1人が本棚に入れています
本棚に追加
対決
木下 紫蘭(こした しらん) : Nのこんな情けない顔は見たことがあっただろうか。辛うじて涙は出ていないが、こんな、弱々しい顔。いつも木下が見ていたのは、落ち着きながらもその実、知識に貪欲な、意気軒昂なNだった。そんな顔もできたのかと、一瞬それが迷子の童のように見えて木下の腕は其れを抱きしめようと宙に浮いた。
と、すんでのところでその指先は方向を変えた。Nの両手を包み込み同じ高さで目を合わせる。
少し前のフィールドワークで子供を相手にしたことを木下は思い出した。彼らは無邪気で、素直で…いっとう可哀想だった。その環境で生きるしかなかった。あの狭い世界が全てだと信じていた。だからこそなにも知らずに、いつか真実を知ったとき大人のせいにしてくれればと、そんなことを思った。
弱ったNを見て、そんなことを思い出したとNに伝えたら怒るだろうか。それとも子供と比べられるなんて情けない、と笑うだろうか。
どちらにしろNは迷子の幼子ではない、と木下は内心かぶりを振る。これは立派に成人し、広い世界を見るどころか、作り上げてきた、大人の手。であるならば、ふたりはこんなところでまごついている暇はない。
「僕もあなたもここから出たい。いいですね?」
特に意識せず発した声は、いつもより随分と固くなって空気と同化した。
木下 紫蘭(こした しらん) : 「あなた、いつも手帳を持ち歩いていましたよね。今は持っていますか?」
木下はそう問いかけて包み込んでいた片手を解放した。Nは開放された手で自らを確認し、心做しか肩を落とし首を横に振った。
そんなものがないことくらい木下はにだってわかっていた。ペンや財布、せっかく買い換えたスマホも、木下の手元にも所持品はなにもないのだから。
「…ではここに。」
木下そう言って手のひらを差し出し、Nの人差し指をそこに導く。
「あなたは話せないと言いましたけど、あなたの言葉が封じられたわけではないでしょう。」
時間がない、人類らしく意思の疎通をしませんか?そう言った木下はあるはずの焦燥を隠し、明日を夢見る少年のような、そんな顔をしていた。
木下 紫蘭(こした しらん) : CCB<=95 母国語 (1D100<=95) > 41 > 成功
KP : その手のひらを使って示された言葉は
(ここでは きみのことばが いちばん つよい)
: 君たちの言葉に身を躍らせて、世界は次々と色づいていく。ちいさな魚どもの群れを蹴散らすのももう難しい話ではない。あとは私が結末を語れば、このものが足りない世界も幕を閉じる。
おおきな魚は間もなく命のこがらしを終えようとしている。このものが足りない世界もようやく満ち足りるだろう。さあ、このものが足りない世界を終わらせるために。次に何が起きるのか、語ろう。
木下 紫蘭(こした しらん) : 「…ふむ。助太刀はいただけないわけですね。」
木下は前面にわざとらしい困惑の色を貼り付け、ため息混じりに諦めの言葉を発した。そのつもりはなくともNを責めたような言い方になってしまったのは、きっと幾許の余裕もなかったからだろう。
多少の逡巡のあと、木下は口を開く。
「では、あなたの言葉でも借りましょうか。」
木下 紫蘭(こした しらん) : 「『水面に溢れる蓮の花。立ち上る爽やかな香り。柔らかな陽光を照り返す錦鯉の背。池に向かって枝を差し伸ばす柳。』」
此処でNが紡いだ言葉をとつとつと並べた。それは木下なりの、"彼ら"への鎮魂歌だったのかもしれない。過去があるから今があるように、光があるから闇があるように、存在を約束されてしまった彼らに少しでも届けばいいと。
そうして木下はひと呼吸置いた後言葉を紡ぐ。それはこの戯れを、終わらせるために。
木下 紫蘭(こした しらん) : 「突如、時化て手の付けようもない水面。風に煽られ舞い上がる白糸。船に当たり喚き輝きながら八方に飛び散る水鞠は、元いた場所に戻ろうと水界を越え泡沫の如くと消える。」
水面が、荒れる。
木下 紫蘭(こした しらん) : 「苛烈な風波に軋む方舟。それは横波を受けよろめき、夕紅に染まり物悲しく波に泣く。」
舟が傾く。
木下 紫蘭(こした しらん) : 「水天彷彿の先に朧々と現れる灯台。波の綾が迫るように迷いなく、その暮鐘は水客へと届く。」
終わる。終わらせる。それもまた、仕方のないこと。
木下 紫蘭(こした しらん) : 一度目を閉じ、また開ける。
「さあ、その音が波路を作り僕らを誘う。無明と光明交わるきれいな世界で、僕らは僕らの営みを。…彼らは彼らの営みを。」
KP : 数多の言葉を積み重ね、描写を完了する。
呼応するように世界が震え、視界が淡く滲み始める。
この美しい幻想の世界と、鮮やかに残酷な現実は、どちらが裏でどちらが表だったのか。
真っ白に塗りつぶされていく視界、耳鳴りのような音で聴力さえ奪われ、何も見えなくなっていく。
KP : ------------------------------------------------
眼球がしばたき、睫毛が震えた。どれくらい時間が経ったのかは分からない。意識を取り戻すと同時に、ばさりという音が耳に届いた。いつの間にか手にしていた紙束を取り落としたらしいことに気づく。
その時。
男 : 「やあ、良い読み物をしているね。」
KP : あなたに対し、背後から声をかける者がいた。
木下 紫蘭(こした しらん) : 木下が辺りを確認すると所属する美術館の事務室だった。目の前の机に置かれたままスリープしたパソコンの横には中途半端に書類が積み上げられ、ぬるいコーヒーが出番に待ちくたびれていた。
視線だけで足元を確認すると、木下の手から落ちたであろう紙束が散乱している。この事務室には似つかわしくない、縦書きだ。
椅子に座って眠っていた…?
