風雪の夜に

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風雪の夜に

 吹雪。  世界に帳が降りたような夜の闇に、一面の白銀が映える。  白と黒に覆われた世界に抗うように雪原を駆ける二つの影があった。 「足跡が残っている、こっちだ。宗助!」 「親父、これ以上は無理だ。ここから先は禁猟区、発砲禁止区域じゃないか!」 「村を荒らす獣を仕留めれば、そんなこと誰も気にしない!」 「むやみに銃を撃って、近くの住人に弾が当たったらどうする!?」 「バカをいえ! こんな吹雪の夜に外を出歩く奴がいるか」  宗助と呼ばれた少年の制止を聞かず、徹は手にした猟銃を何度も発砲する。  吹雪で一寸先の視界すらかすむ中で放った銃弾は、発砲音だけを残し虚しく闇に消えた。 「くそ、せめて視界さえ晴れりゃあ」 「もう川まで来ちまった。親父、これ以上の追跡は無理だ!」 「小川なんて、渡ればいい!」 「こんな薄い氷を渡れるもんか。獣の足跡だって見当たらない。この様子じゃあ川を渡らずに横道に逃げたのかも知れない」  なおも川に足を踏み出そうとする徹を、宗助は何度も諫めた。 「親父、氷が割れれば、川に落ちて命は助からないぞ」 「ちくしょう! あの大物を仕留めれば、村の奴らにまだまだ俺の腕が鈍っていない事を証明を出来たのに」 「もう戻ろう。この吹雪じゃ早く戻らなきゃ、踏み固めた道が埋もれちまう」  宗助の言葉に徹は肩を落として頷いた。  徹と宗助は、村で狩猟を生業にしている親子であった。宗助は小さいころに母を亡くし、それから父と子は互いに支え合って暮らしていた。  近年城下町では病が流行り、藩主は神仏の加護で城下を守ろうと、大規模な寺社を立てる事業を計画していた。  いたるところで森林の伐採が行われ、狩場が減った二人の生活は日を追うごとに貧しくなった。そこで、親子は副業として森でとれる木の枝を編み上げかごを作り、それを売りさばいて糊口をしのいでいたのである。  吹雪の夜に獣を追いかけた日から長い歳月が過ぎ去ったころ、二人の穏やかな生活に変化が訪れた。 「げほ! げほっ!」 「大丈夫か親父? 具合が悪そうだけど」 「なに、ちょっとした風邪だろうよ。どれ、森にいって枝でもあつめ、て……」  立ちあがった徹の大きな身体はぐらりと大きく揺れ、地面に倒れこんだ。  慌てて父を支えた宗助はその身体の熱さに驚愕する。 「なんて熱だ。待ってろ親父、すぐに医者呼んでくる!」  徹を寝床に運ぶと、宗助は急いで村の医者を呼びに走った。  宗助に連れられてやってきた医者が、徹の症状を一目見て首を小さく左右に振った。徹の病は、十年前からこの地域で騒がれている、祟り病という厄介な病気であるというのだ。 「嘘だろ? 親父があの祟り病だと!?」 「ヤキがまわったもんだな。祟り病といやぁ、患ったやつはどいつもこいつも血を吐いて死んでいくって話じゃねぇか」  徹は医者を帰らせると、大きく息を吐きかすれた声で言った。 「十年前、祟り病を鎮めるために寺がいくつも出来た。そのせいで森は減り俺達の仕事も苦しくなった。そのうえ、病を鎮めるどころか俺がその祟り病にかかるとはな。宗助、俺のことはもういい。俺はもう、おっかあのところに行く時なんだろう」 「バカ言うな親父。いいか、絶対に諦めるなよ。俺が薬でも医者でも探して来るからな!」  それから宗助は寝る間も惜しんで働き金をため、時間を見つけては近隣の村々を回りさまざまな薬を探し求めた。医学と名のつくものは祟り病と聞くと眉をひそめたが、民間では独自の治療法を模索する者たちも多いと聞いたのである。  ある日宗助は、最近川辺から村にやってくる女の魚売りが、不思議な薬を使うという噂を聞きつけた。いつも赤い布を首に巻いて魚を売り歩いているというその女性は、教えられた場所に行くとすぐに見つかった。  赤い布に華奢な後ろ姿。宗助は駆け足で彼女を呼び止める。  そして宗助は、その女と出会ったのである。 「そこの人。