第六話 美とは?

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第六話 美とは?

「あれ、中塚さん。どうしたの?」  休み時間、自分の席に戻ってきた中塚は、髪からは滴がしたたり、服もうっすらと濡れている。 「なんか蛇口ひねったら、爆発したみたいになっちゃって」  中塚が手を洗おうとしたら、水道に異常が生じて水しぶきをもろに浴びてしまったらしい。ハンカチでどうにか水を拭うのだが、とても間に合いそうにはない。 「それは災難だったね。これ、よかったら使ってよ」  金崎少年は鞄からハンドタオルを差し出した。 「え?そんな、悪いよ。汚れちゃうし」 「大丈夫。タオルなら予備のもあるし、ハンカチも2枚あるから」 「そうなの?どうして……」  はっとなにかに気づき言葉を飲みこむ中塚。決して身体が強くない金崎少年だけに、色々となにかと用入りな状況を想定してのことなのかもしれない。 「あ、うん。見て見てこのタオル」  金崎少年が嬉しそうに見せてきたのは、タオルの隅っこに刺繍された勇猛そうなキャラクターの図柄だった。 「これって確か」 「そう。あれだよあれ。あの作品の主人公」  異世界転生もの界隈では今話題沸騰中の、有名な作品の主人公のことを言っているらしい。もちろん中塚も知っている。 「こないだメディアミックスが決定してイラストも発表されたでしょ。それをもとに僕のアレンジも加えて作ってみたんだ」 「え?これ、金崎くんの自作なの?」 「そう。出来は60点くらいだけど、苦労して作ったからなんか愛着湧いちゃって。一応自分の使う用と、布教用にもう一枚持ち歩いてるんだ」  どうやらハンカチの方にも同じ刺繍が施されているようだ。 「そんな大事なもの使えないよ」 「なに言ってるの。中塚さんに使ってもらえるならこんな嬉しいことないよ。布教するにも一体誰にしていいのかもわからないし」  このクラスで異世界転生ものを推奨するような行為がどういう意味をもつのか、わかってないようで金崎少年なりには気にしているらしいことがその発言から窺うことができた。 「でも、やっぱり悪いよ」 「ほらほら、早くしないと風邪ひいちゃうよ。風邪を侮ると痛い目みるよ。転生する異世界次第じゃ命取りにもなりかねないもん」  説教まじりに金崎少年は、タオルで中塚の髪に滴る雫を丁寧に拭い取る。まるでプリンセスを世話する侍女のごときうやうやしさで。 「い、いいよ金崎くん。自分でやるから」    金崎少年からタオルを奪い取り、乱暴な手つきでごしごしと拭いていく中塚。すると金崎少年は再びタオルを奪い返し、赤子に接するかのような優しい手つきで中塚を整えていく。そんな二人の応酬がしばらく続いていると、 「あれー、どうしたの中塚さん。なんかびしょ濡れじゃん」  くすくすと忍び笑いを漏らす取り巻きを引き連れて、派手目な顔をした女子生徒が中塚に絡むように話しかけてきた。 「うわー酷いね、かわいそー。あっ、床まで濡れちゃってるじゃん。ちゃんと拭いとかないと駄目だよー中塚さん」 「……うん。ちゃんとやっておくから大丈夫。皆に迷惑はかけないようにするから」 「えー、でも水道のとこはびしょ濡れのまんまだったよ。あそこあのままにしといていいのかなー?」 「あれ?中塚さんが水道の前でびしょ濡れになってるとこ見てたの?だったらハンカチ貸してあげるとか、ちょっとくらい助けてあげればよかったのに」  嫌味の色をいっさい交えずに金崎少年は疑問を口にした。 「そ、そうだねごめんごめん。ハンカチとか鞄に入れたままで持ってなかったから」  皮肉まじりに言われたのなら好戦的な反応を返せたのだが、あまりに邪気のない言われ方に女子生徒としても梯子を外されてしまった。 「でもあれだねー。なんかそういう水にぬれた状態だと、中塚さんなんかいやらしいっていうか、男を誘惑できちゃいそうな感じだよね。なんて言うんだっけ、ほら、中塚さんの大好きな異世界転生系の世界だと、あっそうそう娼婦だっけ。なんか中塚さんてそういうのぴったりな感じー」  水にぬれて着ていた薄手の衣服が肌にぴったりと張り付いた状態の中塚を見て、蔑むように女子生徒は言った。