気持ちの悪い違和感が木下の体を巡る。言いようのない不安が押し寄せる。
「ぼくは。居眠りでもしていましたか?」
甘ったるい声が出た。
「そうみたいだね。私も紙束が落ちる音で気づいたんだ。君が居眠りなんて珍しい。」
「ええ、ええ。そうですね。」
木下は、一言一言噛み締めるように話す。まだまどろみの中にいるかのように。自身の存在を取り戻すように。
彼は暮部だ、木下は知っている。毎日のように顔を見る同僚だ。そういえば日本の近代美術が得意だったな、と。木下にとってはただそれだけの。どうしてそばにいるのが彼なのか、なぜか違和感を覚える。特段おかしいわけじゃない、いつも通りの風景だろう。しかし、木下の中で違和感は肥大する。
今まで木下と一緒にいたのは、今まで顔を突き合わせていたのは。いま、手を握っていたのは。そうだ、違う。彼では、ない。
霞がかかる。
「その落とし物は平気かい?随分派手にやったね。」
そう言われ足元の紙を一枚拾い上げる。それは存外さらりとしていて無意識に力が入った。考え無しに手に取ったそれには、タイトルと作家名が手書きで記されていた。今どき珍しいと思う前に、どうにも、なぜか、目に馴染む。
いや、木下は知っている。覚えている。
あのとき自分だけに向けられた言葉(もじ)を。
木下 紫蘭(こした しらん) : 「暮部さん、この作家を知っていますか。」
「うん、最近頭角をあらわした作家だよね。たしか…ああ、この記事できっかけがあったと語っていたよ。」
暮部は自分のスマートフォンを操作して目当ての記事を画面に映す。これこれ、と木下に画面を向けにこりと笑った。
「見せてもらっても?」
そう言って木下は半ばひったくるように暮部のスマートフォンを確認する。
『新進気鋭の作家 新作は不思議な世界のふたり旅!きっかけは夢?』
頭の悪そうな見出しに、少し頭が冷えた。
少し読み進めれば暮部の言う通り、今回の新作が評価され、その作品を書くにあたってきっかけがあった、というよくある若手作家の紹介記事だった。さして情報量のないその記事を木下は食い入るように何度も読み返す。
『取材中、「私の夢に出てきてくれた彼に感謝しなければ。」と何度も言っていたのが印象的だった。』
KP : 外部の情報を遮断してしまっているかのように画面にくぎ付けになっている木下の様子に、暮部は肩を竦める。
「いやーまいった。それは私が最初に読むつもりだったんだけど……いつの間に見つけていたのかな?ともかく。」
そう言って彼は、木下の方に手を伸ばす。
「その紙束をこちらにもらってもいいかな。」
木下 紫蘭(こした しらん) : 木下の眉がぴくりと動く。どうしてか、これを他人に渡したくなかった。これは、あの人と木下の物語だという自負があった。そもそもどうして、
「どうしてあなたがこれを?」
KP : 「私はその作家と縁があるんだ。とっておきの言葉を教えていてね。作品が完成するのを待っていたんだよ。」
不審げな視線を向けてくる様子を受け流すように暮部は微かに笑って首を傾げる。別におかしな理由じゃないでしょう、と言わんばかりだ。
KP : s1d100 (1D100) > 77
KP : 彼が嘘を言っている様子はない、とあなたは思うだろう。相当その作品に対する執着心がありそうな様子だ。
木下 紫蘭(こした しらん) : 「なにやらこの作品に相当な因縁があるようですが…ちなみにそのとっておきの言葉とは?暮部さんには負けるかもしれませんが僕も並々ならぬ想いがありましてね。」
木下も折れるわけにはいかない。暮部と木下の目が合う。
読みたい。会いたい。問い詰めたい。あれはふたりだけの言葉ではなかったのかと。女々しくも。木下はそう思っていた。
KP : 「おっと……もしやもう魅入られかけているのかな。その生の原稿は少し危険なんだよ。対抗策を持たずに読んでしまうと魅入られて抜け出せなくなってしまうかもしれない。」
