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「恥ずべきことを平気で行う様……か」
稚依子の本棚から辞書を取り出し読み上げる。……いや、俺より稚依子のほうがハレンチじゃないのか。俺の裸を想像しといて何だこの言種は。パタンと辞書を閉じて棚に戻す。
もういい。忘れよう。どうせ人間と分かり合えることなどできないし、する必要もない。キッチンでいつも通りコーヒーを淹れて、ゆっくりとソファに座った。一口啜ると良い香りがスッと鼻から抜けていく。最高に美味い。
いつもなら、この美味さに稚依子との些細なやりとりなど気にならなくなるのだが、今日は違った。なにやらモヤモヤとした感情が晴れない。稚依子が最後に見せた泣きそうな表情がなかなか頭から離れなかった。
「なんなんだこれは。こんなこと魔界ではあり得なかった」
考えても仕方がないことを、いつまでも考えているなんて。無駄すぎる。こんな無駄なことに時間を費やして何になるのか。天井を見上げて、ストレスを吐き出すかのようにフーっと息を吐いた。
人間界にいるから、人間的な思考が移ってきてしまったのか?それとも稚依子自身に原因があるのか?再び彼女の悲しそうな顔が浮かんできて頭を振る。
……ここを離れた方がいいのかもしれないな。契約してしまったからといって、常にそばにいなければいけないわけではないだろう。一人で契約解除の方法を探し、必要であれば彼女にまた会えばいい。そうすればこんな風に無駄なことに頭を使うこともなくなるだろう。
このコーヒーを飲み終えたら家を出よう。そう決心してカップを持ち上げると、いつかの彼女のセリフが聞こえてきた。
『ベルさんの大好きなコーヒーも売ってますよ。いろーんな種類の!』
そういえば、このさらに美味いコーヒーに出会えたのは、稚依子のわけのわからん提案に乗ったからだった。というかそもそも、俺がこうして人間界で食事ができていること自体、彼女のおかげだ。他の人間だったら、こんな展開になっただろうか。
真っ黒なコーヒーを見つめる。そもそも彼女に俺を助ける義務はないはずだ。最初はそのことに驚いていたのに、いつのまにか当たり前だと思い甘えてしまっていたようだ。
なかなか契約解除についての情報が入ってこないことに焦りを感じ、稚依子にあたってしまっていた部分もあるかもしれない。
「……情けないな」
もちろん人間界の服を着るのは死ぬほど嫌だ。が、それをしないことによって稚依子との関係が悪化してしまうなら、その方が嫌だと感じる。
この俺が、自分のプライドより人間との関係性を優先する日が来るとは。……何が起こるかわからないもんだな。とりあえず、稚依子が帰ってきたら自分から話をしてみよう。小さく笑って再びコーヒーを啜った。
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