続けさまに取り巻きたちがピーチクパーチクと追従する。 「なに言ってるの!!」  激しく噴火するような勢いで、金崎少年は広がる笑いを打ち消してみせた。 「な、なに急に?私たち、なんかおかしなこと言った?」 「言ったよ。おかしいにもホドがある。いい?娼婦っていうのはそれはそれは厳しい境遇の人たちなんだよ。なかには貴族相手の高級娼婦っていう立場の人たちもいるけどそんなのは一握り。稼いでもそのほとんどをお店に搾取されちゃう人たちもいて、経済状態はそうとうカツカツの状態だったんだよ」 「へぇ、そうなんだ」 「そうなんだよ。だから見てよ、中塚さんを。わかるでしょ?」 「なにが?」 「なにがじゃないよ。こんな中塚さんみたいにカワイイ娼婦なんてそうそういないよ。もちろん娼婦にも色々な人がいてピンキリかもしれないけど、それでも僕が思うに中塚さんは娼婦としてはちょっと可愛いすぎると思うな」 「な、ななな」  金崎少年による予想外の方向性からの擁護発言は、中塚はもちろん他の生徒たちにも衝撃をもたらした。 「そもそも方向性が違うんじゃないかな。娼婦としてはちょっと品がありすぎるから逆に人気が出ないような気がする。服の雰囲気も違うし、髪だってこんなに綺麗な黒髪はどうなんだろう?娼婦の人たちがどこまで髪の手入れに気を回す余裕があったかどうかも怪しいし」 「あ、服とか髪の話?そ、そうだね。詳しいことはわかんないけどそれはそうかもしんないね」  一切の照れなく中塚をカワイイと言い放つ金崎少年に度肝を抜かれていた女子生徒たちは、それがあくまで纏っている洋服や髪型に関することだと知ってひとまず安心したようだった。 「うん、だからつまり服とか髪とか一切合切、全てを含めた中塚さんっていう存在事態がカワイイってことだよ」  ここまで堂々と言われてしまうと、からかおうにもからかいようがなく、女子生徒たちは二の句が告げない。一方の中塚はもはや存在自体が干上がってしまうほど体温が急上昇し顔の赤みは最高潮にまで達していた。 「で、でも中塚さんって眉毛とかもうちょっと整えた方がよくない?肌だってもうちょっと日焼けとか気にした方がいいよ。あ、元がいいから気にしなくても大丈夫ーって感じなのかなぁ?」  嫌味ったらしく女子生徒は言った。かつてこの女子生徒から中塚は、スキンケアとかどうしてるの?と尋ねられ、素っ気なく特に何もしてないと答えたことがあった。もしかしたらその時の態度や返答が気に障ったのかもしれないと中塚は思った。 「ふむふむ、なるほどね。なるほどなるほど」  てっきりまた中塚を庇うのだろうと予測していた女子生徒は、金崎少年の同意を示すような反応に軽い驚きを感じた。 「異世界転生クーイズ」  金崎少年は恒例となった異世界転生クイズの開催を告げた。 「な、なに急に」 「もしももしも、異世界に転生したとして、その転生先の女性が美容の悩みをもっていたとして、一体どんな解決方法があるでしょう?」  いつもなら金崎少年の出す異世界転生クイズに興味をもつのは中塚だけで、周りにいる他の生徒たちはポカンと様子を見ているだけなのだが、この時ばかりは周りにいた女子生徒は興味を示すような姿勢を見せた。美容という話題は彼女たちにとって最重要トピックだったのだ。 「美容、かぁ。そうだなぁ。髪だったらハチミツとか卵白、オリーブオイルなんかを調合してトリートメント剤をつくることはできそうだね。オリーブ油と海藻灰を原料に石鹸もできるし。あとは、ヘチマ、アロエ、キュウリなんかは保湿効果があって肌に潤いを与えてくれるし、ハトムギはイボの除去とか美白効果があったはず」 「オーガニックだね。僕もオーガニックコットンのタオルにはお世話になってるよ」 「モモの葉にも保湿作用とか抗酸化作用があるから、モモの葉風呂はあせもとか肌トラブルにはぴったりだね。バラの香油はホルモンバランスを整えてくれて皺予防にも効果があるし」  中塚の答えに女子生徒たちは金崎少年以上に食いつく様子を見せ、中にはスマホを取り出しメモするような者すらいた。 