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第四話 給食
午前の学習時間終了を告げるベルが鳴ると、生徒たちは一斉に立ち上がり学内が喧騒に包まれる。そんななかで中塚は、今週の給食当番なので割烹着とマスクを着用し手早く配膳の準備をする。
一方の金崎少年はひそかに焦っていた。今日はまだ異世界転生クイズを中塚に出してない。その上いまだどんなクイズを出すべきなのかの見通しも全く立っていない。さらに午前中の全てがクイズ案を練ることに忙殺されてしまった結果、午前中の授業ノートを全く取っていない。とりあえずノートは誰かに貸してもらうとして、果たしてクイズ案とノート、どちらを優先すべきだろうか。やはりまずはクイズ案を確保してから、安心した心持ちでゆったりとノート作業に取り掛かるのがベストな選択だ、と金崎少年は結論づけた。
「さてと、なにやるにしても腹が減っては戦はできぬ、だよね。ご飯ご飯」
金崎少年にとって一日一回の異世界転生クイズは最上の喜びでもあると同時に、待ったなしの真剣勝負、食うか食われるかの本物の戦いなのだ。空腹状態で望めるような甘いものではない。スポーツ選手がエネルギーを補填するように、まずはしっかりと栄養補給をしなければならなかった。金崎少年は満を持して給食を取りにかかった。
「あーあ、なんだよコレ。俺のカレー超すくねーじゃん。俺、大盛りがいいんだけど」
カレー配膳担当の中塚に対して、男子生徒の一人が文句をぶつけている。その男子生徒は中塚と同様に割烹着とマスクを着用しているため、今週の給食当番のようだった。慣習として給食当番の給食はクラス全員の給食を配膳し終えたあと、最後に配られる。
「ご、ごめん。カレー好きな人が多いみたいで、大盛り希望する人が多かったから」
カレー鍋の底はすっかり見えてしまい、ほとんど空の状態だった。中塚は男子生徒の大盛要求になんとか応えようと、どうにかカレーをかき集めたのだが一人前を用意するのが精一杯だった。
「そこをどーにか調整すんのが給食当番の腕の見せ所だろ?最後まで上手く配分できねーんじゃ給食当番失格だろうが」
確かに男子生徒の意見ももっともだったが、それにしても今日はもっとよそってくれと大盛りをリクエストしてくる人数が異常だった。普段であればそれがどんなに自分の好物であったとしても、女子生徒などでおおっぴらに大盛り要請してくる人は限られているし、頼むにしても周りにばれないよう事前にこっそりお願いしておくケースが多い。なのに今日は、周りの目を気にして公然とは絶対に大盛り要求をしてこないような類型の人からまでも、中塚は大盛りを要望された。そのため盛り付けにも手間がかかりスムーズなカレーの提供が行えず、度々クラスメイトからはもっとちゃんとやれとクレームが入りっぱなしだった。
「ったく、カレーが人気なんてはなっからわかってたことだろ?頼むぜまったく」
男子生徒がちくちくと嫌味を浴びせる姿に、クラスのあちらこちらからクスクスと忍び笑いが漏れる。彼ら彼女らは結束して中塚にカレー大盛り作戦を仕掛け、中塚を困らせようという魂胆を持っていた。その作戦の成功にニヤニヤと満足げな表情を浮かべている。
「わりーのはお前なんだからお前のカレーがないのもしゃーねーよな。俺の分は絶対にやんねーからな」
給食当番の配膳は一番最後。特に自分の担当するメニューに関しては自分の分を一番最後によそるのが暗黙の慣習だった。なので中塚の分のカレーは最後にまわされ、そしてそのカレーはもうすっからかんだった。
「まあ幸いサラダと飯はたくさん残ってっから、山盛りサラダとてんこ盛りご飯で腹一杯だろ?」
それまで陰で笑っていた連中が、耐えきれないというように開けっぴろげに大笑い。するとそれに釣られるようにクラス中に笑いが伝播した。そんな中、真顔の金崎少年が、一人遅れて給食の配膳へと並んでいた。
「あれっ、ひょっとしてもうカレーないの?」
クラスに広がる嘲笑の波にいっさい飲み込まれずに、きょとんとした顔つきでカレー鍋を覗きこむ金崎少年。
「なんだよ金崎。いまごろきてもおせーぞ。もうカレーはねーから」
「え?ここにあるじゃん」
「それは俺の分なんだよ。お前にもぜってーやんねーからな」
「ええっ?でも中塚さんの分は?」
「ねーよ。中塚は自業自得だな。配分ミスしちゃったのが悪い」
「うーん、まいったなぁ。一杯のカレーを三人で分け合うわけにもいかないし」
