差し伸べる手、離せない手。

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 夜、ふと酒が飲みたくなった。冷蔵庫を開けてみたが中は空っぽだった。……そういうや最近は仕事続きでまともに買い物に行ってなかった気がする。 「外、行くか……」  酒もだが食料も買いに行かないと明日以降食べるものがない。重い腰を上げ、財布とスマホをポケットに突っ込んで家を出た。 「げ……マジか」  玄関を開けた俺は思わず声がでた。外は大雨だった。最悪……こんな時に外に出るとか正気じゃない。溜息がこぼれる。……急いで行って急いで帰る。それだけだ、それだけ考える。玄関先に立てかけてた傘を手に雨の中へと飛び込んだ。  近所のコンビニまで十分くらい歩かないとたどり着かないのは不便だ。ちょっとしたものを買いに行くのも億劫になる。……まぁ、だからこそこんな雨の日に買いに行かなきゃならないくなってるんだが。  特徴的な看板が暗い夜道を煌々と照らすのが見えてきた。目的地に着いたようだ。俺は傘立てにビニ傘を突っ込んで中へ入る。 「(ビール数本とチータラと……あとなんか、適当に食うもの……。そういや後輩が新商品のチューハイが意外といけたっていってたな。あれも一本買ってみるか……。……?)」  冷蔵のエリアで物色しているとものすごい轟音が響き渡った。雷か? 音からしてそこそこ近くに落ちたようだ。 「……え?」  そう思った瞬間、あたりが急に暗くなった。見上げると電球が切れている。……停電か? 外を見ると家の明かりや街頭も消えている……ここだけじゃなくてこのエリア全体が落ちているようだ。 「ひゃっ……っ!」 「……?」  静かな店内で小さな悲鳴が聞こえてきた。女の人の声だ。あたりを見回すと雑誌コーナーで誰かがうずくまっている。……明らかに様子がおかしい。俺は急いでその人のそばに駆け寄った。  人影は若い女性だった。ロングスカートにカーディガンを羽織っている。彼女は耳をふさいで震えているようだった。 「だ、大丈夫、ですか……?」  その怯え方が尋常じゃなく、俺は気づけばそう声をかけていた。女性は耳をふさいでいたが俺の声は聞こえたようでゆっくりと顔を上げてこちらを見た。 「あ……」  涙を浮かべた目と視線が合う。――瞬間、ものすごい勢いで腕を掴まれた。 「――!?」  叫び出さなかった俺を褒めてほしい。それぐらい急で鬼気迫る勢いがあった。女性は俺の腕にしがみつきながら静かに泣いている。 「え、えっと……」 「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい……」 「…………。」  泣きながら、謝りながら、俺の腕を掴んではなさない。かなりパニックになっているようだ。 「(そんな謝らなくてもいいんだけど、と言えたらいいんだけど……。パニックになってる人に言っても逆効果だよなぁ)」  ため息が零れそうになるのを寸前で堪える。精神が不安定になっている人に対してプレッシャーになることは厳禁だ。気をつけないと。  俺はしばらく彼女に腕を掴まれつつ背中を撫でた。少しでも落ち着いてくれれば、と思ってやってみたんだがあまり効果はないようだ。彼女はずっと震えている。 「(しっかし、全然つかねぇな……。復旧が遅れてるのか?)」  上を見上げてみる。相変わらず蛍光灯は暗いまま。外の世界も暗いままだ。明るくなる気配はない。視線を下げる。相変わらず怯えたように縋り付く女性の姿が見えた。 「……すみません、家はどこですか?」 「え……」  震えていた女性が顔を上げる。驚いたような、不安そうな顔だ。俺は出来るだけ優しく声をかける。 「ここにいるより、家のほうが安心できると思うんですけど……家は遠いですか?」 「え、あ……ち、ちか、くの、アパート……」 「あぁ、近いんですね。良かった。……立てますか?」 「は、はい……」  俺が立ち上がれば女性もゆっくりとだが立ち上がる。足元が少しおぼつかないが歩くことは出来るようだ。なら大丈夫だろう。俺は彼女の腕を引きつつコンビニの外に出た。  外の雨は少しだけマシになっていた。これなら歩くのも楽かな。ビニ傘を差す。彼女も傘を差そうとしたので俺は彼女の手から傘を取り上げた。 「あ……」 「俺の腕をつかんだままじゃ、傘も差せないでしょ。俺が持ちます。俺の傘に入ってください」 「す、すみません……」 「いえ」  彼女は申し訳無さそうに縮こまってしまった。それでも腕から手を離せないんだから相当怖い思いをしてるんだろう。俺は彼女が濡れないように傘を彼女の方に向けつつ暗い夜道を歩いた。 「…………。」 「…………。」  