1 動物の霊がいっぱい!

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1 動物の霊がいっぱい!

「ふええ、急に暑くなったねえ」  白衣に赤い袴という巫女の格好をしているわたしは、手で顔に影を作るようにして青空を見上げた。まだ朝の九時すぎなのに、汗ばむくらい日差しが強い。  神社の跡取り娘であるわたしは、境内を掃除するのが日課なんだ。  今も竹ぼうきで、せっせと掃き掃除をしていたの。今日は日曜日で小学校が休みだから、いつもよりノンビリしてる。 《梅雨が明けたからな。こまめに水分補給をしろよ、スズ香》  そう低い声で言ったのは、わたしの肩にのっている、手のひらサイズの子ギツネ。……に見るけど、ただのキツネじゃないんだよ。わたしとはおしゃべりできちゃうしね。  金剛(こんごう)という名前で、太陽の光のようにキラキラと光る金色の毛並みをしている。すっごくさわり心地がいいんだ。 《それに、日陰に入らないとダメよ。紫外線は女の敵よ! 日焼け止めもぬりなさいね》  反対の肩からは、柔らかい声が聞こえてくる。コンゴウと同じ姿だけど、毛並みの色は月光を溶かしたような銀色をしている。名前は白銀(しろがね)っていうの。 「ええっ、七月が始まったばかりなのに、まだ早いよ」 《ダメよスズ香、スキンケアは若いころからの積み重ねが大事なんだから。かわいい顔がだいなしになるわよ。それに紫外線が一番強いのは夏じゃなくて……》 「わかった! わかったからシロガネ、そんなにシッポでペチペチしないで。くすぐったいよ」  わたしはシロガネの小言をさえぎった。笑いながらシッポの当たる頬をさすっていると、目の前の参道に影が増えた。 「なにを盛大なひとり言を言っているんだ、冬月スズ香」 「わっ、相沢さんっ」  びっくりして振り返ると、わたしと同じ六年生で、となりのクラスの相沢カヲルさんが立っていた。  相沢さんは、クラスで真ん中あたりの背のわたしより、十センチくらい背が高い。  赤みがかった茶色の髪をショートカットにしていて、とてもキレイな顔をしている。どこから見ても美少年、に見る女の子なの。  女子バスケットボール部のキャプテンをしていて、相沢さんが活躍すると、「キャー、カヲルさまステキッ」って女の子の黄色い声が飛び交うんだ。その気持ち、わかるなあ。ちょっとしたアイドルよりもイケメンだもん。  今だって、白いサマーセーターと黒いスリムパンツが似合っていて、とてもカッコいい。  ウーン、やっぱり男の子にしか見えないよ。 「おはよう、相沢さん。気にしないで」  わたしは顔の前で両手を振った。  実は、わたしの両肩にいるコンゴウとシロガネは、普通の人には見えないの。もちろん、声も聞こえない。 「あなたが見えるっていう、幽霊と話してたの?」 「えっと、コンゴウたちは幽霊ではないんだけどね……」  わたしは幽霊とか妖怪とか、みんなが見えないものが見えるの。  そのことは隠していないというか、小さな町だから、噂はすぐに広まっちゃう。  でも、そういうモノが見えない同級生にはあまり信じてもらえないし、そのせいなのか、仲のいい友達がいないんだ。コンゴウとシロガネがいるから淋しくないけど、でも、人間の友達も欲しいな。 「それより、相沢さんが神社に来るなんて珍しいね」  わたしは話を変えた。 「うん。父がね、神頼みに来てるんだ」  相沢さんが親指でクイッと、拝殿のお賽銭箱の前にいる男性を示した。 「ひゃっ」  相沢さんのお父さんを見て、びっくりして変な声が出てしまった。  その人の肩や腰に、シカやイノシシの霊が、必死にしがみついてるんだもん! ムギギギ、みたいな声が聞こえてきそうだよ。 《ほう。あの父親は、動物の霊にそうとう恨まれているようだな》 《霊たちは、よく境内までついて来れたわね》  コンゴウとシロガネが感心したように言った。  