2 母に会いたい(篠山美香の場合)

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2 母に会いたい(篠山美香の場合)

 篠山美香は、コインロッカーに名前を書いた紙を入れ、鍵を締めようとしていた。  しかし、扉を閉める直前で一度手を止めた。そして、何かを紙に書き足し、改めて扉を閉め鍵をかけた。  ゆっくり進みだした美香の足取りは、明日の結果を楽しみに待っている人のようには見えなかった。まるで判決を待つ囚人のようにとても重かった。  次の日、空のコインロッカーを前に美香は複雑な顔をしていた。そして、しばらく立ち尽くす美香に誰かが声をかけた。 「大丈夫ですか?」  美香が顔を向けると、一人のおじいさんが美香を心配そうに見ていた。 「どこか具合でも悪いなら…」 「大丈夫です。すみません…」  心配そうに声をかけてくれたおじいさんに美香は会釈してその場をさった。  午前2時、美香の前に電車が止まる。中から出てきたのは、案内人の女性だ。 「こんばんは、私は案内人の加奈です。あなたが会いたい人はあなたの母親である篠山晴美さんで間違いありませんか」 「はい、そうです」 「では、思い出の品をお願いします」 「ちょっと待ってください」  突然止めた美香に、案内人は首をかしげた。 「何でしょうか。」 「あの私が会いたいのは、今の母ではなく、昔の母なんですが。」 「はい、ご要望は承っております。本日は、ご病気が悪化される前のお母様とご一緒に電車の旅をしていただきます」  案内人の言葉に美香はホッと息をはいた。 「わかりました。では、これが母が作ったポーチです」 「ポーチですね。かしこまりました。では、電車の説明をします。」  美香は、説明を聞くと、電車に乗り込んだ。やがて電車は暗闇の中をはしりだした。美香は椅子に座ると電車の外をずっと眺めていた。  そして、電車の景色はどんどん移り変わり、再会駅に人が一人立っているのが見えた。 (お母さん!)  美香は、待ちきれず席を立ち、ドアの前に向かった。そして、乗り込んできた母を思い切り抱き締めた。 「お母さん。私、美香よ。分かる?」  美香の必死な言葉に美香の母はおかしそうに笑った。 「当たり前でしょ。あなたは私の大切な娘なんだから、忘れるわけないでしょ」  母の言葉に美香の目からはたくさんの涙が溢れだした。美香の母は、しょうがないわねと呟きながら、泣き出す美香の涙をやさしく拭いた。 「さあ、どんな駅に止まるのかしら。楽しみね」  ニコニコと笑う母を見て、美香はやっと落ち着きを取り戻した。  次にに止まったのは、昔、通った幼稚園だった。 「あら!懐かしい。美香覚えてる?」 「もちろん覚えてるよ」 「あの頃の美香は本当に甘えん坊でね。入園してから1ヶ月以上ずっと泣いて先生を困らせていたわよね」 「そうだっけ?」 「そうよ。朝別れる時だってすごい泣くからお母さん帰りずらくて、先生に後ろを振り返らずすぐに帰ってくださいって言われたんだから」 「そうだったんだ。」  次は、ピアノ教室だった。 「お母さん、発表会の事覚えてる?」 「発表会?覚えてるわよ。美香の頑張って弾いてる姿可愛かったわ。」 「それじゃなくて。私が緊張して途中で止まっちゃって弾けなくなっちゃった時があったでしょ。その時、お母さんが観客席から「美香、頑張れ」って叫んだんだよ」 「あら。お母さんそんな事言ったかしら」 「言ったよ。まわりの人に変な顔されてもお母さんそんな事気にしないで叫んでた」 「いつも美香がピアノ頑張ってたからついつい叫んじゃったのかもしれないわね。それなのに、ピアノ教室、途中で辞めさせちゃてごめんね」  母は、悲しい顔をして美香を見た。 「しょうがないよ。お父さん、死んじゃったんだもん。」  父は、美香が小学校高学年の時に、事故で無くなってしまい、それまで専業主婦だった母が働きに出ることになった。それでも、やはり家計は厳しくて、今までのように習い事を続ける事が難しくなった。そして、ピアノ教室を辞めることになったのだ。  それから、母はずっと美香の為に働き続けてくれて、今日まで再婚することなく母と娘だけで頑張ってきた。 (それなのに、私は…) 「ねえ、お母さん。ごめんね」 「何謝っているの?」 「本当なら、ずっと私が家で面倒みないといけないのに」 「なんだ、そんな事。もしかして、私の病気はもうすごい進行してるの?」 「うん。もう私の事分からない」 「そっか。ごめんね、美香。辛かったね」  美香は、首を振った。  美香の母親、晴美は、若年性の認知症になり、気がついた時には病気はかなり進行していた。  少しの物忘れが、道に迷うようになり、やがて徘徊するようになってしまった。とうとう日中、仕事で家を空ける美香では無理な状態になり、施設へと入所することになった。 「昔、あなたが社会人になりたての時に約束したでしょ。もし、私が介護が必要になったら施設でも病院でもどこでもいいから預けなさいって。あなたが私の介護の為に潰れてはダメよって」 「でも、お母さんは私の為にあんなに働いてくれたのに。それなのに私は…。ごめんなさい。頑張ったけど、出来なかった」 「もしかして、私に謝る為に呼んでくれたの?」 「うん」 「おバカね。私は、あなたが苦労する方がずっと辛いわ。あなたは優しい子だからいっぱい悩んで決めてくれたんでしょ。それだけで十分よ」  母は、美香をぎゅっと抱き締めていた。    電車は、とうとう別離駅に着いてしまった。 「お母さん、毎週会いに行くから。お母さんが私の事全然分からなくても必ず会いに行くから」 「ありがとう。お母さんも待ってる」  美香は、母親の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。 「お帰りなさいませ」  駅に着くと、案内人が立っていた。 「ありがとうございます。母と会えて本当に良かったです」  美香は、案内人に頭を下げた。  そして、頭をあげると目の前から電車と案内人の姿が消えていた。 「お母さん、来たよ。」  あの電車の旅から数日後、美香は、母親の元へとやってきた。 「晴美さん、今日はずっとご機嫌でさっきまで歌っていたんですよ」  担当の介護士さんが教えてくれた。 「お母さん、歌を歌っていたの?私も聞きたいな」  すると、母親はニコニコ笑いながら、「春が来た」を歌ってくれた。 「春がきた、春がきた、どこにきた。私のかわいい美香ちゃんのところにやってきた」 「お母さん、上手」  美香が、声をかけると母は美香を見てにこりと笑った。 「あなたにも、お花あげるわね。はい、どうぞ」  そう言って、母は折り紙で折った花を美香に渡してきた。 「お母さん、ありがとう。お花綺麗ね」  泣き出す美香の頭を母は優しく撫でていた。
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