《起承》

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《起承》

 先日行われた町長選挙において、(しま)(ざき)(べん)(いち)は多くの票を獲得し、見事、町長の椅子を手に入れた。  出口調査も何もないこぢんまりとした選挙であった。当落の目安となるのは、選挙活動を行った際の手応えと、町内に走る様々な噂話だけ。ここはとても狭い町だ。県内には都市と呼べる(まち)もあると言うのに、それとはまるで世界が違う。長閑(のどか)で、平和で、過疎で、土と木と水と人情ばかりが占める農業の町だ。  この町の町長選挙は、人気投票に類するものではなかった。  しがらみ──。それこそが勝敗を決する。  今回立候補した者は、島崎を含め四人いた。  一人は、本気でこの町の発展を願い、選挙活動も懸命にやり、老若男女を問わず挨拶をして、具体的な改善策と現実的な予算の使い道を訴えた。その熱意に人々は唸ったが、いかんせん高齢で、先行き不安により選挙では二位、落選となった。  一人は、最初から「思い出づくりのため」と宣言して立候補。そこそこに選挙活動はしたものの、この町の課題を分かっておらず、改善案も示すことはなく、どこか曖昧で夢物語のような話に終始した。結果は三位。しかしながら彼はどうやら楽しめたようで、次回選挙に出るつもりはないと言っている。  一人は、他県から移住してきた元芸能人だった。複数県で複数の立候補歴があり、小さな町ならば当選できるだろうと(たか)(くく)って立候補。しかし、排他主義の過疎の町においては異物でしかなく、わずか二票の最下位に沈んだ。その者はすでにこの町にはいない。  さて、では当選した島崎勉一がどのような人物であったかを紹介しよう。  曾祖父、祖父、父は、もれなく町長を務めた。直近五十年のあいだに島崎家以外で町長となったのは、前町長の(はぎ)(わら)(まなぶ)しかいなかった。  萩原が町長の座を()ったとき、町民は「これで何かが変わる」と思っていた。長きに及ぶ島崎家の支配から脱し、一歩進んだ明るい町になると期待していた。    だが、島崎家の執念は、落選によりさらに強くなってしまった。そして、強硬手段に打って出た。萩原学の一人娘を、勉一の嫁に迎え、一度逃した支持層を再び取り込もうと画策して、それを実行に移したのだ。
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