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3 洞くつ探検
廊下に出ると、昨日、神社で話したばかりの相沢カヲルさんがいた。
「おい龍司、女の子をそんな乱暴にあつかうなよ」
あきれた表情の相沢さんに、龍司は悠一郎くんと同じ注意を受けている。
《小僧、しっとをするのは勝手だが、それじゃあますますスズ香に嫌われるぞ》
コンゴウがあくびをしながら言った。
「ちっ、どいつもこいつも」
龍司がやっとわたしの腕を放した。
「もう、龍司は乱暴なんだから」
わたしは腕をさする。
ああ、痛かった。
「悪かったな。ムカついて力を加減するの忘れてた」
わたしは目を丸くする。龍司が珍しく謝った。
「スズ香も軽すぎなんだよ。そんなに強く引っ張ってねえのに。飯食ってんのか?」
なんか、わたしのせいにされた!
「ごめん、冬月に迷惑をかけるつもりじゃなかったんだけど。龍司がどうしてもってきかなくて」
「なにかあったの? もしかして、また相沢さんのお父さんに、動物の霊がとりついちゃった?」
「そうじゃないけど、関連はしているかもしれない」
話によると、相沢さんのお父さんは「猟友会」に入っているんだって。畑を荒らしたりするシカやイノシシなどの、迷惑な動物の駆除を目的としている団体みたい。
「だからあんなに、動物の霊に取りつかれていたんだね」
わたしは納得した。
「猟友会は山で狩りをするんだけど、最近、シカやイノシシが凶暴化しているらしいんだ。父の狩猟仲間や、連れて行った猟犬が怪我をしているらしい」
そう言って、相沢さんは人差し指の背をくちびるに当てる。それだけで絵になってカッコいい。女の子だけど。
「それって、よくある話なの?」
「いや、ありえない。あたしも小さなころから、何度も狩りについて行ってるけど、チームでうまく害獣を誘導して駆除するから、普通は危険なんてないよ」
相沢さんは腕を組んだ。
「長いこと狩猟をしているのに、父の肩コリ……、霊がとりついたのも最近だし、理屈じゃない現象な気がするんだ。それを龍司に相談したら、山の様子を見に行こうって話になった。……ってところまではいいんだけど、冬月も誘おうってきかなくて」
「なんだよ、その言い方は。別におれ一人でもいいんだけど、どっちが先に原因を突きとめられるか、スズ香におれと勝負させてやろうと思ったんだ」
龍司は慌てたように言い訳をした。
「わたしは別に、勝負なんて興味ないよ」
「おまえ逃げるのかよっ!」
「逃げてないじゃないっ」
《素直に、スズ香にも来てほしいと言えばよいだろうが、小僧》
「コンゴウ、うるせえ!」
どうしようかな。
わたしは首をかたむけて考えてみる。
相沢さんのお父さんについていた霊は、動物の低級霊だった。
なのに神聖な神社の中まで入ってきたことに驚いていたのだけど、山でなにかが起こっていて、幽霊の力が強くなっていたのだと考えると、つじつまが合う。
だとしたら、龍司一人では危ないかもしれない。
「わかった、わたしもつき合うよ」
「よっしゃ、そうこなくっちゃな!」
龍司はガッツポーズをした。
「やけに嬉しそうだな、龍司」
「カヲルもうるせえ」
わたしたち三人は、次の日曜日に山に行く約束をした。
その日の放課後。
学校が終わってから約束どおり公園に行くと、恵美ちゃんがブランコに座って待っていた。
「お待たせ恵美ちゃん。学校ではごめんね」
恵美ちゃんはふるふると首を横に振った。
《あたし、ブランコに乗りたい》
ブランコからおりた恵美ちゃんは、わたしのスカートを引っ張った。