「かけそばじゃねーんだからなんで三人で分けなきゃいけねーんだよ。ぜってーやらねーって言ってるだろ」
「でもそしたら僕らは食べるものがないよ。中塚さんと僕はひもじさを抱えたまま午後の授業に臨まなきゃいけなくなる」
「でーじょーぶだって。見てみろよ、サラダと飯はたくさんあっから」
カレーを大盛りする者が多かった反動だろうか。サラダとご飯は確かに二人前には多すぎるくらい残っていた。サラダはドレッシングで和えた生野菜の上に、甘辛く炒めたひき肉を添えるタイプのミートサラダだった。子供たちに人気のカレーをあえて肉抜きのベジタブルカレーにして野菜嫌いの子供たちにも野菜を美味しく食べてもらおうという狙いとともに、サラダの方に肉をいれることで生野菜も肉と一緒なら食べやすいだろうという献立上の配慮が窺えるものだった。
「でもさすがにサラダとご飯だけじゃ食卓が寂しいよ……ねえ中塚さん」
「ご、ごめん金崎くん。わたしのせいで」
自分だけではなく金崎少年にまで巻き添えを食わせてしまったことに中塚は申し訳ない気持ちで一杯だった。
「
いや中塚さん、これはむしろチャンスだよ」
金崎少年の目がキラーンと光った。
「チャンスってなにが?」
「ふふふ、ピンチの裏にチャンスあり。なのでなので、異世界転生クーイズ!!」
金崎少年はクラス中に響き渡るように高らかにクイズ開催の宣言をした。
「ええっ?いま?」
「うん。まさに今。今がぴったりなんだよ」
「でも、こんな皆が見てる前で」
「大丈夫。皆カレーに夢中で気にしてないよ」
気にしてないどころか今やクラス中がカレーそっちのけで、一体なにが行われるのかと二人に注目していた。あれほど自分のカレーに執着していた男子生徒すらも、カレーのことは意識から飛んでしまっているほどだった。
「じゃあいくよ?もしももしも、中塚さんが異世界に転生したとして、そこが食料に問題を抱えているとしたらどうその困難を乗り越えますか?」
「食料問題?それって食べ物が足りてないってこと?」
「うん。食料自給率が人口に対して足りてないんだ。かといって輸入などができる環境にもない。さて、どうする?」
金崎少年は挑むような視線で中塚を見た。
「……まずはやっぱり、現状の改善かな。肥料として使えるものはないか、灰をまいたり腐葉土を利用したり、豊かな人の肥溜めから糞尿をもらって堆肥を作るのもありかな」
「なるほど!お金もってる人の糞はいい物食べてるからその分栄養もいっぱいだもんね」
糞、という単語にクラスの女子たちは上品ぶったせせら笑いを浮かべているが、金崎少年も中塚もそんなことはお構いなしだった。さっきまで注目を浴びることに恥じらっていた中塚だが、いまや異世界転生先での問題解決にすっかりのめりこんでいた。
「二毛作とか輪栽式農業みたいにきちんと計画的な田畑の運用が行われてるかも大事だよね。他にも農具の改良とかも出来そう。田植え定規なんかだったらわりと簡単に作れるんじゃないかな」
「そっかー。そっち方面もありだね」
「あとはやっぱり新たな食材の開拓は重要だよね。そこで食べる習慣がないもの、食べられないとされてるものを食用へと生まれ変わらせれば食糧事情は大幅に改善されるんじゃないかな」
「例えば?」
「そうだなぁ。転生先の状況にもよるけどそれこそモンスターだって食べられるかもしれないし、昆虫系も栄養豊富なものも多いから外せない」
「おお、昆虫食は未来の食料問題を解決するひとつの手段として現代でも注目されてるもんね」
ゲテモノを見るような視線をクラス中から送られていることに二人はまったく頓着していない。
「海沿いの町なら藻類とか貝類とかで捨てられちゃってるものもあるかもしれない。毒があるからって理由で避けられてるもののなかにも、調理法次第では食べられるものがあるはずだよ」
「うーん、それはさすがにリスクあるんじゃ」
「リスクを恐れてちゃ腹は膨れないんだよ!金崎くん」
異世界を勇ましくサヴァイブする冒険者のように中塚は言い放った。
「か、かっこいいーー。やっぱり中塚さんだ!!僕が一緒に異世界転生するとしたら、中塚さんしかいないよー」
抱きつかんばかりの勢いで両手をあげて賞賛する金崎少年。
「そ、そんなことないよ。こんなの大したことないよ」
照れ隠しするように片目を覆う前髪を引っ張る中塚。その頬は真っ赤に染めあがっている。
「なるほど、食料が足りないなら新たな新規開拓か。そしてリスクを恐れてちゃお腹は膨れない……となると僕たちの食糧問題を解決するにはこれっきゃないね」
