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3-2 妻に会いたい(安藤宏太の場合)
志保は、妊娠中にある病気が見つかった。その病気は、すぐに命に関わるものではなかったが、医師は、今回の妊娠を諦め、治療を選択するべきではないかと彼女に言った。
しかし、志保は治療ではなく妊娠継続を望んだ。
それというのも、志保は、もともと体が弱く、今回も妊娠を希望してから、確定するまでにかなりの時間がかかっていた。だから、治療後、本当にまた妊娠出来るかわからないと、すぐの治療は拒み、出産後の治療を望んだ。
宏太は、それに対して、すぐに治療をしようと志保を何度も説得したが、志保は首をたてには振らなかった。
そのたびに、二人は、それについてたくさん話し合った。時には喧嘩になることもあったが、決して志保は譲らなかった。そして、ついに宏太が折れることになり、二人は出産後すぐに治療出来るよう大学病院で出産をすることに決めた。
妊娠期間は、細かに病気の様子を確認しながらとなったが、何とか出産までこぎつけることが出来た。
その日、宏太は、帝王切開の為、手術室に入る志保を見送っていた。
「宏太、行ってくるね」
「うん、頑張って」
「いいな、宏太は。すぐ赤ちゃんに会えて」
志保は、病気のこともあり、全身麻酔での出産が決まっていた。
「志保も麻酔が覚めればすぐ会えるよ」
「そうだね。楽しみにしてる」
それが、志保の生きている最後の姿になった。
手術室に入ってしばらくすると、元気な産声が響き、手術室の外に赤ちゃんが運ばれてきた。それはとっても可愛い女の子だった。
そして、志保は、赤ちゃんを取り出した後、すぐそのまま病気の手術に入った。しかし、手術中に心配停止となり、そのまま志保は赤ちゃんの顔を見ることなく亡くなってしまったのだ。
「ねえ、宏太。育児はどう?ちゃんと誰かの力を借りたりしてる?」
「うん。母さん達に助けてもらいながら何とか。週末には志保のお父さん、お母さんも美保に会いに来てくれてるよ」
「そっか...安心した。宏太不器用だから心配だったんだよね」
「何とかやってるよ」
宏太がそう答えると、志保は外を見ながら言った。
「もう、電車、別離駅に着いちゃうね」
「そうだな」
「ねえ、一つだけお願いしていい?」
「なに?」
「美保が大きくなって自分の母親の命日と誕生日が一緒の事に悩んだりしたらちゃんとあの子に話をして欲しいの。美保は、たくさんの人に望まれて生まれてきたんだよって。お母さんが死んだこととあなたが生まれたことは何にも関係無いんだって」
「志保…」
「お願いね」
「分かった。約束する」
やがて、電車は別離駅に着いた。宏太は、美保の写真をアルバムから一枚取ると志保に渡した。
「これ、持って行って」
「いいの?ありがとう」
「俺、頑張るから。ちゃんと美保の事、育てるからな」
「うん。宏太ならきっといいパパになれるって信じてるよ。でも、無理は禁物よ。辛くなったらまわりを頼る。約束よ」
「分かった」
志保は、その言葉を聞き満足そうに微笑んだ。そして、電車の外に出る前に宏太の方を向くと抱きついた。
「宏太…。私、幸せだったよ。美保の事、一回もだっこ出来なかったけど、子どもを諦めかけていたのに、10ヶ月もあのこが私のお腹の中にいてくれたんだもん。これで幸せじゃなかったって言ったら怒られちゃう。だから、宏太も自分を責めちゃ駄目だよ」
志保は、宏太から離れると、バイバイと手を振ってホームに降りた。
すると、ドアがすぐに閉まり電車が走り出した。宏太は、泣きながらドア越しに志保の名前をずっと呼んだ。そんな宏太に向かって志保は、涙をこらえながら手を振っていた。
宏太は、出発した夕が丘駅に戻ってきて案内人に迎えられてもその涙を止めることは出来なかった。
宏太は、あの日志保と一緒に見ていたアルバムを今はひざに美保をのせて一緒に見ていた。
一枚だけ空いたスペースが唯一あの日の事は現実だと思わせてくれた。
「パパ?」
宏太は、我にかえると美保が、不思議そうに宏太の顔を見ていた。
「美保、今度ママにお花を買って会いにいこうな」
そういうと、宏太は美保をぎゅっと抱き締めた。
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