ちとよろしいか?」 「はい」  宗助は、振り返った物売りの女の姿に一瞬で心を奪われた。  カラスの塗れ羽のような黒いつややかな髪。憂いのある大きな瞳。そして細い首に巻いた赤い布が白い肌によく似合っている。  言葉を失って見惚れている宗助に、女はにこりと微笑んで歩み寄った。 「お兄さん、女の物売りは珍しいですか?」 「あ、いや。あまりに美しい方で、つい見とれて……」 「あら、お上手ですこと。ありがとうございます。でも、お世辞をくださっても品物はまけてさしあげませんよ?」  そういって品物が入ったかごを持ち上げてみせた女に、宗助は居住まいを正して用件を告げた。 「実はお尋ねしたいことがある。風の噂に、女性の魚売りが優れた薬を売っていると聞いた。それは、あなたではないか?」 「確かに少々の薬は扱っておりますが」  女性の言葉に、宗助は身を乗り出した。 「やはり薬を。父が祟り病なのだ。病に効く薬をお持ちだろうか?」 「それは、症状を見てみないことにはなんとも。お父様がいらっしゃる場所まで、私をお連れくださいますか?」 「是非、お願いしたい。俺……じゃない。私は宗助と言います」 「雫と申します。さあ、参りましょう」  宗助は雫と名乗った魚売りの女性をつれ、徹の待つ家に戻った。  雫は徹を見るとすぐに脈や体温、食事の量などを調べ、いくつかの薬を処方した。 「咳が激しく体温も高い。けれど体力のあるお方です。この薬を我慢してしばらく飲んでいただければきっと良くなるでしょう」 「それだけでこの病が?」 「身体の中で、なにかが暴れているように感じたのではないですか?」  雫の問いかけに、徹が頷いた。 「その通りだ。ひどく胸苦しいもので……」 「お身体が病を追い出そうとしている証拠です。滋養をつけ、身体の動きを助けるように薬をおだししました」 「良かった、ありがとう。それで、代金は?」  雫が枕元に置いてあった、徹が病床で編んでいたかごにそっと手を伸ばした。 「これは、とても立派なかごですね」 「俺と親父は猟をして生きているが、近年は動物も少ない。糊口をしのぐためにこうした内職をしている次第で、お恥ずかしい」  雫が顔をあげじっと宗助の顔を見つめる。 「……猟師を、なさっているのですか?」 「ああ。この村は猟もはかどらず、十年前から猟師はこの村でうちだけになってしまった」 「この村で唯一の、猟師の家……」 「おっと、それよりも代金はいかほどに?」  宗助の問いかけに、雫は一度目を閉じ微笑んだ。再び開いた瞳に柔らかな微笑みをたたえ、小さな手で持っていたかごを撫でた。 「では、このかごをゆずってくださいませんか?」 「それは構わないが、それだけで?」  首をかしげた宗助に、雫は自分自身が使っているかごを指差してみせた。 「魚を売る仕事はとても順調です。ですが、それを運ぶしっかりとしたかごがなく困っていました。今も水漏れがひどく、いつも難儀しているのです」 「それなら、俺や親父がつくったかごを使ってくれ。丈夫なのは勿論、木の皮を使ったかごなら水も漏らさない」 「まあ、すごいですわね。では月に何度か、かごを注文させてくださいませんか? それを代金とさせて頂ければ」 「喜んで。俺と親父の傑作を用意する。本当にありがとう」  雫の処方した薬を飲み始めてからというもの、徹は日を追うごとにかつての元気を取り戻していった。二人は雫に深く感謝し、雫もまた丁寧に作られたかごを毎月届けてくれる宗助親子と親しくなってゆくのであった。  季節は流れ、宗助たちの村に冷たい冬が訪れた。 「よし、出来た。今回のやつは傑作だぞ」 「もう出来たのか親父。へぇ、これはずいぶんと立派なかごだな」 「命の恩人に渡す品物だからな。力も入ろうってもんだ」 「せっかく親父の腕前に追いついてきたっていうのに、また引き離されてしまったな」  ため息をつく宗助に、徹は首を左右に振って笑う。 「そんなことはない。お前のかごは見た目にも配慮されている。俺の味気ないかごとは大違いさ。