4 凶暴化しているケモノの原因とは?

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4 凶暴化しているケモノの原因とは?

 山に行く約束をした、日曜日。  今日は少し曇っているけれど、それでもやっぱり暑かった。  町から山までは少し距離があるから、相沢さんのお父さんが車で山のふもとまで送ってくれた。距離があるといっても車で二十分くらいだから、自転車で行けないこともないんだけどね。 「スズ香、長袖なんて着て暑くねえのかよ」  キャップ、半そでTシャツ、ハーフパンツという格好の龍司が、手で顔をあおぎながら言った。 「暑いけど、蚊に刺される方が嫌だよ」  先日、河原に行ったときに数か所蚊に刺されちゃったの。どうしてこんなにかゆいんだろう。でも、かいたら治りが遅くなるから、がまん! 「龍司こそ、どうして半袖なんだ。山は葉や枝が肌に当たって切れることがあるから、長袖を着るようにって言っただろ」  わたしと同じく、長袖、長ズボンを身に着けている相沢さんは、あきれたように龍司を見た。 「少しくらい切れたって、暑いよりマシ!」  龍司は言い切った。 「今日は森に入るんだから、虫よけもしないとね」  わたしは背負ったリュックから虫よけを取り出して、長袖、長ズボンの上からスプレーをした。ひゃー、くさい! 「相沢さんも、よかったら使って。龍司も使っていいよ」 「なんだよ、いかにも、ついでって言い方は!」  だって、ついでなんだもん。 「ありがとう、冬月」 《日焼け止めもぬりなさいね、スズ香》 「家でぬったよ」 《日焼け止めは数時間おきにぬるものなのよ。それにこんなに暑かったら、汗で落ちちゃうでしょ。肌は女の命よ》  今日は、銀色の子ギツネのようなシロガネがわたしの肩にのっている。 「わかったよう」  わたしはしぶしぶと日焼け止めをぬって、相沢さんにも渡した。だけど、龍司はぬるのを拒否した。 「おれはいらねえよ、女じゃないんだから」 《男も女も、同じように日焼けするの。大人になってから、お肌がボロボロになって後悔しても知らないわよ。そんな肌じゃ、スズ香だってゲンメツするわね》 「……ちっ、しゃあねえな」  シロガネに迫られて、龍司もめんどうくさそうにぬり始めた。 「龍司、ここ、ちゃんとぬれてないよ」  頬に白い日焼け止めクリームが残っているので、教えてあげた。 「いいよ、そんなの」 「だめだよ、変に日焼けの跡が残っちゃうかもしれないでしょ」  わたしは龍司の頬に残っているクリームのカタマリをぬり広げてあげた。わたしったら、優しいね。 「お、おま……っ」  すると、龍司は真っ赤になって固まってしまった。 「どうしたの? 龍司」 「なんでもねえっ!」 「ほらほら、準備が整ったなら、さっさと山に入ろう」  相沢さんはわたしと龍司の間に入って、背中を叩いた。それから相沢さんは龍司の耳元に顔を寄せる。 「龍司、冬月を乱暴にあつかう割に、純情だな」 「うっせえ! 余計なお世話だよっ」  龍司は怒ったようすで、ずんずんと山に入っていった。 「なんか、怒っちゃったね。龍司になんて言ったの? あまり聞こえなかったんだけど」 「さあ。龍司はいつも、あんなもんだろ」 「たしかにね」  山に入ると葉をいっぱい茂らせた木が影を作っていて、思ったよりも暑くなかった。  だけど足場が悪いし、斜面がきつくて、疲れる!  それに、ものすごい至近距離でセミが鳴いていて、とてもうるさかった。セミって、こんなに大きな声が出るんだなあ。 「おい、どこに行けばいいんだよ」  先を歩いていた龍司が立ち止まって、相沢さんにたずねた。 「まず、シカやイノシシを探さないとね」 「どうやって?」 「シカは、よく使う通り道があるんだよ。たとえば、ほら、その斜面は草が踏みつぶされていて、けもの道になってる」  よく見ると、乾いた土の下にある黒っぽい土が出てきていて、線のように上に続いていた。 「この道沿いを探してみると……あった、これはシカの足跡だよ」 「へえ、よくわかるね。すごい」  シカの足跡は、らっきょうを二つ並べたような形をしている。 「カヲルの父ちゃんがハンターなんだから、詳しいのは当たり前だろ」  龍司はおもしろくなさそうな顔をしている。