「あとは場所によるけど、サボテンかな。サボテンには過酷な砂漠環境で生き残るために必要な抗酸化物質と水分が豊富に含まれてるし、なにより水分を体外に逃がさない圧倒的な水分保持力があるから、サボテンから抽出される成分は保湿効果にぴったりなんだよ。サボテンに含まれてる抗酸化物質のベタレインは、紫外線に晒されることで発生するシワとかシミを防ぐこともできるしね。さらにサボテンに含まれてるビタミンEとビタミンKはすごく濃度が高いから、乾燥による肌のくすみを和らげてくれもするんだよ」 「そうなんだ、知らなかった、サボテンって凄いんだね。僕だったら武器に使っちゃってただろうなぁ」 「他にはやっぱりハーブは欠かせないかな。肌荒れとか皮膚トラブルにカモミールなんかが有効だし、エルダーフラワーには整肌成分があって、ローズヒップは『ビタミンCの爆弾』なんて呼び名がつけられてるくらいだからね。」 「ビタミンCの爆弾!!ち、ちくしょう。なんてかっちょいい呼び名をもってるんだ。羨ましすぎる」  自分もボマー金崎とか呼ばれたい、と金崎少年はローズヒップに羨望の眼差しを送った。ローズヒップ金崎、なんてのもありかもしれない。 「他に意外なところだと、ウグイスの糞を乾燥させて粉にしたものは、小じわが取れたり肌のキメが細かくなって、肌のくすみが取れて色白になるんだよ」  糞ってありえなくない?キモいよねぇと女子生徒たちはあからさまに引いた態度を見せるが、 「バッキンガム宮殿にほど近い高級ホテル『ロンドン・ヒルトン・オン・パークレーン」のなかにあるエステでもウグイスの糞は使われてるくらいなんだから」  バッキンガム、高級ホテル、ヒルトンという単語に女子生徒たちは度肝を抜かれ、あっという間に彼女たちのなかでウグイスの糞は羨望の眼差しをもって受け入れられた。 「すごいよ中塚さん。やっぱり女の子だね。僕は正直、美容方面となると牛乳風呂とか海藻パックとか、その程度しか思いつかないもん。中塚さんがいれば美容方面はばっちりだ。やっぱり一緒に異世界転生するなら中塚さんで間違いないね!!」  にっこり笑う金崎少年。中塚は頬の火照りを悟られないよう顔を下に俯かせている。 「えーでも、いくら知識があっても実践してなきゃ意味なくない?中塚さん、自慢げに披露してくれた知識、実際にやってるのってあるの?」  美容という自分たちにとっての最重要トピックで、他でもない中塚に遅れをとっていることが許せない女子生徒は、皮肉をたっぷりまぶした高圧的な物言いを中塚にぶつけた。 「いや、実際にやってるのは……美白ビタミンって言われているビタミンCを豊富に含んだ緑茶を飲んでるくらいかな」 「緑茶ぁ~?なんかババ臭くない?」  いまどき緑茶って、と小馬鹿にするような態度で女生徒たちは笑いあう。 「知識があるのはご立派なんだけどさ、もうちょっと今風っていうか、ちゃんと現実的で実践的なのを憶えた方がいいと思うよ。なんだったらわたしたちが教えてあげようか?」  親切心、というよりは明らかに優越感が透けて見える女子生徒の申し出。中塚は無下に断ればまたやっかまれて棘のある言葉をぶつけられるのがわかりきっていたので、どう応じたものかか返答に窮した。 「うんうん、お互いに教えあうのはいいことだよね。オープンイノベーションだね。なんでもシェアしちゃう時代だもんね。でもね、大丈夫かな。君たちが実践してるっていう美容法は間違ってない?ちゃんと人に教えても大丈夫なやつ?」 「な、なにそれ。大丈夫に決まってんじゃん。皆やってるし」 「皆がやってるからって大丈夫とは限らないよ。そもそも肌とか髪って人それぞれ違うでしょ?体質ってやつは人によってマチマチだから、安易に人に勧めても大丈夫なのかどうかはおおいに検討する余地があると思うよ」 「ちょ、ちょっと大袈裟じゃない?」 「そんなことないよ。美は人を狂わせるからね。それが美に通ずるものだと一度信じてしまったら、人はどんなことだってやるんだよ。例えば中世ヨーロッパでは、病的に白く、か弱いことが女性らしいと信じられ、美白信仰が爆発したんだ。