それに、お前にはこれの才能もあるようだしな」 「ああ、それは!?」  徹が一本の櫛を取り出した。丁寧に花の模様が掘り込まれた、美しい櫛である。 「宗助が櫛を作るとはな。雫さんに渡すのか?」 「なかなか渡すことが出来ないけど」 「男手ひとつで育ててきちまったからな。お前も俺に似てすっかり無骨者に育っちまった。けどな、あの子は美人だし気立てもいい。もたもたして逃がしたりするなよ」 「そうはいっても、どうしたらいいか」  頭をかいて俯いた宗助を、徹は大きな声で笑い飛ばした。 「そんなもん決まっている。気持ちを伝えて結婚を申し込めばいい。お前だってもう結婚していい歳だ。それに今の世の中何があるかわからん。お上は落ち着かないし、戦に流行り病にと世は物騒だ。後悔はないようにしておけよ」 「そうだよな。わかった」 「宗助、お前があの子が幸せにしてやってほしいと、俺は心底願っているぞ」  そんなやりとりをした翌日、雫が宗助の家にかごを受け取りにやって来た。  宗助は思いを告げる決心をして、櫛を懐にしまうと緊張した面もちで雫を家の裏に誘う。 「宗助さん、一体どうしたのですか。お顔の色がすぐれませんよ」 「雫さん、あの、その……ええとですね」 「どこか具合が悪いのでしょうか? 何かお薬をお持ちしますか?」  宗助の顔をのぞき込むようにして、雫が顔を寄せた。  緊張に震える手で雫の華奢な肩をつかむ。宗助は顔を真っ赤にして口を開いた。 「雫さん、俺、貴女のことが好きです。これを!」 「え、これは?」 「雫さんのことを思いながら作った櫛です。どうか、俺と結婚してください!」  真っ赤な顔のまま、宗助が懐にしまっていた櫛を差し出す。  雫はそれをはにかみながら受け取り、宗助の腕の中に身を預ける。 「嬉しい。私もずっと、宗助さんのことをお慕いしておりました。喜んで、あなたの妻になります」 「ほ、本当に!?」 「はい。ですがひとつ、お願いがあります」  そう言って宗助の腕の中で目を伏せた雫が、首に巻いている赤い布をそっと持ち上げた。 「この布を、いつか私自身が外すその時まで、どうかとらないで欲しいのです。どんな時も……例え、夫婦の契りを結ぶ時であっても」 「ち、契り!? わかりました。それで嫁になってもらえるのなら喜んで!」 「ありがとうございます、宗助さん。……いいえ、あなた」  二人はすぐに徹に結婚のことを報告した。徹は大いに喜び、目を潤ませて雫の両手を取って何度も礼の言葉を繰り返した。  雫には身寄りがない。宗助は父と子二人だけの生活だ。  婚姻の話はその場でまとまり、二人は晴れて夫婦となったのである。翌日には宗助と徹、雫によるささやかな祝言も開かれた。  夜。  宗助と雫は並んで囲炉裏の前に腰掛け、二人きりで見つめ合っていた。 「雫、こうして夫婦となれたこと、嬉しく思う。改めて、これからよろしく頼む」 「はい、あなた。よろしくお願いいたします」 「それにしても親父の奴、今日は友人の家に泊まるなどと」 「ふふ、お義父さまは気を利かせてくださったのですね」 「いつもながら、不器用な心配りだよ」  宗助が苦笑いを浮かべて囲炉裏に手をかざす。  外から、ごうごうと風雪のなる音が聞こえてくる。囲炉裏で勢いよく燃え盛る炎が、家の中に二人の影を大きく照らしだした。 「吹雪いてきたな」 「あなたはこんな日でも、仕事があれば猟に行くのですか?」 「いや、この時期は動物たちも眠りについている。滅多に狩りに出ることはない。ただ、何年も前の事だけれど、一度だけ行ったことがあった。その年は飢饉でね、ただでさえ村の人間は飢えているのに、数少ない農作物も獣に襲われてしまったんだ」  隙間風が囲炉裏の炎を揺らし、二人の影が小屋の中をうごめいた。雫が、肌を寄せ合うように宗助の身体にしなだれかかる。 「それで、その獣は退治できましたの?」 「いや、吹雪の中どこまでも追っていったが、運の悪い事に村で唯一の禁猟区にまで逃げ込まれてしまってね」 「逃がしてしまったのですか?」 「ああ。