もう、龍司は誰にでも対抗意識を燃やすんだから。 「で、こっちはシカのフン。まだそれほど日がたっていないから、またこの辺りに来そうだな」  こげ茶色で小指の先くらいの丸いものが、たくさん集まって落ちている。知らなければ、木の実かなって思っちゃいそう。 「フンだって、きったねー!」  龍司はからかうけれど、相沢さんの表情は変わらない。 「エモノの動きを知ることは大事だからね。大声を出すと驚かせて襲ってくるかもしれないから、そろそろ小声で話そうか」  身をかがめていた相沢さんが、すっと立ち上がった。ショートヘアの赤みがかった茶色の髪が風になびく。  うわあ、相沢さんってば、クールだあ。  龍司は声には出さないものの、不満たっぷりという顔をしている。 「凶暴化しているらしい野生動物に近づく必要はない。一応、どんな動物にでも効く、クマ撃退スプレーを持ってきてるけど、突進してきたら時間的に隠れるしかないだろう」  渡しておくよ、と相沢さんは、わたしと龍司にスプレーをくれた。 「シカやイノシシに異変があるか、遠目から確かめてくれたらいいんだ。もし可能なら、解決してもらえるとありがたいけど、無理はしないでほしい。安全を第一に」 「わかった」  わたしはうなずいた。  そうだ、相手は凶暴になっている野生動物なんだ。  スプレーを持ちながら、わたしは今さらながら緊張してきた。 《スズ香》  呼ばれて、わたしは子ギツネのようなシロガネに目を向けた。 《なんだかこの山、おかしいわよ》 「うん。わたしも、そんな気がしていたところ」  わたしは小声でシロガネに返事をした。  この山は標高三百メートルくらいで、それほど高くない。その真ん中あたりまでのぼってきたはずなのだけど、急に山の空気が変わった。乾いているというか、ヒリヒリするというか。  龍司も気づいているようで、眉根をよせて周囲を警戒しているようだった。  ――森が、妙に静かだった。 「そっか」  さっきまでうるさいくらいに聞こえていた、セミや鳥の声がしなくなったんだ。  わたしたちが歩く音と、息遣いだけが聞こえていた。 「なにか、いる」  相沢さんが小声で言った。  周囲はわたしたちの身長くらいあるような草があちこちにはえていて、視界が悪い。  そのとき。  カサカサ、と草が揺れた。  そう思った次の瞬間、茶色っぽい影が飛び出してきた。 「ええっ」  一直線にわたしに向かってくる。  イノシシだ!  あまりに速くて、わたしは動けなかった。  どうしよう、避けられない。  わたしはぎゅっと目をつむった。 「あぶねえ!」  龍司の声が近くでしたかと思ったら、すぐに体に衝撃が走った。  ……でも、痛くない。  目を開けたら、わたしは龍司と一緒に倒れていた。  龍司がイノシシを避けてくれたんだ。  そのまま抱きしめてくれたから、わたしは痛くなかった。  でも。 「龍司、血が出てる!」  龍司の腕や足が、土で汚れて、擦り傷から出血していた。 「こんなの、ツバつけときゃ治る」  龍司はわたしを抱えたまま、上半身を起こした。 「スズ香、ケガしなかったか?」 「龍司がかばってくれたのに、わたしがケガしてるわけないよ。ごめんね、わたしが動けなかったから」  どうしていいのかわからなくて、わたしは泣きそうになった。 「いいよ。おまえが運動オンチなのは、わかってるからさ」  そう言って、龍司はニッと笑った。 「もう、一言多いんだから」  わたしは泣き笑いになる。  いっぱい血が出てる。ぜったいに痛いはずなのに、龍司はぜんぜん顔に出さない。  ありがとう、龍司。 「それより、見ろよ」  龍司が素早く周囲に視線を走らせる。 「……な、なにこれ」  いつの間にかわたしたちは、イノシシやシカに囲まれていた。シカはもちろん、イノシシもわたしの体よりも大きくて、迫力がある。  それに、目が不気味に光っていた。  やっぱり、普通じゃない。 「じりじりと輪を狭めてきてる。警戒心が強くておくびょうな野生動物が、こんな行動をとるはずがない。どうしたら、こうなるんだ」  相沢さんも青ざめながら、動物たちを見ている。 「そうだ、さっき相沢さんがくれた撃退スプレーを使おうよ」  対象の動物がこんなに近くにいて、しかも止まっている。