よりによって『浦島太郎』の歌なんて、相変わらず運動バカだわ。ひっく。
「乙姫様のごちそうにぃー、タイやヒラメの舞いおどりぃー、ただ珍しくおもしろくぅー、月日のたつのも夢の中ぁー」
おっ、すごい。迷人二番なんて知ってるんだ。普通こういうのって一番しか覚えてないのよね。ひっく。わたし初めて聞いたかも。二番って乙姫様から始まるんだ。ふーん。
あれ? 霧に包まれたようなわたしの頭の中を、稲妻が走った。
――乙姫様?
「そうよ!」
突然立ち上がったわたしに、全員の視線が集まる。宴会場の中は一瞬にして静まり返ってしまった。
「乙姫様だわ!」
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