13人が本棚に入れています
本棚に追加
そして、花火大会の当日。
仕事が終わった後の夕方、二人は浴衣に着替えた。
帯が結べないという矢神に、遠野は綻びそうになる顔を引き締めながら、帯を結んであげる。
浴衣の上からでも矢神に触れられるのだから、嬉しくて仕方がない。また浴衣だと、本当に痩せているのがよくわかった。これで太ったなんて言うのだから驚いてしまう。
「杏さんって、男物、持ってるんだな」
矢神の言葉に、遠野は笑いを堪えることができなかった。杏の名前を出した時の矢神が、何とも言えない表情をしていたのは、このことを意味していたのだろう。
杏というのは、バーを経営している遠野の友人だ。男性だが、女装の趣味があり、店でも女性の姿をしている。その姿は、誰が見ても男性だとは思わないだろう。
「恋人に、男物の浴衣を着て欲しいとお願いされて買ったそうです。一度しか着てないそうですが」
「恋人って、男?」
「はい、男です」
「ふーん……」
矢神は微妙な表情を浮かべて、何かを考えているようだった。
杏から借りた浴衣は、グレーに黒の縞が入り、ところどころに紫色の細い縞も入っていてセンスが良い。白い帯も合っている。
帯が結び終わった後、矢神は自分の姿を鏡に映していた。なぜか納得いかないようで、首を傾げる。
「……何か、派手じゃないか?」
「そんなことないですよ。すごく似合ってます」
可愛い浴衣姿の矢神に、今すぐにでも抱きつきたいくらいだった。だが、冷静を装い、落ち着いた声で言った。
この姿が見たいがために、この計画を練り、杏にも浴衣を借りたのだ。それを知られるわけにはいかなかった。
その後すぐに、遠野も浴衣に着替え、リビングで待つ矢神の元に急いだ。
「それじゃ、出かけましょうか」
矢神が、遠野を上から下まで観察するように見た後、何か言いたげな顔をする。
遠野の浴衣は自前だ。白に近い生成り地で、薄いグレーの縞が入ったものだ。遠目では白の浴衣に見えるだろう。帯は落ち着いた紺色にした。
「オレ、おかしいですか?」
浴衣を見せるように手を広げれば、矢神はぷいっと顔を横に向けて、視線を逸らす。
「いや、別に……」
不思議に思ったが、あまり気にしないでおくことにした。
不安になって気分が落ち込んでは、もったいない。幸せな時間は、これからやってくるのだ。
最初のコメントを投稿しよう!