第五話 階段

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第五話 階段

 屋上。学校内でありながら、どことなく校内とは隔絶された特別な空間の趣がある場所へ金崎少年が向かうと、屋上へと至る階段を、しゃがみこんで丹念に拭き掃除している女子生徒が一人いた。 「あれっ、中塚さん?」  聞き覚えのある声に、中塚は振り返って顔を上げた。 「金崎くん。こんなところで何してるの?」 「中塚さんこそ……ひょっとして中塚さんも屋上が異世界へと繋がるゲートなんじゃないかと確かめるために」 「ち、違うよ。わたしはただ掃除してるだけ」 「なるほど。異世界へと繋がる階段=ステアウェイ・トゥ・アナザーワールドを汚すものは門番たる中塚さんが許さないと、そういうことだね?」 「なにがそういうことなのか全然わかんないよ。わたしは門番でもなんでもなくてただの掃除当番だよ」  金崎少年の独特なノリには慣れたつもりの中塚だが、それでもときどき振り切れたようにぶっ飛んでしまうのでそのテンションについていくのはなかなか大変だった。 「え?でも掃除当番だったら班ごとにやるはずだよね?他の人は?」 「担当場所が違うんだ。4階から屋上までの階段がうちの班の担当で、それぞれに割り振ってやってるの。わたしはここ担当」  他の班員たちは基本的に二人一組での割り振りとなるのだが、中塚は一人で行っている。 「うーん、でも僕はここにくるまでの間に4階も5階も通ってきたけど、誰も掃除してなかったけど」 「もう終わったんじゃないかな」 「そうなんだ。けど自分の分が終わったんなら、他の人のを手伝った方がよくない?だって最後に先生に報告しなくちゃいけないんだよね?班の全員で」  担任教諭に報告して了承を得ることで掃除終了という流れになっている。報告は班の全員で揃って行わなければならない。 「まだ終わってない人のを手伝った方が全体としては早く終わるから効率的だよね。ほら冒険者パーティーだって一人一人がそれぞれ別個にモンスターと戦うよりも、連携して戦った方がいいでしょ?俺の担当モンスターは倒し終わったから後はよろしくー、みたいなのじゃ全然パーティーの意味ないじゃん」 「それはそれで割り切った関係だと思えばいいんじゃないかな?」 「確かに冒険者パーティーっていうのはビジネスライクな関係性ともいえるけど、僕はやっぱりそういう相手に戦場で自分の背中を預ける気にはなれないかなぁ」 「でもあんまり相手を信頼しすぎるのもよくないよ。手ひどい裏切りをうけたり、巻き添えを喰らったりもするし。金崎くんも気を付けた方がいいよ。わたしはよくない菌をばら撒いてるらしいから。異世界に脳がやられる異世界菌。そんな人とは一緒に掃除なんて怖くてできないんだって」  自嘲するように中塚は言った。 「い、異世界菌。それってどういうこと?異世界菌に罹患するとどうなっちゃうの?」 「なんか異世界のことばっか考えちゃうようになるんだって。異世界中毒みたいな」 「ええ?ごめん中塚さん」  金崎少年は地面に頭をこすりつける勢いで中塚へと謝罪した。 「な、なんで金崎くんが謝るの?」 「ひょっとしたら僕が異世界菌の宿主かもしれない。だって僕、まさに異世界中毒みたいに常に異世界のこと考えてるから。だからもし中塚さんが異世界菌に罹患してるんだとしたら、それは僕がうつしたかもしれない」  その表情から冗談ではなく真剣に中塚のことを案じているのだということが窺える。 「そんなの違うよ。わたしだって金崎くんが学校に来る前から異世界のことしょっちゅう考えてたし」  むしろ金崎と出逢ってからは、中塚は異世界へと夢想する頻度は減っていた。 「そうなんだ。じゃあ僕ら、出逢う前から同じ世界に想いを馳せてたんだね。別々なのに同じこと考えてたんだ。離れてても出逢ってなくても繋がってたってことだね」  恥ずかしさで頭が沸騰しちゃいそうな言葉を、金崎少年はなんでもないことのように言った。