朔月が照らす巫女

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朔月が照らす巫女

 村の社の縁側に腰かけて、光が差さない空を見上げる。  私の左側に置かれた蝋燭の灯が、潮風で揺らめいた。  そして黒い空間に二つの黄色い光が灯る。 「おお、結月ではないか。元気にしておったかの?」 「あら、クロ様。こんばんは。お久しゅうございます」  あれから厚みを増したご神木の幹が、暗闇の中に佇む。 「隣に座ってもよいかの?」 「ええ、もちろん」  クロ様は蝋燭を挟んで私の左隣に、体を横たえる。  その体は猫にしては大きいままだ。 「今宵は、月が出ておらんの」 「そうですね」  汗ばむ首筋を湿った潮風が撫でた。 「怖くないのか?」 「はい。怖いです」 「ふむ。ではなぜ夜闇の中、蝋燭の灯火一つで人気のない社におる?」  クロ様の黄色い瞳が不気味に光る。 「暗闇は怖いのです。でも闇の中の方が、光がよく見えるのです。ほら、蝋燭の灯火も綺麗でしょう」 「うむ。確かにそうじゃな」  クロ様は耳を可愛らしく動かした。 「今のお主はお主の母上、菜月と瓜二つじゃ」 「ありがとうございます」  私は火照る頬を手であおぐ。  無言で暗闇の彼方を見つめた。  私はその空の果てに、漆黒の朔月を見つける。  その月明かりが私を照らした気がしてならない。  瞳の奥の朔月の光が優しく呼びかける。  今度は結月の番よ。 「私は思うのです。神に祈りを届ける力など、誰にもないのだと」  浜辺から鈴の音が聞こえる。 「ふむ。話を聞こうかの」  クロ様は座り直して、綺麗にお座りをする。 「若かった頃の私は、母上には巫女の力があるのだと、本気で信じていました」  神楽鈴が小さく闇夜に煌めく。 「でも本当は母上の立ち振る舞いが、さも力があるかのように見せていただけなのです」  ほのかに煙たい香りが混じった潮風が、ツンと鼻に刺さる。 「母上は己の力で巫女になったのです。そうやって水鏡家の娘に巫女が受け継がれてきたのだと、今は思っております」  立派な巫女になるために力はいらない。  必要なのは巫女の心なのだ。 「ふむ。ではなぜお主の代になってから、魚が取れなくなったのかの?」 クロ様は首を小さく傾げる。 「たまたま潮の流れが変わったのです。あれから圭は潮の流れを読んで、新たな漁場を見つけました。巫女の代替わりと不漁。村の人々が勘違いしただけなのです」 「そうか。そうやもしれぬな」  目を細めるクロ様の毛並みを、潮風が撫でた。 「きっと娘の冴月、深月、雨月も、己の力で巫女になってくれると信じております」  社が立つ小高い丘から浜を見下ろす。 「ほら。浜の方から、神楽鈴の音が、聞こえているでしょ」  浜辺では金色の音が闇夜を舞い、三輪のユリが咲き誇る。  かつての私のように、娘たちは身に力を宿そうとしている。  それでいいのだ。  そうやって巫女になるのだから。  漆黒の朔月の光が、若きユリの花たちを静かに照らしていた。
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