今までも乗っているように見えたけど、幽霊は物を通り抜けてしまうので、「ブランコの上で座ったポーズをして浮いていた」だけだったんだ。
「オーケーだよ。おいで」
わたしはブランコに座って、膝の上に恵美ちゃんを乗せた。
久しぶりにブランコに乗ったけど、足の裏が地面にぺったりとつくし、前に乗った時より、ブランコが小さく感じた。
わたしも小学校にあがる前、お母さんにこうして膝に乗せてもらったけ……。
そんなことを思い出して、わたしはフルフルと頭を振って記憶を追いはらった。
「こぐよ、しっかりつかまっててね」
わたしは地面を蹴って、ブランコを大きく揺らした。
《わあい、高い、高い!》
恵美ちゃんははしゃいでいる。
しばらくそうやって勢いをつけてブランコで遊んでから、穏やかに前後させた。
「ねえ恵美ちゃん、そろそろ謝りに行こうか。その場所まで案内してくれる?」
恵美ちゃんは不安そうにわたしを見上げてから、決心したようにうなずいて、わたしの膝からおりた。
わたしたちは、手をつないで歩き出した。
恵美ちゃんの頭はわたしの胸あたりの高さにある。その手はとても小さくて、冷たい。
そろそろ夕方近くになっているはずだけど、山道の坂をのぼっていると、暑くて汗がういてくる。恵美ちゃんは暑さを感じないようなので、そこはうらやましい。
舗装されている山道を歩いていると、途中で恵美ちゃんの足がとまった。
「どうしたの恵美ちゃん。疲れちゃった?」
恵美ちゃんは否定するように首を振って、両手をさしだしてきた。
「だっこ」
「いいよ」
恵美ちゃんを抱き上げると、わたしの首にしがみついてきた。
あの男の子と会うのが怖いんだよね。
わたしは公園で見た、恵美ちゃんの記憶を思い出していた。
* * *
おさげ髪の少女が、同い年くらいの少年と、川辺で遊んでいる。
「ねえ、もっと奥に行ってみようよ」
おさげ髪の恵美が誘った。
「行ったことない場所は危ないよ」
「だからいいんじゃない、冒険だよ。もう、弱虫なんだから」
「弱虫じゃないよ!」
少年はムッとして、恵美より先に歩き出した。
夏ならば川遊びに来る家族もいたかもしれないが、山の中腹辺りにある冬の川には、誰もいなかった。
「あ、あっちに洞くつみたいな穴があるよ。向こう岸に行ってみようよ」
恵美が指さす先の斜面には、大人でも入れそうな大きな穴が、ポッカリとあいていた。
「川を渡るのは、さすがにやめておこうよ」
少年は乗り気ではないようだ。
川の幅は六メートルほどあり、それなりに川の流れも速い。
「ここ、川が浅くなってる。それに、向こうまで大きな石が置かれてるよ。誰かが渡れるようにしたんだね」
「やめなよ、危ないってば」
少年がとめるのもきかず、恵美は石を渡りはじめた。
湿った石にはコケがはえていて、滑りやすい。だから恵美は、ゆっくりと、慎重に歩いた。
「ほら、だいじょうぶだって。おいでよ」
川の半分ほど行ったあたりで、恵美は振り返った。
そのとたん。
ツルリと足が滑った。
「きゃあっ」
恵美は川に落ちた。
浅くなっているその場所なら、立てるはずだった。
だけど、川の流れが速すぎて、足を踏ん張ることができずに、そのまま流されてしまう。
あっという間に、足が届かないほど川は深くなってしまった。
恵美は泳げる方だと思っていたけれど、激しい流速には無意味だった。
「恵美ちゃん!」
少年は叫んで、川に飛び込んだ。
(苦しいよ、冷たいよ)
鼻や口から川の水が入ってしまって、むせると余計に水を飲んでしまった。
泳ぐ気力がなくなっていた恵美の腕を、少年は掴んだ。
「恵美ちゃん、しっかりして」
「こわい、たすけて!」
恵美は少年にしがみついた。
