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第三話 下駄箱
登校時間にはまだ早い、早朝の下駄箱は喧噪や埃っぽさとは無縁の冴え冴えとした空気に包まれている。
「おはよう」
誰もいない昇降口で、しゃがみ込んで下駄箱の最下段に靴をしまう中塚に、金崎少年は朝一番の挨拶をした。
「……おはよう。早いね」
「病院の朝は早いんだ。だから早くに目が覚めるのが習慣になっちゃって。母親からはお年寄りじゃないんだからって呆れられてるよ。まだ寝てたいのに、子供に先に起きられちゃうと自分も起きないわけにはいかないから面倒くさいのかな」
金崎少年からすれば、自分はもう健康でなんの心配もないんだと体現する意味もあっての早起きなのだが、母親にはあまり伝わってないらしい。
「あれ?中塚さん、下駄箱の一番下って使いにくいから使われてないんじゃなかったっけ?」
担任の教師から下駄箱やロッカーなどの割り振りの説明を受けた際に、そのように言われたはずだった。
「ああ、うん、そうなんだけど、わたしの靴箱に入れておくと靴が水でびしょ濡れにされたり靴を隠されちゃったりするから」
事もなげに中塚は言った。
「へー、なんで?」
「なんでって……さあ?異世界に行くのにスニーカーなんて履いてたらおかしいだろって言ってたかな。裸足じゃないと変だって」
呆れたように中塚は肩をすくめた。
「なにそれ!!そんなのおかしいよ!!」
金崎少年は憤ったように声を尖らせた。
「別に、金崎くんが怒るようなことじゃ……」
「異世界行くのに裸足なんてそっちのほうが変だよ。紀元前にすでに世界最古の靴が樹皮を素材にして作られていたっていうし、どんな世界に行ったとしても裸足で生活するなんて危険すぎる。裸足で異世界に飛ばされたら逆チートも甚だしいよ」
怒っているのは間違いないのだが、金崎少年は中塚が思っていたのとは違う方向に怒りの矢を飛ばしていた。
「そう考えると確かに、自分が履いていた現代の靴の構造を元にして、異世界で画期的な靴を流通させることができるかもしれないね。一攫千金も夢じゃないかも」
「うんうん、冒険者にとって性能が良くて動きやすい靴はありがたいもんね。なんなら戦闘レベルが格段に上がる可能性もあるよ」
「武器とか防具とかには目が行きやすいけど、靴っていうのは案外盲点かもしれない。もし安く普及できるとしたら市場を独占できるかも」
異世界話に花が咲く二人。
「ふふ、うれしいな」
「なにが?」
「ほら、僕ずっと病院にいたからさ、こんな風に同級生と、それも異世界転生についての談義をかわすことなんてなかったんだ。ただ一人で異世界転生モノの本とか漫画を読み漁るだけだったから」
「そうなんだ……」
金崎少年の健康事情がよくわかってない中塚は、どんな言葉を掛けたら適切なのかがわからず上手く言葉がでてこない。微妙な空気が二人の間に流れかけたその時だった。
「あれぇ?中塚さん、どうして一番下の靴箱使ってるの?ちゃんと自分の場所にしまわなきゃダメなのに、勝手に場所変えたらまずいんじゃないの?」
早朝の澄み渡った空気を、濁り澱ませるような言葉を発したのは、本日の日直を任されている同じクラスの女子生徒だった。日直のためいつもより早い登校時間への苛立ちを、中塚にぶつけることでストレス解消を図ろうとしているようだった。
「え……でも別に、誰も使ってないみたいだし」
相手にするのも馬鹿らしいと心根では思っているものの、いきなり強く出られると中塚も怯んでしまう。指定場所以外の靴箱の使用許可を誰に取ったわけでもないので、自分の側に確かな利があるわけでない。弱気に出ると相手を調子に乗せてしまうことはわかっていたが、どうしても腰が引けてしまった。
「まずいんじゃないの?先生に言っちゃおうかなー」
ねばりつくような視線で中塚を撫でまわす女子生徒。
「異世界転生クーイズ!!!!!」
二人の間に割って入るように、金崎少年は言いはなった。
「な、なに急に。取り込み中なんだけど」
唐突にフェードインしてきた金崎少年を、女子生徒はつけんどんに除外しようとする。
「あっ、ごめんね。悪いんだけどさ、こっちも取り込み中なんだ。一日一回の異世界転生クイズの時間なんだ」
「なにそれ?わけわかんない」
「大事なことなんだよ。ちゃんと適切な時に適切なタイミングで聞いておかないと。僕の一生にかかわることなんだ」
そのあまりの見幕に、言ってる意味はわからないものの異様な迫力を感じてしまい、女子生徒は一歩引かずにはいられなかった。
「中塚さん、さっきの続きね。もし転生したはずの異世界で、安価で性能の良い靴を開発して流通網に乗せたい場合、そこが中世ヨーロッパ的封建制の社会体制が築かれていたとしたら、もっとも気をつけなきゃいけないことはなんでしょう?」
「……」
「わかんない?」
少し寂しそうに顔を曇らせる金崎少年。
「……ギルド、かな?」
その答えに金崎少年の顔はぱっと輝かせた。
「その通り!既存の市場を荒らしかねない新商品を流通させようとすれば、既得権の持ち主である靴職人ギルドだとか皮革ギルドなんかも黙ってないからね。勝手な商売をすれば、彼らに商売を潰されちゃうのは間違いない」