獣の走り去った方向に何発か散弾を撃ったのだけれど、結局届かずじまいだった」 「何発も散弾を? ……それは、禁猟区の中で?」 「ああ。村のためだったとはいえ、あれは……。うっ!?」  ふいに宗助は腹部に激しい衝撃を感じ、うめき声を漏らした。  顔をしかめて目を落とすと、身につけた淡い藍色の着物がみるみる赤く染まっていった。  横にいた雫が、いつの間にか赤い液体をしたたらせた短刀を握っている。その顔は、今まで宗助が見たこともないような冷たい表情であった。 「あの時、あの場所で銃を撃ったのは、やはりあなただったのですね」 「ぐっ……し、雫?」  宗助は左の脇腹を深く貫かれ、息も絶え絶えに夫婦となったばかりの女を見上げた。立ち上がった雫は夜叉のような瞳で宗助を睨み付け、怒りに手を震わせて叫んだ。 「あの時、あの場所で……私たち一家のすべてが狂ったのよ。思い知りなさい!」 「なにを、言って……」 「あの吹雪の日、私の父は流行り病で高熱を出し生死の境をさまよっていた。医者すら呼びに行く事も出来ない豪雪の中、せめて水を飲ませてあげようと家の外に出た母は、突然飛んできた銃弾に撃たれて倒れた。そして、母を助けようと家を飛び出した私も!」  雫はずっと首に巻いていた赤い布を外し投げ捨てた。  あらわになったその首筋には、黒い鉛の弾がいくつも食い込んでいる。 「そ、その傷は……」 「お前が撃った銃弾は母を殺し私を生死の境に追いやり、病の身で私たちを助けようとした父の命さえも奪っていった。この傷が癒えてから、私はずっと村にいるはずの仇を探していたんだ。私の家族を殺した、おまえたちを!」 「あのときの銃弾が、人に当たって……」  目を見開いた宗助が、激しく血を吐いた。あたりにはむせ返るような血液のにおいが充満していく。 「痛いか? 苦しいか? 私の両親はもっともっと痛かった、苦しかったんだ! 死ね! 死んで私の両親に詫びてきなさい!」  宗助の着物はすでにその大部分が赤く染まり、床にまで血が溢れ出していた。宗助は震える腕を伸ばし、散弾が埋まったままの雫の首にそっと触れた。雫の持つ短刀が、宗助の肩に食い込んでいく。  かまうことなく、宗助は雫を抱き寄せた。 「雫、ゆるせ……。頼む、助けてくれ」 「今更命乞いか!? 私の両親の命を奪っておいて! どうしておまえがあんなことを……。愛していけると思った! 全てが謎のまま消えてくれれば、このまま二人で幸せになれるかもと……。それなのに、どうして!?」  雫の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。  いびつに触れ合った二人の影がほんの一瞬、そっと重なった。 「すまない、雫。銃を撃ったのは俺だ。親父は、俺を止めたんだ。親父は、悪くない。だから、親父の命はたす、けて……」 「……わかった。銃を撃ったのがあなただというのなら、お義父さまに罪はない。お義父さまは殺さない」 「ありがとう、雫。愛して、いる。すまなかった。どうか、これからは……幸せ、に……」  そこまで言うと、宗助がその場に崩れるように床に倒れた。大量の血を吐きだした宗助が両手を広げ、涙に濡れた雫の目をじっと見つめた。 「雫、さようなら……」 「宗助……。私はあなたを愛していたのに。あなたがあの日、あんなことをしなければ……私たちはずっと……。宗助、どうしてなの!?」  雫は握っていた短刀を振り上げ、目の前の愛する男に向けて思い切り振り下ろした。赤い血しぶきが、雫の全身に降り注ぐ。温かい血は、雫を抱きしめるように溢れ出し、やがて次第にその熱を失っていった。  閉め切った家に朝日が降り注ぐ。  雫は一晩中、冷たくなった宗助を抱きしめ涙を流し続けた。  やがて雪を踏みしめる足音とともに、徹が家に帰ってきた。玄関の戸を引く音が真っ暗な室内に響いた。 「戻ったぞ。宗助、雫。二人とも、寝ているのか?」 「お義父さま……」 「雫、そこにいるのか。暗くて何も見えん。それに何かひどくにおう。