「待って恵美っちゃん、そんなにされたら……」
しがみつかれた少年は、思うように泳げなくなってしまった。
二人はなすすべもないまま、川に流されていった――。
* * *
恵美ちゃんの記憶を思い出して、わたしはうつむいた。
流れてきたあの記憶から考えると、あのまま二人は川に流されて、死んでしまったんだろうな。
大好きなお友達が、自分のせいで命を落としてしまった。
そりゃあ合わせる顔がないし、なんと言っていいかわからないよね。
恵美ちゃんは、そんな気持ちでいっぱいなんだろうな。
道沿いに川が流れ始めた。水が岩に当たるゴオオオッと大きな音がする。
それに、セミの鳴き声もすごい。こういうのを、セミしぐれっていうのかな。
ここまでくると、森の木々から清涼な風が吹いてきて気持ちがいい。
《ここ……》
恵美ちゃんが川を指さした。
わたしたちはガードレールの切れ目で、川辺に降りられる細い道をくだっていった。
《お姉ちゃん》
恵美ちゃんがわたしに抱きつく力が強くなる。
「だいじょうぶだよ」
わたしは恵美ちゃんの頭をなでた。
ゴツゴツと大きな石で歩きづらい川辺を上流に向かって歩いていくと、映像で流れてきた洞くつのような穴が見えてきた。
「あっ」
恵美ちゃんのお友達の男の子が、大きな岩に座って、足をプラプラとさせながら川を見ていた。
《恵美ちゃん》
わたしたちに気づいて、男の子は立ち上がった。わたしはそっと恵美ちゃんをおろした。
恵美ちゃんは男の子に向かって走り出した。
《ごめんなさい!》
恵美ちゃんが男の子の前で頭を下げる。
《あたしのせいで……。危ないって言ってくれてたのに》
男の子は、ぽんと恵美ちゃんの肩をたたいた。
《やっと来てくれた》
男の子はにっこりと笑った。
《恵美ちゃんが見当たらないから心配で、ここで待ってたんだ》
《怒って、ないの?》
《ううん。ぼくがもっと、泳ぎが上手ければよかったのにね。助けてあげられなくて、ごめんね》
《そんな……あたしのせいなのに……》
恵美ちゃんは泣きだした。男の子は困ったような顔をしながら、でも口元に笑みを浮かべて、恵美ちゃんの頭をなでてあげている。
《お姉さん、恵美ちゃんを連れてきてくれてありがとう。ぼくたち、行きます》
二人はしっかりと手をつないでいる。
「行く場所はわかるの?」
わたしが尋ねると、
《うん、なんとなく》
そう言って、男の子はうなずいた。
《でも、その前に》
男の子はいたずらっ子のような表情で、恵美ちゃんをみつめた。
《どうしたの?》
《恵美ちゃん、あの洞くつを探検してから行こうよ。恵美ちゃんが来てからにしようと思って、まだ入ってないんだ》
《えっ、だって、危ないよ!》
《なに言ってるんだよ。ぼくたちは幽霊なんだから、もう怖いものはないよ。川だって、飛んで渡れるしね》
《あっ、そうだった!》
二人はくすくすと笑いあった。
《じゃあ、行こっか》
《うん。お姉ちゃん、バイバーイ!》
「ばいばい!」
二人の姿が洞くつの中に消えるまで、わたしはその場で見送った。
「ふふ、男の子がいいコでよかったよ」
《笑ってる場合か。ここに来るまでに、けっこう歩いたぞ。危ないから暗くなる前に山を降りろ》
「ハーイ」
肩にのっているコンゴウの背中をなでてから、わたしは車道に向かって歩き出した。
――わたしにも会いたい人がいる。
いつになったら、会いに来てくれるんだろう。
それとも、わたしが死なないと、会えないのかな。
そう思ったけれど、またコンゴウたちに心配をかけてしまうので、それは口にはできなかった。
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