痺れる熱帯魚

8/10
前へ
/10ページ
次へ
──幸せになれるなんて思わないで。  別人のような低く冷たい声が、私の耳朶に襲いかかった。  その言葉とは裏腹に、葵の息は熱くて不快だ。  心臓を一突きされたかのように、冷たさが足元から忍び寄る。 ──私はお姉ちゃんを許さない。 「葵っ!……あなた、知って──」  渇ききった喉が、言葉を留める。  頼りなげで、いつも私の後を不安そうに付いて歩く葵はもういない。  海里を得て、母になって、葵は強くなった。  どこか妹を侮っていた。  海里と自分の関係など、葵が気付くはずがないと。 「葵……私っ!!」  海里の腕を取り、去っていく葵にかける言葉などなかった。  世界一間抜けな顔をした花嫁の私は、蝋人形のように固まったまま披露宴を終えた。  シンガポールに発つ日、空港に葵夫婦は来なかった。  父や母の姿もなかった。  結婚式を終えてすぐ、葵は両親も巻き込んで、私と海里の不倫を暴露した。  葵の望みは離婚ではなく、海里との再生。  海里は一生、葵にもうちの両親にも頭が上がらないだろう。  私は、両親を失くし、妹を失くした。  家族を築いていく葵と、失くした私。  私に残されたのは、何も知らない誠二さんとシンガポールの暮らしだけだ。 「不自由はしていないかい?」  仕事が忙しく帰りが遅い誠二さんは、決まって朝にそう尋ねてくれる。 「日系のお店が多くて、不自由してないわ?」  
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加