木戸をあけるぞ」  徹が土間の木戸をあけた瞬間、朝の光が家の中に降り注ぐ。  夜の気配をはらんだ闇はたちまちに消え失せ、陽光の中、赤黒い池に溺れるようにして抱き合う二人の姿を映し出した。 「なっ、これは……!?」  かたまりかけた血の池の中で真っ白な顔をした宗助を、雫が膝枕をして抱きしめていた。言葉を失った徹に、うつろな目をした雫が静かに口を開く。 「私が、殺しました」 「お前が宗助を? なぜ、こんなことをした!?」  声を荒らげ、徹が履物も脱がずに床の間に駆け込んだ。雫の着物に手を伸ばし、乱暴に雫を揺さぶり問いただす。  雫は眉ひとつ動かすことなく、低く沈んだ声で徹に語りかける。 「十年前の吹雪の晩、お義父さまと宗助は禁猟区で発砲なさいましたね?」 「お前がどうしてそれを?」 「私と、私の家族はあの日放たれた銃弾に倒れ……。生き残ったのは私一人でした」  雫の言葉に、徹が息を飲みその場に崩れ落ちた。握りしめた両の拳を、思い切り地面に叩きつけ、声にならない声をあげた。 「なんということだ……。あの時の弾が人に当たっていただなんて。だが、なぜだ!? どうして俺ではなく、宗助を殺した!?」 「宗助があの場所で銃を撃ったからです。この人がそう言いました」 「バカな! あのとき宗助が止めるのを無視して銃を撃ったのは俺だ!」  必死の形相で叫ぶ徹の言葉に、それまで人形のように固まっていた雫の表情が豹変した。 「そんな……嘘です! だって宗助は何度も言いました、銃を撃ったのは俺だと。俺を止めたお義父さまはどうか助けてくれと、何度も……」 「宗助、何故そんなことを。最後の最後に、命をかけて俺をかばったのか。大馬鹿野郎が!」 「本当に、あの時銃を撃ったのはお義父さまで……宗助はそれを止めたというのですか?」  徹が全身を怒りと悲しみに震わせながら、かすかに頷いた。  雫の声にならない短い悲鳴が朝の陽ざしが差し込む小屋に反響する。 「宗助……!」 「これは俺の罪だ。雫、お前を恨むことは出来やしない。頼みがある」 「なんですか?」 「俺を殺せ。家族の仇だ、さぞ憎いだろう。だから、殺してくれ。お前に殺されれば、俺は宗助と同じところにいけるかもしれない。いや、なんとしてもいかねばならない! そして、あの世で宗助に全てを詫びよう」 「……」 「お前にも、本来は詫びるべきなのだろう。お前の人生を修羅のごとく変えてしまったのは、この俺なのだからな。だが、お前は宗助を殺した女。決して許すことなど出来ない。さあ、殺せ!」  短刀を握りしめた雫が、宗助を横たえ音もなく立ち上がる。  徹に静かに歩み寄っていく雫。古い床板が軋む、ぎぃっという音が数度鳴った。  向かい合う二人。  徹はひざまずいたまま、雫を見上げゆっくりと頷いてみせる。 「お義父さま、憎い……。私はあなたがどうしようもなく憎い。……だからこそ、憎いあなたに宗助を渡しはしません。死んであの人に会いに行くのは、この私です。これが、私の最後の復讐」 「雫っ!? やめるんだ!」  雫は持っていた短刀を首にあてがうと、自分の首を深々と切り裂いた。横に掻き切られた傷口から、鮮血が幾筋も噴きだしていく。  ぐらりと、糸の切れた人形のように雫の身体がその場に崩れ落ちる。  首筋から、溢れ出す血液とともに鉛の弾が数個、ころりと流れ落ちていった。丸い鉛弾は赤く濡れた床をすべり、宗助が雫に贈った櫛まで転がると、こつんと小さな音を立て止まった。 「宗助……愛して、る……」  喉を切り裂いた雫の小さな声は束の間狭い家の中を泳いだ。  川。  薄氷を押し流すように、水面が静かに動き続けている。  徹は、十年前の風雪の夜に訪れた川に、宗助の作ったかごをそっと放した。  かごの中には宗助の彫った美しい櫛と、雫が巻いていた赤い布が寄り添うように置かれていた。二人の思いを抱いたかごが静かに水面をたゆたい、遠く流れて消えていった。 
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