そして続けざまに、 「異世界転生クーイズ!」  もはやお馴染みとなったクイズの開催を金崎少年は宣言した。 「金崎くん。そのファンファーレとかが後ろで鳴ってそうな感じの言い方はやめれないの?もうちょっとひっそりとっていうか、普通にクイズ出してくれるとありがたいんだけど」  今日は周りに誰もいないからよいものの、毎度毎度これでは人の目を惹いてしょうがない。 「えー、でもこの方が特別感あるでしょ?」 「でも一日一問だから土日を除いて毎日でしょ?そんなに特別感出さなくても」 「なにいってるのさ。僕にはこの中塚さんとのクイズタイムはかけがえのない、スペシャルなものなんだから、特別感出しても出し過ぎってことはないよ」 「お、大袈裟だよ」  といったものの、中塚にとっても金崎少年とのクイズタイムは特別なもので、実は土日はちょっと物足りなさを感じてしまってすらいた。 「じゃあ行くよ?もしももしも、中塚さんが異世界に転生したとして、そこでは感染症が広がっていました。さて、どのような対応が考えられますか?」 「……あまりに漠然としてるからなんとも言えないけど、やっぱりまずは環境面を整えなきゃね。汚れた環境でいいことなんてないんだから、まずはしっかりとした衛生対策。手洗いうがいはもちろん、使われている水が安全かどうかも調べなきゃね。あとはそう、寄生虫の可能性もあるし、食材のチェック調理法のチェックも欠かせない。中途半端に熱を通すとかえって菌が繁殖するケースもあるし。あとはそうだな、集団的な特定物質の栄養不足ってこともありうるよね。ビタミンが致命的に足りてないとか」 「有名どころだと壊血病だね。海賊団なら気をつけなきゃ」 「うーん、でもできることってそれくらいかな。抗菌薬とか抗ウイルス薬とかワクチンの開発ってなると付け焼刃の知識だけじゃどうにもならないもん。持ち込まないとか広げないとか増やさないとか、できるのってそれくらいかもしれない」 「中塚さんにしては弱気だね」  中塚の答えに金崎少年は物足りなさを感じているようだった。 「でもね金崎くん。わたしたち人間が病気とか、災害なんかもそうだけど、できることって限られてるんじゃないかな。それこそチート治癒魔法とかチートポーションとかそういう特殊能力でもあれば話は別だけど」 「それはそうかも」 「知識だけじゃどうにもならないこともあるんだよ、きっと。もちろんだからといって知識に意味がないってわけじゃないし、知恵だって絞れるだけ絞らなきゃいけないんだけど。でもなんでも解決できるっていうのは傲慢なんじゃないかな」 「うーん、なんだか考えさせられちゃうな。今回は僕の出したクイズに問題があったみたいだね」  異世界に精通した中塚であれば、異世界で起きるあらゆる問題や困難を解決してしまえるんじゃないかと考えていた金崎少年だったが、己の考えの浅はかさに反省しきりだった。例えこの世界とは違う異世界に転生したとしても、人間一人にできることは限界がある。万能なことなど決してない。中塚はそれをわかっている。けど自分はわかってるようでわかっていなかったのだと金崎少年は気づかされた。 「でもね、金崎くん。そんな限りある力しかもたない人間だからこそ、できることってあるんじゃないかな?」 「できること?」 「うん。わたしね、思うんだ。病気とか身体が弱ってるとき、心もそうかな。そういう色んな意味で人が弱っているときって、一番必要なことって、寄り添うことなんだと思うんだ」 「寄り添う……」 「病気のときって不安だし寂しいし心細いし辛いし、自分はどうなっちゃうんだろうって気持ちでいっぱいだよね。全然余裕もなくて」 「……」  自分の入院生活を覗き見ていたんじゃないかと思うほどに中塚の言うことがドンピシャで当てはまっていたので、金崎少年は狼狽を隠せなかった。 「だからこそ、誰かが横に、ただいてくれるだけで安心するんだよね。そんなに立派な治療ができるわけでもないし、一発で元気になる魔法の言葉をかけてあげられるわけじゃない。