するりと細められた目が木下を見据える。
------------------------------------------------
さて、私は、これから何を語ろうか。
------------------------------------------------
「ここから始まる一節は、物語を書くものにとって特別なものなんだ。」
さぁ、手遅れになる前に。
そう言って暮部は尚も食い下がる。
木下 紫蘭(こした しらん) : 「魅入られる…ですか。」
無意識に、囁くほどの声色になる。視線が下がる。
木下はもう、”あり得ないことはあり得ない”と知っている。だとしたら、暮部の言葉もあながち嘘ではないのかもしれないと。この原稿への無意識の執着の答えがそこにあるのかもしれないと、木下はそう思った。
「返したら、その対抗策とやらを教えて頂けるのですか?」
木下の顔は上がらない。
KP : 「え?」
木下の言葉に、暮部は意外そうな声を上げる。
「読むのなら、何もそれでなくても構わないだろ。作品自体は世に出ているんだから。」
KP : <幸運>
木下 紫蘭(こした しらん) :
CCB<=70 幸運 (1D100<=70) > 21 > 成功
木下 紫蘭(こした しらん) : 「残念ながらこれがいいんですよ。あの人の直筆でしょう。」
執着とは、なんと恐ろしい。
KP : 「…………。」
剣呑に歪められた表情を、木下は見ただろうか。
「それなら……」
言いかけた暮部の声は突如不自然に途切れた。小さく舌打ちする音が聞こえたと同時に、暮部の輪郭が滲む。それを認識するか否か霧散するようにして、木下の前から彼は消え失せていた。
その直後、事務室の扉が開く。
「あれ、誰かと喋ってたような気がしたけど……?」
そう言って不思議そうに視線を向けてくるのは、暮部だった。
木下 紫蘭(こした しらん) : 木下は反射的に手元を確認する。件の原稿は、
KP : 変わらず、あなたの手の内にある。
木下 紫蘭(こした しらん) : 木下は胸を撫で下ろし、しかし、それ以上の不安を抱いたまま今現れた暮部に答えを返した。
「ええ。…いや、僕ひとりでしたよ。」
そう答えながら、足元に散らばったままのはずである原稿の残りを集め出す。
KP : 「そうか……じゃぁ気のせいかな。」
少し首を傾げた暮部だったが、それ以上気にする様子もなく、床に散らばった紙束を拾う手助けをする。その手にした数枚を木下に差し出しながら
「仕事の資料をバラまいているなんて、珍しいこともあるもんだね。」
調子でも悪いのか、と笑いながら問う。
木下 紫蘭(こした しらん) : 「ああいや、珍しく居眠りをしてしまったらしく。…すみません、ありがとうございます。」
木下は普段通りを心がけて、丁寧に言葉を紡いだ。暮部から原稿を受け取る。
先ほどの暮部…いや、暮部であった彼は結局誰であったのか。なぜここにいたのか。対抗策とは、”魅入られる”とはなんだったのか。木下の思考は落ち着く気配を見せない。
この原稿を読んだらすべてが理解できるのだろうか。あの人にまた会えるのだろうか。そう思い、やっと揃えられた原稿の表紙をその目に映した。
―――本翅の彩度 波路 紅
「ただ、ただとても素敵なゆめでした 」
KP : 作家というのは難儀な生きものだ。彼らは、単語の雨から肺を振り乱し、文節の細波をかきわけ、文章という命綱を撚り上げ、掴み、そうしてやっと、息を継ぐ。
あなたは、そんな物語の洪水から身を躍らせてきたのだった。
あの時、あなたの隣にいた人は今、どこにいるのだろう。
共に綴った言葉たちは、今もまだ確かな形でそこに在り続けている。
: 私と共に語った君へ。
ありがとう。
私は今も、物語の洪水の中に棲んでいる。
KP : クトゥルフ神話 TRPG「本翅の彩度」
シナリオクリア
エンド「無辜」
最初のコメントを投稿しよう!