まさに今が使い時だよね! 「顔を狙うんだ。スプレーはかなり強力だから、自分にかからないように注意して」 「わかった!」  相沢さんに返事をして、もう五メートルくらいまで輪を縮めてきたシカたちに向かってスプレーを吹きかけた。  プシューーーッ!   音を立てて、白い煙が動物にかかる。 「やった?」  もくもくとした煙が消えてなくなると……。  へっちゃらそうなシカたちが、まだそこにいた。 「おいカヲル、これ効かねえじゃねえか!」 「そんなばかな。クマだって逃げる威力なんだぞ、こいつらがおかしいんだ」 「ちょっとちょっと二人とも、動物が怒っちゃってるよ!」  イノシシなんて低く唸っていて、今にも飛びかかってきそう。  イノシシの牙で突かれても、シカに蹴り上げられても、大ケガをしてしまうに違いない。 「どうしよう、逃げ道はないよ」  そう言っている間に、動物たちが突進し始めた。 《龍司、その子を抱き上げなさい》  シロガネが龍司にするどく指示をした。 「カヲルを? なんで?」 《いいから早く!》  その声と同時に、シロガネが巨大なキツネの姿になった。そしてわたしたちを背中に乗せて、空に飛びあがる。 《しっかりつかまって!》  シロガネは木よりも高く飛んだ。  下を見ると、わたしたちが立っていた場所で、動物たちが頭をゴッツンとぶつけて痛そうにしている。ちょっとかわいそう。 「スゲーなシロガネ。おまえって変身して、しかも空を飛べるんだな!」  龍司は相沢さんを抱えたまま興奮している。 「ありがとうシロガネ、助かったよ」 《どういたしまして》  シロガネは上空にゆったりと浮いていた。山全体を見渡せるくらい高い。 「ちょっ、な、なんだこれ、なんで空に浮いてるんだよっ」  めずらしく相沢さんが慌てふためいていた。  それはそうだよね、空を飛んでるんだから。普通じゃありえない。 「相沢さんには見えないよね。今わたしたちは、シロガネに乗ってるんだよ」 「シロガネって、なに?」  おびえたようにそう言いながら、相沢さんは龍司にしっかりとしがみついている。  シロガネが見えないってことは、なにもないのにわたしたち三人がふわふわ浮いているように感じているんだろうね。  それにきっと、龍司がちゃんと抱えていないと、相沢さんは落ちちゃうんだろうな。空の上は気持ちいいけど、危ないから早く降りないとね。 「シロガネは、うちの神社の神使なんだよ」 「シンシ?」 「神さまの使いと書いて、神使だよ。シロガネは狛狐なんだ、うちは稲荷神社だからね」  コンゴウとシロガネは対の神使で、もう何百年もうちの神社を守ってくれているんだって。  本来は今みたいに、ゾウよりも大きな体をしているの。だけど大きすぎるから、手のひらサイズになって、わたしと一緒にいてくれるんだよ。  小さいシロガネたちもかわいくて好きだけど、今みたいに大きくなると、キツネというよりオオカミみたいにりりしくて、すごくカッコいいんだ。 「久しぶりの、大きなシロガネだあ」 《ウフフ、くすぐったいわよ》  わたしはシロガネの太い首に抱きついて、全身で銀色のふさふさを楽しんだ。やっぱり気持ちがいいなあ。 「結局さ、動物だけが変っていうより、山自体がおかしかったよな」  龍司は山を見下ろしながら言った。 「確かに、途中から虫や鳥の声がしなくなったからね」  あんなに取り乱していたのがウソのように、相沢さんは片腕だけ龍司の肩に回して、落ち着いたようすで景色を眺めている。もうこの状況に慣れちゃったみたい。 「あれ? ねえねえ、山の頂上あたりに、お社があるよね」  わたしは二人を振り返った。森の色と同じ緑の屋根だからわかりづらい。それに、あまり大きくない。車の半分くらいかな?  相沢さんは首をかしげた。 「何度かこの山に入ったことがあるけど、お社があるなんて知らなかったな」 「おい、なんか、屋根が壊れてねえか?」 「ホントだっ」  緑の屋根瓦の一部が崩れ落ちていて、下地の木も折れちゃってる。 「お社の隣りに、倒れた木があるね。おそらく、梅雨の大雨で地面がゆるんで、倒れた木がお社に当たったんだろう」  そう言った相沢さんの言葉に、シロガネがうなずいた。 《山神さまが怒っているのかもしれないわね》 「山神さま?」 