神社は神聖な場所だから、力の弱い霊は入れないはずなんだ。確かに、そんなに強い霊には見えないんだけどな。不思議。  そう思って鳥居を見ると、境内に入れなかったシカやイノシシの霊が数体、口惜しそうにこちらを見ていた。 「うわあ……ほかにもいるんだ」  わたしは口元に手を当てた。  あのシカたちは、相沢さんのお父さんが神社から出てきたら、またとりつくつもりなんだろうな。それにしても、どうして動物の霊がこんなにいっぱいついてるんだろう。 「なにか見えたの?」  軽く小首をかしげるように、相沢さんが切れ長の瞳でわたしを見た。  わたしはうなずく。きっと信じてもらえないと思うけど、見えることをちゃんと言おう。 「相沢さんのお父さんね、シカとかイノシシの霊にしがみつかれてるよ」 「……へえ」  相沢さんは、ちょっと驚いたように形のいい眉を上げた。 「このところ、父は重い肩こりや腰痛に悩まされているんだ。日常生活に支障が出るほどで、いくつか病院に行ったんだけど治らなかった。それで、最終手段の神頼みでここに来たってわけ」 「なるほどね」  いくら幽霊が軽いといっても、あんなにしがみつかれていたら、歩きづらいだろうなあ。 「やあ、おはようスズ香ちゃん。朝からお手伝いなんて感心だね」  参拝が終わったようで、相沢さんのお父さんがやってきた。とても背が高くて、メガネの奥の瞳が切れ長でカッコいい。相沢さんはお父さん似みたい。 「父さん、肩こり治った?」 「少しは良くなった気がするんだけど。でも、やっぱり神社でもだめかなあ」  相沢さんのお父さんは顔をしかめて、重そうに肩を回した。  まだシカたちがしがみついているもの。治っているはずがない。 「おじさん、わたし、肩におまじないをかけましょうか? 巫女だから、きっとご利益があるよ」 「頼むよ、スズ香ちゃん」  相沢さんのお父さんはうなずいて、わたしの手が届くように身をかがめた。もう藁にもすがる心境なのかもしれない。  わたしは相沢さんのお父さんの肩に手をかざした。 「祓えたまえ、清めたまえ……」  口の中で小さくつぶやきながら、広い肩から背中、腰までを、手を浮かせたまま滑らせた。風もないのに、胸まであるわたしのストレートの黒髪がふわっと広がった。  神社に入ってきた時点で弱っていたシカたちの霊は、《ぬぐぐっ》と悔しそうな顔をしながらも、あっさりと消えていった。  よし、うまくいった! 「どうですか?」 「……あれ?」  相沢さんのお父さんは、肩や腰を擦りながら背を伸ばした。びっくりしたみたいに大きく両目を開けている。 「急に身体が軽くなった」 「本当に? 今ので?」  相沢さんも信じられないというように父親に確認している。「本当に治ったよ」と、相沢さんのお父さんは腕を回しながらうなずいた。 「ふふふ、巫女パワーです」  わたしは冗談めかして両手を広げた。頭の上半分だけ結ぶハーフアップにしている黒髪がサラリと揺れる。 「ありがとう、すごいねスズ香ちゃん。助かったよ」 「いえいえ。お気持ちはあちらから」  わたしはお守りや神札が置いてある授与所を、手でうながした。 「あはは、スズ香ちゃんは商売上手だな」  大きな手で、頭をくしゃりとなでられた。 「あっ……」  とても懐かしい感触に胸がキュッとする。そういうことはあまりされないから、ちょっと嬉しい。 「あのっ」  よけいなことかなと思ったけど、わたしは相沢さんのお父さんを呼び止めた。 「お守りは自分で授かるより、プレゼントされた方が、効果が高まると言われているんです。渡す人の願いも込められるから」 「へえ、もらったほうがいいのか」  相沢さんのお父さんは、感心したような表情になった。 「でも、渡す人がお守りの力を信じていないと、逆効果になります」  わたしの言葉を聞いて、相沢さんは「つまり」と言って腕を組んだ。 