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 髪を引っ張られ、お風呂場の硬い床に思い切り体をぶつけたあの感覚を、今でも鮮明に思い出すことができる。けれども思い出してもいいことはないから、いつも、急いで記憶の底に沈めようと努めるのだ。  未だに水が怖い。名前に瑞という字が入っているにもかかわらず、水という液体への恐怖心が消えることは、あれから十年ほどたった今でも決してない。  あの日瑞樹は、クラスの子たちと遊ぶ約束をした。そして瑞樹の家を指定したのはその中でもリーダー格の女の子で、その子に言われたら誰も逆らえなかった。それは瑞樹とて例外ではない。  特に、かつて自分よりも立場が上の人に逆らうことに絶対的な恐怖を抱いていた瑞樹は、断りきることができず、家に案内した。そこに、勉強の約束を交わした母が待っているのは覚悟の上で。  そして彼女たちと楽しく遊んでいたら、母が部屋に入ってきた。瑞樹、ちょっと来なさい。瑞樹はみんなに「ごめんね、すぐ戻る」と言い残して席を立ち、大人しく母についていった。母に連れてこられたのはお風呂場で、約束を破るなんてどういうことなの、と怒られた。シャワーの冷水をかけられて。  そして瑞樹が動けなくなると、母は彼女をそこに放置して、友達の待つ部屋へと向かった。口紅が塗られた口で、綺麗な嘘をみんなに吐く。  ごめんねえ、瑞樹、具合が悪いみたいなのよ。朝からおかしいなあと思ってはいたんだけど、やっぱりちょっと、熱があがってきちゃって。  友達を家から追い出した母は、また瑞樹に冷水をかけた。  その日瑞穂は、確か六年生の仕事を手伝っていて、帰るのが遅れたのだ。
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