13人が本棚に入れています
本棚に追加
「矢神さん、入りますよ」
自宅に帰ってくるなり、部屋にこもったまま出てこない矢神に、遠野は声をかけた。
扉を開ければ、矢神は机に向かって、たくさんの書類とパソコンを眺めている。
「夕食どうしますか?」
「いらない」
軽く手を振っただけで、遠野の方を見向きもしない。悔しくなったので、部屋の中に入り、矢神の傍まで近づいた。
「でも、昨日も食べてませんよね」
「蒸し暑いせいか食べたくないんだ。昼に食ったからいいよ」
「……菓子パン一つじゃないですか。やっぱり夏休みの間もお弁当作ります」
同居するようになってから、昼の弁当は遠野が作っている。夏休みの間は作らなくていいと言い出したのは矢神だった。教師は、長期の休日を取るのは難しい。それなら、少しでも負担を減らしてやりたいという、矢神の気遣いなのだろう。
「面倒だろ? 夏休みだけでも楽してろよ」
「面倒じゃないですよ。矢神さんの健康の方が心配です」
遠野は矢神のことを思って、少しきつい口調で言った。すると、彼は眉間に皺を寄せてこちらに顔を向ける。
「なんだよ、もう若くないからって言いたいのか?」
「いや、そういうわけじゃ」
意図しない答えが返ってきたので、遠野は慌てて手を振って否定した。
「二、三日抜いたって平気だって。ダイエットにちょうどいい。最近太ったんだよ。おまえの作った飯、食ってるせいかな」
「それのどこが太ったんですか?」
どこからどう見ても細身のシルエットの矢神に、ため息が漏れた。矢神はお腹を擦りながら、苦笑を浮かべる。
「見えない部分がひどいの。だから、オレのことは気にしなくていいよ」
そう言って、再びパソコン画面に視線を戻した。
遠野は、矢神が本当に太ったのか、その見えない部分を確認したいぐらいだった。
そんなことよりも食事をしないというのは問題だ。気にするなというのが無理な話で、心配に決まっている。日頃の疲れも溜まっているのではないだろうか。
遠野は、絶好の機会がやってきたと思った。
最初のコメントを投稿しよう!