でもほら、手当てって言うでしょ」 「うん」 「だから痛いところに手を当ててあげるだけでもひとつの治療法なんだよ。あとは看病って言葉も、病を看るってことだよね。ただ横で看てるだけだとしても、やっぱりそれはひとつの回復に繋がるなにかなんじゃないのかな?」  中塚の読んだ異世界物の主人公は、異世界先で「言いくるめ」というチート能力を使って無双していたが、今の自分がやってるのはそれに近いものがあるんじゃないかと後ろめたさのようなものを憶えた。だとしても、いま自分が語ったことに嘘はなく、一人でいることの多い中塚が自分の実感として感じていることだった。きっと悪名高い中二病だって、誰かが横にいてくれれば全然へっちゃらな病気なんじゃないだろうか。中二になるまであと何年もある中塚は、そんな風に思った。 「す、凄いよ中塚さん。なんて凄いんだ中塚さんは。なにも解決してないようで、全てを解決しちゃったよ。そうだね、弱ってる自分の横に、なにも出来なくてもいてくれる人。そんな人だからこそ信頼できるし、信頼できる相手が寄り添ってくれたら、病気が治るかどうかはわからないけど、それってきっとその人は健康的でいられるんじゃないかな。僕だったら絶対元気になっちゃうよ」  金崎少年は基本的にいつも元気いっぱいだが、さらに元気パワーを注入されたかのようで、いつにもまして元気がありあまっているようだった。 「だから大袈裟だよ、金崎くんは。わたしだってこんな偉そうなこと言ってるけど、本当はやっぱりチート能力とかあったら楽なのになーって思っちゃうもん。万能ポーションとか作れたら大儲けもできるしいいなーって。回復も魔法でちょちょいのちょい、みたいな」 「なにを言ってるんだよ!!」  珍しく声を荒げる金崎少年。下の階にまで響き渡るほどの大声だった。中塚はその見幕に身体をびくっと震えさせた。 「ご、ごめん。やっぱりそういうのはルール違反…」 「中塚さんは……中塚さんが治癒系能力者のわけないじゃないか!!中塚さんはどう考えたって闇属性なんだから!!闇こそが中塚さんにはふさわしい。それ以外は絶対にありえないよ!!」  これだけは譲れないというように金崎少年は断言した。 「……いくらなんでも、それはちょっと言い過ぎじゃないかな」  決して闇属性が嫌いなわけではなく、むしろ大好物だったりする中塚だったが、ああも言い切られてしまうとなんとも飲み込みがたい想いに囚われた。聖なる光とかそういうのが似合わないのは重々承知のうえだけど、それでもなんだか納得がいかなかった。 「いーや、僕は絶対そう思うよ。それ以外なんてありえないよ。ちなみに僕は何系能力者かな?」 「……治癒系?」 「えーー、ヒーラーってこと?ヒーラーかぁ、うーんちょっとなぁ。できれば超絶火力をぶっ放す系のやつとかがいいんだけど。できれば口から火を出したい」 「そのイメージはないかなぁ」  クラスメイトの口から出てくる言葉にダメージを受け続けてきた中塚だったが、金崎少年の口から出てくる言葉には癒しというヒーリング効果ばかりを感じていた。だから金崎少年が口から他者を傷つけるものを放出するとはとても思えなかったのだ。 「えー、そうなの?僕のイメージって口から火を吐くイメージじゃないの?」 「そもそもそういうイメージの人こそ稀だよ。口から火を吐くのってドラゴンのイメージだもん」 「わかるわかる。さすが中塚さん、わかってるなー。よしっ、そんな中塚さんと一緒に、異世界へと続く階段=ステアウェイ・トゥ・アナザーワールドを昇って屋上にいざしゅっぱーっつ」  ガチャ、と屋上への扉を開こうとドアノブをまわす金崎少年だったが、鈍い手ごたえがあるだけでドアノブは回転しない。 「あっ、屋上は立ち入り禁止だから」 「そ、そんなー。せっかくの屋上が立ち入り禁止なんて、ぜんぜんわかってないよー」  異世界への扉が閉ざされた金崎少年の悲痛な声は、下の階にまで聞こえるほどに響き渡った。
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