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──蘭。
呼ばれた気がして、誠二さんを見上げる。
「ご両親や葵さんも、いつかは許してくれる」
時間が止まったかのように、私は動けないし、言葉も出ない。
なんとなく──誠二さんは知っているのではないか?と思っていた。
変わらず優しい誠二さんに、確信が持てなかっただけ。
「蘭は、このまま後を向きながら生きるのかい?それとも……」
逃げ場がないバムボートの上で、私は誠二さんを見つめたまま、浅く息をしているだけ。
普段と変わらない誠二さんの横顔が、船のライトに照らされて影を作っている。
──絶対に許さない。
葵の強い思いは、シンガポールまで追いかけてきた。
全てを失う日がきたと思った。
「新しい家族を築いていかないか?……僕と一緒に」
「えっ……?」
視線がぶつかり、互いに逸らさず見つめ合う。
海里に当てつけるように選んだ人だった。
結婚なんてそんなものだと馬鹿にしていた。
刺激的な刹那に麻痺していた私には、わからなかった覚悟がある愛情。
──この人は、私が欲しかった言葉をくれる人。
「……私でいいの?」
「あぁ、君がいい」
私はもう痺れなくていい。
シンガポールの船上を湿った風が通り抜け、私の涙を攫って行った。
END
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