「お金を払って見逃してもらうのは?」
「うーん、けど手持ちがない場合もあるしなぁ。売り上げのうち何パーセントを上納するってことになるのかな」
「でもそれだと足元を見られちゃうよね。あっ、そうだ。安価で高性能な靴があれば嬉しい人たちも大勢いるはずだよね。冒険者ギルドなんかはモロに恩恵を受けるでしょ?だからまずそこに話を持っていって味方につけるのがいいんじゃないかな?」
「そっか。後ろ盾になってもらうんだ、強い武力をもってる人たちに」
「そういうこと!まず靴のサンプルを強そうな冒険者に提供して、その利便性を納得してもらって、その後で色々と交渉したりして味方になってもらえれば」
「そこでも足元見られないようにしないとね」
「うん。油断すればあっさり食い物にされちゃうからね。どんなことやるにしても根回しは大切だよ」
「なるほどなぁ、その手があったか」
「けど、それには海千山千を生き抜く交渉力が必要なんだよね。金崎くん、自信ある?」
「それは大丈夫でしょ」
自信満々に金崎少年は言い切った。
「どうして?」
「だって僕には、中塚さんがついてるから」
金崎少年の言葉には一切の虚飾がなかった。
「やっぱり間違いないよ。今日の異世界転生クイズも難なくクリアしちゃったし、僕は転生するなら中塚さんと一緒がいい!!」
臆面もない金崎少年の発言に、中塚は思わず顔を赤面させる。
「中塚さんはどう?僕と一緒だといやかな?」
「ちょ、ちょっとなに勝手に盛り上がってるわけ?そんなことより、まだこっちの問題は片付いてないんだけど?」
女子生徒は最下段にしまわれた中塚の靴を指さした。
「そっちの問題は片付いてるよ」
「え?」
金崎少年はしゃがみ込み、最下段の靴箱のひとつを開けて見せる。そこには男物の下足が一組、仕舞われていた。
「ここ、僕が先生に頼んで僕の靴置き場にさせてもらったんだ。もともと僕に割り振られた靴箱は長い間誰にも使われてなかったからなのか、中が錆びててすごく汚くなってたんだ。でも一番下の段は今まで誰にも使われてなかったみたいで新品同然のぴかぴか。だから先生にそこを使わせてもらえないかって頼んだら、特に問題ないって」
「……それで?」
「中塚さんの靴箱も錆びてるんだよ、何故か。ひょっとしたら誰かが悪さでもしたのかな?靴を水でびしょ濡れにさせたりとか……」
チラリと、女子生徒を横目でねめつけた。
「へ、へー。誰だろうね、そんなことしたのは」
心なしか女子生徒の声は上ずっている。
「それはともかく、僕が靴箱の場所を変えてもらったんだから、同じ理由で中塚さんが変えても何も問題ないはず。まあ一応先生に了承を取る必要はあるけど、これから行く?中塚さん」
「うん、そうしようかな」
「問題あるかな?」
にこやかな微笑みを浮かべて、金崎少年は女子生徒に言ってみせた。
「べ、別に。それならいいんじゃないの」
そう言い捨てて、すたこらと女性生徒は去ってしまった。これ以上深入りすると、面倒くさい自体に巻き込まれかねないと危険を感じたようだった。その撤退する姿は潔かった。
「どうする?先生への根回し、後になっちゃったけど一応やっておこうか?今後のことを考えると、話を通しておくにこしたことはないと思うけど」
「……でもわたしの靴箱、別に錆びてないし汚くもないよ」
水でびしょ濡れになった靴を仕舞っておくくらいでは、コーティング加工が施されている昨今の靴箱は錆びたりはしない。
「ああそっか。じゃあそうだな、靴箱の表面を削ってそこに塩水を振りかけておけばいいんじゃないかな」
「なるほど。化学反応だね。でもそれだと時間がかかるかも。最近だとバイクとかプラモデルにわざと錆加工を施すテクニックなんかもあるみたいだし、そっちのほうがいいかも」
「そうなんだ!それなら実際に錆びさせるわけじゃないし、そっちの方がいいよね。さすが中塚さん、ぬかりないなぁ。やっぱり一緒に転生するなら中塚さんで決まりだね」
「べ、別にこんなの普通だよ。ほらっ、武具とか道具を異世界で売り出そうとするなら、色んな加工とか研磨のテクニックが有効かもしれないからね。それより金崎くん。そんな簡単に一緒に転生する相手を決めちゃダメって昨日も言ったでしょ!そんなんじゃ金崎君、転生先で簡単にだまされちゃうよ。チョロ埼くんて呼ばれちゃうよ」
「えええぇ、そんな。そんなの困るよ、どうしよう中塚さん」
「だからもっと転生相手は慎重に選びなさい」
「……わかった」
「わかったならよろしい」
「じゃあ明日からも異世界転生クイズを続けていい?。チョロ埼にならないためにも、中塚さんがふさわしいかどうか試さなきゃ」
「……それは、まあ……仕方ないから……いいけど」
「やったー。よーし、練りに練った異世界転生クイズを今日は寝ずに考えるぞー」
実際に金崎少年は、次の日に出すための異世界転生クイズに思いをはせるあまりにほとんど寝られず、それが祟って次の日は遅刻ぎりぎりでの登校となってしまう。そのため早朝の下駄箱で中塚と会うことはなく、中塚がそのことを少しだけ残念に思ったことを、金崎少年は知る由もなかったのであった。
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