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桃太郎
見たこともない若草色の草原がはるか遠くまで広がる中を、キラキラと光を浴びながら縫うように流れる川。その先にはおにぎりみたいにこんもりした山がぴょこぴょこと並んでいる。
ぴーぴよぴよ。
一面の青空の下、どこからか聞こえてくる小鳥のさえずり。
「ここは一体……?」
わたしたちはビルの三階にある〈夢見図書館〉の中にいたはずなのに、全く違う世界へと一瞬にして移動しちゃったみたい。
初めて来たはずなのに、なんだか懐かしい感じがする不思議な風景だ。
「どういうこと?」
わたしの手の中には、お姉さんから渡された金ぴかの打ち出の小づちが握られたままだった。
夢でも見てるみたいにふわふわした頭で、さっきまでのお姉さんとのやり取りを思い出す。この打ち出の小づちの力で違う世界に飛ばされてしまったのかな? だとしたらここは――
「あの“本の虫”ってやつ、どこに行ったのかしら?」
視界を遮るものなんて何もない広大な原っぱを見回し、どんなに目を凝らそうともそれらしき姿はない。いったいどうなってるの? わたしたちは”本の虫”を追ってこの世界に来たんじゃないの?
「ゆずは、あそこに家が見える!」
「あ、待ってよ!」
言うが早いか、迷人は駆け出した。わたしも打ち出の小づちをリュックにしまいながら、後を追う。
まったくもう、考えるより動くほうが早いんだから。こういう時に運動おバカは困る。
藁ぶきの丸くて可愛らしいこじんまりとした家だった。わたしたちが着くよりも早く、中から人が出てくる。
背中にカゴを背負ったおじいさんが一人。
大きな桶を抱えたおばあさんが一人。
いくつか言葉を交わした後で、おじいさんは山へ向かい、おばあさんは川へとてくてく歩いていくみたい。
「これって……」
「むかしむかしあるところに、ってやつだよな」
わたしたちは顔を見合わせた。
この世界がもしわたしたちが知っているあの物語と一緒なのだとしたら、二人の向かう先には見当がついた。
おじいさんは山へ柴刈りに。
おばあさんは川へ洗濯に。
「どうする? 手分けして後を追うか?」
「ううん。あっちに行こう」
物語の展開を考えると、どちらかについて行くとすれば、当然おばあさんだ。
川に着いたおばあさんは桶を下ろし、川の水でじゃぶじゃぶと洗濯を始める。
サラサラと小川が流れる音と、ぴーぴよぴよと鳥の鳴く声。空には綿菓子みたいな雲が浮いていて、とってものどかな光景だった。
わたしたちは少し距離をとって、おばあさんの様子を見守る。わたしの予想が間違いなければ、きっとそのうち川上から、アレが流れてくるはずだ。
「来たっ!」
一見してそれとわかるピンク色の漂流物が見えて、わたしたちは飛び上がって喜んだ。アレは間違いなく、この世界の主人公となる桃太郎が入った大きな桃だ。
どんぶらこ……どんぶらこ……と音が聞こえてくる気がするぐらい、のんびりと桃は川を下ってくる。
「スゲーな。やっぱりオレたち、『桃太郎』の世界に来たんだな!」
迷人は興奮して言うけれど――あれ? なんだかおかしくない? ピンク色の桃が近づいてくるにつれて、その異常さに気づいたわたしは思わず悲鳴をあげた。
「ねえ、迷人、あれ……」
「ん? なんだよ? 桃太郎が入ってる桃だろ? あの桃をおばあさんが拾って……っておいおいおい!」
「ちょっと待って! あれ! 嘘でしょ!」
「でけええええぇぇ!」
遠目に見ただけじゃあ全然気づかなかったけど、流れてくる桃がとんでもなく大きいの!
昔話ではせいぜいおばあさんが両腕で抱えられるぐらいの大きさだったはずなのに、今流れてきた桃はわたしたちの身長の倍ぐらいある。あんなの、どう考えたっておばあさんには拾えない!
どうしようとパニックに襲われながら、お姉さんの言っていた「イタズラされる」という言葉を思い出した。もしかしてこれって、あの”本の虫”のイタズラなの?
「あんれまぁ、大きな桃だこと」
驚きの声を上げるものの、手を伸ばそうともしないおばあさん。そりゃあそうだ! あんなものおばあさん一人で取ろうとしたら押しつぶされちゃう!
でも……そのまま流されてしまったら最後、桃太郎は誕生することなく物語が終わっちゃうんじゃない? そうなったらこの『桃太郎』のおとぎ話はどうなっちゃうの?
「迷人、桃を止めなきゃ!」
「馬鹿言うなよ! あんなデカいの無理に決まってんだろ!」
「早くしないと、桃太郎が流されちゃう!」
迷人は大きく目を見開いた。わたしの言葉の意味にようやく気付いたようだった。
「桃太郎が流されるって……鬼退治どうするんだよ!」
「だからそれがメチャクチャになっちゃうってことでしょ!」
「そりゃあまずい!」
全速力で走り出す迷人に、わたしも慌てて後を追う。
「おばあさん、待って!」
「桃、待ちやがれ!」
近くで見る桃の大きいこと! そんな桃がゆっくりとはいえ迫ってくるのは怖かったけど、無我夢中で濡れるのもいとわず川に入り、両手を前に突き出して桃の突進に備えた。
ドォォォーンッ!
交通事故のような衝撃に身体を弾き飛ばされそうになるものの、
「うりゃあああぁっ!」
迷人が雄たけびをあげて蹴り返すと、巨大な桃は弾かれるようにして川岸へと転がり出た。おーさすがはサッカー少年! 持つべきものは運動おバカ!
「あんれまぁ」
口をあんぐりと開けて呆然としているおばあさん。良かった。なんとか桃を止められたわ!
「この桃を持って帰りましょう」
「おじいさんが喜ぶはずです」
頭からつま先まで全身ずぶ濡れになったわたしたちは、精一杯の笑顔で言った。
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