「あたしが神社からお守りを授かって、父に渡せば、基本的には効果が増すってことね」 「うん」 「でも、あたしが神さまを信じていなければ、逆効果ってわけだね」  わたしが「そうだよ」とうなずくと、相沢さんは苦笑して父親を見上げた。 「父さん、自分で行ってきて。あたしじゃあ、お守りの効果がなくなるよ」  相沢さんのお父さんは、了解したというように片手を上げて、授与所に向かって歩き出した。  それって、相沢さんは神さまを信じていないってことか。  わたしはしょんぼりして眉を下げた。 「悪いね、冬月。あなたが嘘をついていると思っているわけじゃないし、さっきのことも驚いた。神さまだっているかもしれない。でも、あたしは目に見えるものしか信じられないんだ」 「そうだよね。ぜんぜん、だいじょうぶだよ」  わたしは顔の前で手を振った。  そう言われるのは慣れてるから。 《せっかくスズ香が祓ってあげたっていうのに、頑固者なのね》 《まあ人なんて、そんなものだろうさ》  コンゴウとシロガネは、わたしを慰めるようにふわふわのシッポで背中をさすってくれた。ありがたいけれど、くすぐったい。 「そうだっ」  せっかくとりついていた霊がいなくなっても、鳥居の外にまだ何体かいるんだった。神社から出たら、また相沢さんのお父さんが肩こりになっちゃう。  そう思って数十メートル離れている朱色の鳥居を見ると、見知った顔があった。 「うわっ、また来た」  わたしは大きく眉をしかめた。  隠れているつもりだったのか、木曽龍司はわたしと目が合うと、ギクッとしたように背をのけぞらせた。 「あれは、うちのクラスの龍司か?」  相沢さんも鳥居のほうを見ていた。 「うん、そうみたいだね」  わたしは口をすぼめる。せっかくの日曜日なのに、なんの用なのかな。  龍司は小さなころから、よくわたしにからんできた。遊んでくれるなら嬉しいのに、いつもいじわるをするんだ。  龍司はハーフパンツをはいた足を振り上げて、文字どおり鳥居の前にいるシカなどの霊を蹴散らした。 「あっ、わたしがやろうとしたのに。手間が省けちゃった。やったね」 「なにが?」  相沢さんがわたしにたずねる。 「龍司が鳥居のところにいた動物霊を除霊したんだよ」 「除霊って、幽霊を消し去ったってこと?」 「そうだよ」  龍司は同い年で唯一の、幽霊が見える仲間なんだ。  だけど、そのせいで「どっちが早く幽霊を退治できるか」って勝負を挑まれたりする。一人でやればいいのに。  あと、わたしが理不尽だと思うのは、龍司には友達がいっぱいいること。  わたしと同じで幽霊が見えるし、それをみんな知ってるのに。  それに、龍司のほうが性格が悪いのに、こんなのゼッタイおかしいよっ!  動物の霊を消してから、龍司はかぶっている帽子を取って、鳥居の前で一礼してから敷地に入ってきた。 「鳥居って、礼をしてくぐるものなの?」  相沢さんが、またわたしに質問した。 「うん。神社は神さまがいらっしゃる場所だから、その聖域に『おじゃまします』みたいな感じで入るんだよ。出るときも『おじゃましました』みたいな気持ちで一礼するのが作法なんだ」 「へえ、知らなった。あいつ、きちんとしてるんだな。あたしも帰りはちゃんとやるよ」  相沢さんは龍司を見ながら言った。  参道の中央は神さまの通り道と言われているので、龍司は中央を避けて脇を歩いている。龍司はお寺の息子だからか、こういうルールはいつもしっかり守るんだ。そこはいいなって思う。 「龍司は冬月に会いに来たんだろうな。じゃあ、あたしは帰るよ。父のこと、ありがとう」 「どういたしまして」  相沢さんは父親と一緒に帰っていった。  仲がいい似たもの親子だね。……いいなあ。  わたしは白衣の胸を押さえて、ふうっと息をはく。 《どうした。父親がうらやましいのか》 「ううん、ちょっと緊張しちゃっただけだよ」  わたしはコンゴウとシロガネに向かって首を横に振った。  相沢さんは目立つからよく見かけてはいたけれど、同じクラスになったことがないので、しゃべったのは初めてだった。