《そうよ。山神さまは、山の動物たちを守り、森を守っているのよ。それなのに、山の動物を狩るだけじゃなく、壊れたお社を放っておくんだもの。怒るのも当然かもしれないわね》  わたしはシロガネの声が聞こえない相沢さんに、同じことを伝えた。すると、相沢さんは表情をくもらせた。 「わたしたちは遊びでやっているわけじゃない。害獣が増えすぎないように調整しているだけだよ。狩猟の時期も決まってる」  狩りをするのは、基本的には冬だけなんだって。 《人間の作ったルールなんて、神さまに通用しないわよ。でも、節度を守っているうちは、黙っていたんじゃないかしら》 「じゃあ、お社を直せばいいのかな?」 《そうね、それが礼儀というものよ。自然にも感謝するように》  その言葉を告げると、相沢さんはうなずいた。 「父に伝えるよ」 「おいスズ香、あそこを見ろよ」  龍司は今入ったのとは別の、もう少し高い山のふもとを指さした。 「トンネル? ロープがはってあるね、使われてないトンネルなのかな?」 「そうだよ、封鎖されてる。通称は『おばけトンネル』。おばけが出るって噂で、最近人気の心霊スポットなんだよ」  相沢さんが解説してくれた。 「へえ、カヲルがそんなことに詳しいなんて、意外だな。おまえって、オカルト系が好きなのか?」 「まさか、チームメイトに行こうって誘われただけ。断ったけどね」 「そいつらにも行くなって言っとけよ。ヤバイ感じがする。スズ香も感じるだろ?」 「確かに、悪い幽霊がいっぱい集まってそうだね」  ずいぶんと離れているのに感じるって、よっぽど強いってことだよ。そんなところに遊びに行くなんて、みんなだいじょうぶなのかな。 「立ち入り禁止にしたって入るヤツはいるだろうけどさ。せめておれたちの知り合いだけでも、近づかせないようにしたほうがいいな」  そんな話をしながら、シロガネに山のふもとで降ろしてもらった。  また車で迎えに来てもらうために、相沢さんはお父さんに電話をかけはじめた。  その間に、わたしは龍司のケガの汚れをペットボトルの水で洗って、タオルを巻いた。 「大げさだな、そのままで平気なのに」 「ばい菌が入っちゃうでしょ」  龍司はおとなしくしていたけど、やっぱり痛いようで、眉間にしわを寄せていた。 「本当にありがとう。龍司が助けてくれなかったら、どうなってたかわからないよ」 「もういいっつってんだろ」  龍司は怒ったような顔をして、ぷいっと顔をそむけた。ちょっと顔が赤くなってる。  恥ずかしいから本人には言わないけど。  さっきの龍司、すごくカッコよかったよ。  数日後。  昼休みに、相沢さんに呼ばれて廊下に出た。何人かの女の子たちが、チラチラとこちらを見ていた。相沢さんって、やっぱり人気あるなあ。 「あのあと山のお社を直して、スズ香の神社に頼んで、神事っての? やってもらったらさ、シカやイノシシが元に戻ったって」 「へえ、え、えっと」  相沢さんに名前で呼ばれたのが気になって、うまく相づちが打てなかった。 「どうした?」 「あの、名前……」 「ああ」  相沢さんはクスリと笑った。 「あんな体験を一緒にしたんだからさ、あたしたちは友達だろ?」 「友達っ?」  心臓が飛び跳ねて、ドキドキする。 《スズ香、初めての友達なんじゃないか?》  肩にいるコンゴウがわたしをからかってくるけれど、嬉しくてほとんど耳に入らない。 「スズ香も名前で呼んでよ」 「相沢さんのことを?」 「うん」  相沢さんは切れ長の瞳で、黙ってわたしを見つめている。呼ばれるのを待っているみたい。 「あの、カヲル、ちゃん」 「呼び捨てでいいよ」 「カ、カヲ……」  名前を呼ぶだけなのに、なんだか、ものすごく恥ずかしい。 「急にはムリ! 家で練習してくる!」 「うん、頑張って」  相沢さんは楽しそうに笑った。 「これからスズ香の言うことは、全部信じるから」 「えっ、どうして?」 「空飛んじゃったらさ、見えなくても信じざるを得ないよ」 「ふふっ、そうかも」  相沢さんが冗談めかして言うから、わたしも笑ってしまった。  わたしに、ステキな友達ができた。
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