その結果、白鉛や水銀が入った白粉をべったりつけたり、血を抜いて顔を青ざめさせたり、ビールで顔を洗ったり、眉を剃って細くし髪の生え際を剃って髪を結い上げることで顔の白さを強調したりもしたんだよ。今の僕たちからみれば美容とは真逆の行為だけど、当時の人たちはそれが美につながると本当に信じてやってたんだ」 「そ、それは昔の話でしょ?」 「でも、今だって未来からみれば昔だよ。だから未来からみれば僕らのやってることなんて大昔の大間違いってこともあるんじゃないかな」 「そんなこと言ってたらなんにも出来なくない?絶対に正しいことなんてないんだから」 「うん、その通り!!だからね、もし異世界に転生したとして、その転生先で自分の方が知識や経験、知恵や情報に優れていたとしても、偉そうに披露したり見下すような態度で教授するんじゃなくて、その持っているものを共有するっていう態度で望むべきなんじゃないかなって話だよ。間違っていたり、上手くマッチしないミスマッチなことだってあるんだし、その方がなにかと反感を買わなくていいんじゃないかな?」  金崎少年の言い分に反撃の一手を繰り出してやりたいのだが、女生徒たちはなにも思いつかず押し黙るしかなかった。一方の中塚は、女生徒たちだけでなく自分も金崎少年にたしなめられているような気がして何も言えずにいた。 「だからね、これ、君にあげるよ」  女子生徒に金崎少年は自作タオルを差し出した。 「いや、別にタオルなんかもらっても」 「実はちょっと気になってたんだ。体育の時間の後にさ、タオルで顔拭いてたでしょ?でも君の使ってたタオル、少しごわごわしてたから、ごわごわタオルは肌と摩擦を起こしやすいから肌に刺激を与えちゃうんだ。肌は刺激を感じると刺激から守るために皺の原因であるメラニンを生成しちゃうから、美肌には大敵なんだよ。そもそもタオル自体が肌によくないって人もいて、肌のキレイな韓国セレブたちはタオルを一切使わないんだって」 「そ、そうなの?」  韓国セレブという単語に反応し、タオルをまじまじと見つめる女子生徒。 「どこまで本当かはわかんないけどね。でもごわごわタオルがよくないのは間違いないと思うよ。僕も病院生活が長かったからタオルにはすごくお世話になったしね。このタオルは一応、僕が使ってて一番肌に優しいって感じたタオルだから、どうかな?」  女子生徒の本心はタオルを受取りたかったが、他の女子生徒の目を気にして金崎少年から差しのべられたタオルに手を伸ばすことがためらわれた。 「い、いらないっ!!だいたい人の使ってるタオルをごわごわタオルなんて失礼でしょ!」  と言うと踵を返し、女生徒たちともどもその場から立ち去って行った。タオルを受取りたいという誘惑から一刻もはやく逃れるような足取りで。 「ち、畜生!!」  取り残された金崎少年は、自分のタオルが拒否されたことをことのほか悔しがった。 「しょうがないよ金崎くん。親切心が誰にでも受け入れられるわけじゃないから」 「失敗したー!!僕の自作タオルであの作品を布教するチャンスだったのに!!千載一隅のチャンスだったのにぃ」  異世界転生もの界隈では今話題沸騰中の、有名作品の主人公を刺繍した自作タオルで、異世界転生にまったく興味のない女子生徒を勧誘しちゃおうという目論見が失敗に終わったことを金崎少年は嘆いた。 「え、そっちなの?」 「ちくしょう、やっぱり僕のタオルの魅力をわかってくれるのは中塚さんくらいか。他の人は見る目がなさすぎるよ。だからはいっ、これ中塚さんにあげるよ」  一度女性生徒にあげようとしたものなので、なんだか彼女のお下がりのように見えて中塚はちょっとした反感を憶えた。 「うーん……どうしようかな?」 「ええ?中塚さんも受取ってくれないの?そしたらもう誰にも受取ってもらえないよ。お願いだから受取ってよー」  中塚は本当は受取ってあげたかったが、金崎少年の涙目が想いのほか可愛いかったので、いつまでもその涙目を堪能したいがために、二人のタオルの押し付け合いはしばらく続いたのだった。
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