それでも同級生なら名前と顔が一致するくらい、この町は小さい。  ここは都会から電車で一時間くらいの、ベッドタウンって呼ばれる地域なんだ。  その中でも端っこなので、山に囲まれていて、自然がいっぱいある。  田園風景、というほどの田舎でもないけれど、高いビルはなくて、一つ一つの建物が大きいし、みんなゆったりと生活している感じ。 「よお。見てたぞ、スズ香」  龍司がわたしの前に立った。背は相沢さんと同じくらい。ベリーショートの黒髪は、ほとんど帽子に隠れている。  眉も目じりも上がっていて目つきが悪いのに、龍司はなぜか女の子に人気がある。  運動神経がいいから、スポーツをしているときは、カッコよく見えるのかもしれないね。 「見てたって、なにを?」 「カヲルのオヤジさんの霊を祓ったところだよ。でも、おれも鳥居のところの霊を祓ったから、引き分けだからな」 「……そんなに前からいたの?」  だったら、なんですぐに入ってこなかったんだろう。それに、また勝手に幽霊退治の勝負になってる。 「いつからいたっていいだろ!」  龍司はなぜか顔を赤らめた。 「だいたい、除霊は寺がするもんなんだよ。寺と神社じゃ役割が違うんだからな。神社が手を出すなっつの」  龍司は寺を継ぐことになっていて、わたしは神社の跡取りだから、ライバル心を燃やしているのかな。すぐに寺VS神社にしたがるんだ。こういうところも、めんどうくさいんだよね。 《小僧。もっと素直に接しないと、スズ香に嫌われるぞ》 《手遅れ。もう嫌われてるわよ》  龍司にはコンゴウとシロガネが見える。つり気味の眉を限界まで上げて、わたしの両肩にいるコンゴウとシロガネをにらんだ。 「なんだよっ、おれだってスズ香なんか嫌いだよっ」 「だったら来なければいいじゃないっ」  龍司はいつもこの調子だけれど、嫌いと言われて、さすがにわたしもムッとした。 「なんの用なの? 早くすませて帰ってよ」 「別に、通りかかっただけ」  なによ、それ。 「じゃあわたし、社務所の手伝いをしてくるから。龍司もお寺の手伝いをしなくていいの?」 「どうせ一人っ子で、おれしか継ぐヤツがいないんだから、今から頑張らなくてもいいんだよ。おまえこそ、女のくせに宮司になれるのかよ」  宮司とは、神社のみんなをまとめている人のこと。うちは今、おジイちゃんが宮司をしているんだ。 「女性の宮司だっているもん。……少ないけど」  龍司ってどうしていつも、いじわるばかり言うんだろう。 「でもわたし、宮司に拘ってないよ。この冬月神社を守れたらいいだけ。宮司になりたいって人がお婿さんに来てくれたら、それでいいんだ」 「お、おムコさんって」  龍司の顔が真っ赤になった。 「スズ香のくせに、もう結婚のこと考えてるのかよっ。恋人もいないくせに! 小学生のくせに!」  くせにくせに、うるさい。龍司だって小学生でしょ。 「跡取りなんだから、ちょっとは考えるよ。わたしがお嫁さんに行くわけにはいかないんだから」 「ダメだダメだ、早すぎる! つか、スズ香って嫁に行けないのかよ。家を継ぐって、そういうことなのか……」  龍司の顔が、今度は青くなった。それから真剣な顔でわたしを見る。 「おれ、思うんだけどさ。狭い町に、寺と神社が両方なくてもよくね?」 「……どうしたの? 急に」 「江戸時代とかってさ、寺も神社も一緒だったんだってよ。だから、ひとつにしちゃってもいいんじゃねえかな」 「なに言ってるの龍司。さっき自分で、寺と神社じゃ役割が違うって言ってたじゃない」 「いや、けっこう似てるよ。ほぼ同じかもしれない!」 《小僧、必死だな》 《ホント、素直じゃないわねえ》  コンゴウとシロガネは、あきれたような表情になった。  わけのわからないことを言い出した龍司を神社から追い出して、わたしはおジイちゃんの手伝いをしに社務所に向かった。
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