道中、二人とも無言だった。しょうがないだろ、初対面なのに何を話せっていうんだよ。彼女は喋る余裕もなさそうで時折帰り道を指差す以外はずっと下を向いている。 「――――。」  一瞬、視界がチラついた。次の瞬間、雷轟が響き渡る。 「きゃっ……!?」 「おっと……」  彼女は小さく叫んでうずくまってしまった。腕を掴まれている俺も下へと引っ張られる。転ばないように慌ててしゃがんだ。 「だ、大丈夫ですか!?」 「うぅ、やだ……もうやだ、かえる……」 「今帰ってるとこですよ……」  パニックになる彼女をなだめる。しばらく背中を撫でていたら落ち着いたのか顔を真っ赤にした女性がゆっくりと立ち上がった。 「す、みませ……私……」 「いえ、大丈夫です。歩けますか?」 「は、はい……」 「なら、問題ないですよ」  また雷がならないとは限らない。早く彼女の家に行った方が良いだろう。俺はさっきよりも少し早めに歩いた。  彼女の家はコンビニから数分の場所にあった。俺よりの家よりも近い。アパートの三階らしい。エレベーターのボタンを押してみたが当然のように反応はなかった。……そうだよな、ここも電気落ちてるよな。 「階段で登りましょうか」  彼女は弱々しく頷いた。精神的に参っているのもそうだが体力的にも厳しそうだ。彼女が転ばないように支えながらゆっくりと階段を登った。  彼女の部屋は三階の一番奥だった。彼女が鞄の中を漁るもなかなか鍵が出てこない。俺は彼女に断って代わりにカバンを漁る。……ポケットの底にあった。鍵を開けて中に入る。 「はふ……」 「おっ……と、」  部屋に入るなり力が抜けたのか彼女が床に倒れ込んだ。頭をぶつけないように慌てて支える。……本当、限界だったんだな。 「す、すみません、わたし……腰が、ぬけてしまって……」 「いいんですよ、怪我しなくてよかった。玄関じゃなくてベッドで寝ましょう。風邪ひきますよ」 「た、たて、なくて……」 「あー……はい、分かりました。あがっても?」 「ど、どうぞ……」  体に力が入らないのか、ものすごく申し訳無さそうな顔で女性が頭を下げた。しょうがない、ここまで来たら最後まで付き合おう。俺は彼女に肩を貸して部屋の奥へと入った。  部屋の電気も当然つかない。ドアを閉めればとたんに真っ暗になる。俺はスマホの明かりを頼りにベッドに彼女を座らせる。  暗くてよく見えないが、彼女の顔色が悪いままな気がした。雷もダメなら暗闇もダメなのか。 「なぁ、なんか緊急用のライトとか、そういうのはないのか?」 「あ……引き出しに……」 「引き出し?」  彼女はよたよたと床を這う。俺は慌ててスマホで行き先を照らした。彼女はチェストにたどり着くと引き出しの中から何かを取り出した。……これは、ろうそくか?  彼女はろうそくをテーブルに起き、火をつける。オレンジ色の明かりが部屋の中に灯った。……小さい明かりだが、暗闇を退けるには十分だった。 「(よかった、顔色は悪いけど落ち着いたみたいだ。……なんかいい香りがしてきたな。これ、もしかしてアロマキャンドルだったのか)」  円柱型の乳白色のそれは非常用の明かりではなくリラックスタイムに使うものだったようだ。でもこうして非常用の明かりにもなるんだからストックしててもいいのかも。……まぁ、俺には合わないから却下だな。  女性はクッションに座ると、俺の方を向いて頭を下げた。 「すみません、とても迷惑をおかけして……。ありがとうございます、本当に助かりました」 「いえ、放っておけなかったんで……」  正面からお礼を言われて少し恥ずかしくなる。俺としてはなんとなく見過ごせなかったってだけで、そこまでお礼を言われることをしたつもりはない。 「……けど、知らない男を家に上げるのは不用心だと思いますけど」  だからか、少し意地悪な言葉が口をついて出た。気を悪くしたかな、と彼女の顔色をうかがったが彼女はくすくすと楽しげに笑っている。一瞬思考が止まる。……笑ってるの、初めてみた。 「パニックになった私をずっと心配してくれて、優しく声をかけてくれたあなたが悪い人だとは思いません。それに、本当に悪い人は自分のことをそんなふうに言ったりしませんよ」 「いや……まぁ、んっと……」  そう言われると困る。自分が悪い人間だと思ってないし邪な気持ちも全くないが、相手から断言されると困るというかいたたまれないというか……。目が泳ぐ俺を見て彼女は楽しげに笑い声を上げる。 「――本当に、お優しい人ですね」  ろうそくに照らされた彼女の笑顔はさっきよりも穏やかで、優しくて。……ほんの少しだけ、見惚れてしまった。
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