「えっ?」
と中塚が言う間もなく、金崎少年はサラダの入ったボウルを勇ましく持ち上げると、それを中身のほとんどないカレー鍋に投入した。
「ええっ?ちょ、ちょっと金崎くん、なにしてるの?」
金崎少年のとち狂った行為にはクラスメイトたちも目を丸くしている。
「見てよ中塚さん。カレーはないとはいっても、鍋の側面とか底にはよそわれずにこびりついたカレーが残ってるんだよ」
「それは確かにそうだけど」
「そのカレーの残りでこのミートサラダをコーティングしてあげると……なんということでしょう!!素敵なキーマカレー風なサラダの出来上がり。そしてこれをご飯に盛り付けてやれば、じゃじゃーん、キーマカレー風サラダ丼の完成だー」
グルメマンガの天才料理少年のように金崎少年は大見得を切ってみせる。気持ち悪ーい、なにあれ残飯みたい、という声はいっさい耳に入ってないようだ。
「さあ中塚さん、食べてみてよ。確かに見た目は微妙かもしれないけど、絶対に美味しいから」
ここで食べなかったら金崎の面目が丸つぶれになってしまうのは確実だった。中塚は意を決してスプーンを掴み、両目を瞑りながら決死の覚悟で金崎少年自慢の料理を口に放り込んだ。
「……お、美味しい」
ドレッシングの効いた酸味のある生野菜にカレー風味が以外なほどマッチして、甘辛キーマ風となったひき肉との相性もばっちりだ。学校のカレーは中塚には粘度が高く味つけが濃すぎるので、かえってさわやかな味わいでこっちの方が食べやすいくらいだった。ほんのりとしたカレー風味がついてるだけなので、サラダと混ぜ合わせてひんやりと冷めているがそれもまったく気にならない。
「やったー、ほら僕、ずーっと病院食だったでしょ?美味しいんだけどさすがに飽きちゃうメニューも多くてさ。よくこうやって色んな組み合わせで改良したりしてたんだよね。大失敗メニューもたくさんあったけど」
舌を出して笑う金崎少年。笑って応じる中塚。二人は笑いながら美味しそうにキーマカレー風サラダ丼をかきこんでいる。そんな二人を見ていたクラスメイトはようやく自分たちも食事の時間なんだということを思い出し、すっかり冷めきってしまったカレーの存在に気づいた。
「ま、まずい」
どこからともなく漏れてくるカレーの感想。給食のカレーは味が濃いので冷めるとしょっぱさが際立ち、粘土の高さは冷めにくさを考慮してのものだが冷めてしまうとそれが裏目に出て干からびたような触感になってしまっている。つめたさがまったく気にならないキーマカレー風サラダ丼とは対照的だった。
「ねえ中塚さん。おもしろいね。皆がカレーを食べてる中で、僕たちだけがちがうものを食べている。まるでここだけ、この二人の空間だけ異世界に転生しちゃったみたいじゃない?」
とんでもなく恥ずかしいはずのセリフだったが、確かに今二人のいる空間だけクラスから隔絶された違う世界にいるような錯覚を中塚は憶えてしまった。自分の舌が味わっている未経験の感覚も、その錯覚を後押ししているしているのかもしれない。どこか違う、新たな世界に二人だけでいるような。
「金崎くんが開発した新メニューで一番大失敗したものってなんなの?」
「イジワルだなー中塚さん。失敗作じゃなくて大成功した方を聞いてよ」
「だって気になるんだもん」
「仕方ないなー。僕ね、恥ずかしながらピーマンが苦手なんだけど」
「それはいけないね金崎くん。好き嫌いはよくないよ」
「でね、僕は病院で出るデザートのゼリーが大好きなんだ。だから思い切ってピーマンにゼリーを詰めてみたんだ。ピーマンの肉詰めにならってね。大好きなもので嫌いな物を相殺してやろうと思ったんだ」
蛮勇、という言葉が中塚の脳裏に浮かび上がった。
「結果は最悪。嫌いなものに大好きなものを相殺されちゃったんだ。ピーマン味のゼリーは最低だったよ」
「それはご愁傷様だったね。でもやっぱり金崎くん、好き嫌いしてたらりっぱな異世界転生者になれないから、ピーマン克服しなきゃだよ」
「そ、そうか。どこに転生するかわかんないもんね。ピーマンの盛んなピーマン世界に転生することだってありうるもんね。よーし、ピーマンを克服するぞー」
頑張ってね、と言いつつ中塚は、明日の給食の献立にチンジャオロースというピーマンが使われたメニューがあることを思い出し、金崎少年の分だけこっそりピーマン少なめに盛り付けてあげようと密かに思っていたのだった。
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