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1 彼女に会いたい(斎藤武司の場合)
また、今日も人知れずコインロッカーに願いを託す人がいる。
斎藤武司は、『皆川七菜』と書いた紙をコインロッカーに入れ、鍵を閉めた。
(七菜に会いたい。お願いします)
七菜は、今も武司の心の中いる生涯忘れないであろう、とって大切な人だ。二人は、長い間同棲生活を送っていた。そして、二人の生活は、貧乏とは言わないがつねにカツカツな生活だった。
それと言うのも、武司は、アルバイトをしながら、ストリートやライブハウスで歌って歌手になるという夢をおいかけていた。そんないつまでも定職につかず夢ばかり追いかけている武司に呆れることなく、七菜はずっと武司を支えてくれていた。
武司は、七菜に申し訳ないと思いながらも、毎日が本当に楽しくて、この生活はずっと続いていくのだろうと漠然と思っていた。
しかしある日の事、七菜は、『さようなら』と書いた紙を残してアパートから出ていった。
武司は、突然七菜が家を出て行った理由が分からなかった。七菜に理由を聞こうと、携帯に連絡を入れたが、彼女は出てはくれなかった。
その後、友達に七菜の実家の場所を聞いて会いにも行ったが実際に会うことは出来なかった。
でも、ただ一回だけ、七菜から手紙が届いた。それには、今までありがとうの言葉と、これからは別々の道を歩いて行きたいとだけ書いてあった。その手紙から七菜は、きっといつまでも夢を追いかけている自分に愛想をつかしたのだと武司は感じた。だから、七菜を追いかけるのは彼女の為にも、諦めようと思ったのだった。
でも、数ヶ月後、そんな武司に届いたのは七菜が亡くなったという連絡だった。
(どうして…。七菜)
名前を入れた次の日、武司がコインロッカーを開けると、入れたはずの紙が消えていた。
「よっしゃ!」
武司は、コインロッカーの前で一人声をあげた。
あまりに大きな声をあげたからか、隣にいた老人に笑われてしまい、そそくさとその場を後にした。
そして最終日、最終電車を見送った午前2時、武司はホームに立っていた。
(頼む、来てくれ!)
武司が強く願っていると、目の前に電車がやってきてドアが開いた。驚いて固まっていると中からピンクのワンピースを着た女性が出てきた。
「こんばんは、私は案内人の加奈です。あなたが会いたい人は皆川七菜さんで間違いありませんか」
「はい」
「では、思い出の品をお願いします」
武司は、淡々と喋る案内人の加奈に、七菜とお揃いで買ったマグカップを渡した。
「マグカップですか」
「駄目ですか?」
「いえ、大丈夫です。では、この後の説明をします」
案内人の加奈は、マグカップをバックにしまうと、話を続けた。
「この電車の旅は、2時間です。あなたの会いたい人は隣の再会駅から乗ってきます。そして、いくつか二人の思い出の場所をめぐりながら電車の旅が続きます。様々な駅に電車が止まりますが、懐かしさなどから電車からホームに降りる事などないようお気をつけください。万が一に途中の駅で降りた場合、もう一度電車に乗り込むことは出来ず、ここに戻ってくることは出来ません」
「分かりました」
「また、お相手の方は一足先に、別離駅で電車を降りますが、ご一緒に降りることのないようお気をつけ下さい。お相手の方が下車後、また電車はこの夕が丘駅に戻ってきます。ここまでで、何か質問はありますか」
「いえ、大丈夫です」
「それでは、お気をつけていってらっしゃいませ」
武司が電車に乗り込むと電車のドアがゆっくりと閉まった。
電車はゆっくりと進みだし、やがてトンネルを通り抜けると、次の駅、再会駅に止まった。
すると、一人の女性が乗り込んできた。
「武司」
それは、ずっと会いたかった七菜に間違いなかった。
「七菜、会いたかった」
武司は、七菜を強く抱き締めた。
「武司、痛いよ。ひとまず座ろう」
七菜の笑顔はあの時のままだった。二人が座ると扉が締まり、電車は動き出した。
次に止まったホームには珈琲店と駅の名が書かれていた。
「あ!初めて会った場所だ」
駅のホームの向こう側に二人が初めて会った珈琲店があった。
「懐かしいな」
「本当にあの頃、武司はコーヒー大好きだったよね。毎日欠かさず一杯だけコーヒーを飲みにきてたもんね」
「そんな事もあったな」
「そう言えば、一緒に住み始めてから、武司はあんまりコーヒー飲まなくなったね」
「あっ…。実は俺、コーヒー苦手なんだ」
「え?だって…」
「あれは、七菜に会いに行ってただけだから」
「え…、そうなの?知らなかった。てっきり、好きになったのは私が先だと思ってたし」
俺達が恥ずかしさに赤くなっているといつの間にか電車が動きだしていた。
それから電車は、初めて二人でデートした場所や武司がストリートをしてる場所など様々な場所が現れた。
「冬の海でふざけて武司びしょびしょなったよね?」
「そうだっけ?」
「そうだよ。波から逃げる時に転んでさ」
「変な事ばかり思い出すなよ」
思い出話は尽きることなく、電車の中は笑いに溢れていた。それでも、終わりは確実に近づいていた。武司が時計を見ると残り時間は30分をきっていた。
「もう、残り少ないな」
「そうだね…」
「あのさ、どうして病気の事教えてくれなかったんだ。俺ってやっぱり頼りなかったかな」
武司が寂しそうに呟くと、七菜は首を横に振った。
「違うよ。あのね、あれは私のワガママだったの。もう病気が治らないって分かった時、武司には病気で死にそうな私じゃなくて、元気な姿の私を覚えて欲しかったの」
「でも、俺は最後まで七菜のそばに居たかった」
すると、七菜ははずかしそうに笑った。
「実は、私も本当は最後に武司にそばにいてもらえば良かったって思ってたんだ。だから、もう一度武司に会えて良かった」
武司は、七菜を強く抱き締めた。やがて、電車が別離駅に止まった。
「もう、降りなきゃ。最後に会えて良かった。私を呼んでくれてありがとう」
「俺も一緒に降りる」
「駄目だよ。私の心残りは武司の歌手デビューを見れなかったことなの。だからお願い私の願い叶えて」
「七菜…」
「じゃあね」
七菜は、電車から降りると振り返って笑顔で武司に手を振った。やがて、武司の前で扉がしまった。武司は手を振る七菜をずっと窓から見ていた。
「お帰りなさいませ」
案内人がホームで待っていた。
武司がホームに降り、後ろを振り返ると電車も案内人も消えていた。
「あれ?お客様、どうしました?電車終わりましたよ」
駅員に声をかけられ武司は、時計を見た。すると、時計の針は終電を見送った時の午前2時をさしていた。
(俺は夢を見ていたのか…)
でも、目を瞑るとさっきまでの光景が浮かんできた。駅から出た武司の顔は、何かを決意した表情をしていた。
そして、今日も彼は、ストリートで歌っている。止まる人が少なくても彼は、決してギターの手を止める事はなかった。なぜなら、それが恋人との最後の約束だからだ。彼は、ひたすら歌い続けた。
切なくも美しいその歌声が通りに響きわたっていた。
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