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7 巨大な霊との戦い!
「さっきと、幽霊の質が変わったね」
わたしたちは暗く狭い道を、警戒しながら進んだ。
柵を越えるまでは、どちらかといえばいたずらっ子の妖怪とか、ただ漂っている魂のようなものが多かった。
でも、今は違う。
明確に、悪意を向けられている。
こうして歩いているだけなのに、肌がヒリヒリするよ。
「あれ?」
どす黒い悪意が蔓延しているなかで、質の違う霊がいた。
ほのかに白く浮かび上がっている姿は、三十代後半くらいの男性と女性だった。寄り添っているから、夫婦なのかもしれない。
見ているうちに、ふっと姿を消してしまった。
なんだったんだろう。ちょっと気になるな。
懐中電灯のライトに浮かび上がる道は、相変わらずガタガタとしている。右側はのぼりの斜面になっていて、左側は崖だった。
「落ちたらひとたまりもねえだろうな」
「そうだね。注意しないと」
出遅れたので早歩きをしていたのだけれど、前方に、何人か座っている生徒がいた。
「どうしたの?」
「このコ、気分が悪くなっちゃって」
五年生の女の子は、真っ青になっている。
「これだけ霊がいりゃあな、霊に敏感なやつは、見えなくたって気分が悪くなって当然だ」
龍司は周囲を見回しながら、いまいましそうに言った。暗闇に黒い影が飛び交っている。
「歩ける? さっきの柵から出たら、だいぶ良くなると思うんだけど」
わたしが声をかけると、女の子はうなずいた。
「頑張ってみる」
友達二人が、気分の悪い女の子を支えるようにして戻っていった。
気分が悪くなっている何組かに同じように指導して進んでいると、歓声が聞こえてきた。
「先頭がトンネルにたどり着いたようだな」
「あたしたちも急ごう」
走り出した二人に、わたしも続いた。
霊が多すぎてむせそうになる。霊が体を通過するたびに、凍るように冷えた。
なんでみんな平気なんだろう。こんなところ、一秒だっていたくないよ。
「スズ香、だいじょうぶか?」
龍司が走りながらも、肩越しに振り返って声をかけてくれた。
「うん、平気」
わたしは強がった。今は怖がっている場合じゃないもんね。
「まず記念撮影だな。心霊写真、撮れるかな」
「トンネルの中に入ってみようぜ」
そんな声が聞こえてくる。うわさの心霊スポットにたどり着いたことで、みんな興奮しているようだった。
「あれって、しめ縄?」
わたしは龍司に確認する。
「そうみたいだな」
トンネルの入り口をさえぎっているものは、空からはただのロープに見えたけど、よく見ると二本の縄がねじりあって編まれていた。
「しめ縄なら、なんなの?」
カヲルは走り続けながら、わたしに聞いた。
「しめ縄には、不浄なものの侵入を防ぐ結界の役割があるの」
「つまり、トンネルの中に、ヤベーのがいるかもしれないってことだよ」
「まずいね。トンネルに入ろうとしているヤツらを止めないと!」
カヲルは走るスピードをあげた。うわっ、すごい速い!
「おい、入るな!」
カヲルの声は聞こえているはずだけど、トンネルに入ろうとする人たちの動きは止まらない。
「この縄、邪魔だな。取っちまおうぜ」
「それに触るな!」
カヲルが制止するのも聞かず、クラスメイトの一人が、しめ縄を外してしまった。
「なんてこと」
わたしはこぶしをにぎった。みんな、軽率すぎるよ!
ううん、わたしがもっと真剣にみんなを説得していればよかったんだ。それが見えるわたしの役割だったのに。
「きゃあっ」
「なんだ今の風は」
みんなが口々に驚きの声をあげる。
トンネルの内側から外に向かって、激しい風が吹き出した。
……ように、クラスメイトたちには感じたはず。
「これが見えないなんて、うらやましい……」
わたしはひざをついた。
トンネルの中から、家よりも大きな黒いカタマリが飛び出した。
月を隠すように浮かんだその表面は、ぼこり、ぼこりとうごめいて、よく見るとそれは、手や足、そして人の顔のかたちをしていた。
――これは、たくさんの人の集合体なんだ。
こんな大変なものを、解き放ってしまった……。
どうすればいいんだろう。
《スズ香、ぼうっとしている時間はないわよ》
シロガネの声にはっとすると、「動けない!」という声が、あちこちから聞こえてきた。
周囲を見回すと、みんな中途半端なポーズのまま、動きをとめていた。口は動かせるみたいで、それぞれ戸惑いの声をあげている。
「みんな、どうしたの?」
「わからない。急に金縛りにあったように動けなくなったんだ」
止まっているカヲルが、視線だけわたしに向けて答えた。
「おれは動ける。あのでっかいバケモノの仕業だろ。動きをとめて、どうしようってんだ」
龍司がそう言うと、
「ぼくも動けるよ」
と、悠一郎くんが走ってきた。虹色のオーラを嫌っているようで、周辺を埋め尽くすほどたくさんいる黒い霊たちは、悠一郎くんを避けている。
「どうやら動けるのは、おれたち三人だけらしいな」
「あと、コンゴウとシロガネね」
わたしはつけたした。
「ヤダッ! なにこれっ。体が勝手に動くわ!」
そう叫んだのは麗子ちゃんだ。
「ぜんぜん、体がいうことをきかない」
止まっていたクラスメイトたちが、今度は同じ方向にゆっくりと歩きだした。ふらふらとしていて、なんだか映画のゾンビみたい。
向かっている先はトンネルの左側。
そっちにあるのは、崖だ!
「そのまま行ったら、みんな崖から落ちちゃうよ!」
「あのバケモノ、集団自殺でもさせようっていうのか」
龍司は舌打ちをした。
「くっ、どうなっているんだ、これは」
カヲルも動き出してしまった。
「カヲルちゃん」
近くにいた悠一郎くんが、カヲルの腕を掴んだ。
「あっ」
カクンと、カヲルはひざをついた。
カヲルの体から、黒い霊が抜けていく。
「……体が、自由に動かせるようになった」
カヲルは不思議そうに、手を握ったり開いたりしている。
「そうか、霊に体を乗っ取られていたんだよ! 今、霊が抜けていくのが見えた」
わたしは手を打った。
「霊は悠一郎くんの近くにはいられない。その悠一郎くんがカヲルの腕をつかんだから、霊が嫌がって体から出て行ったんだ」
「じゃあ、ぼくはみんなにタッチしていけばいいんだね」
「そう簡単じゃねえだろ。一度出て行っても、悠一郎から離れたら、また霊が入ってくるはずだ」
龍司の言葉に、「なるほど」と悠一郎くんはうなずいた。
「じゃあぼくは、できるだけ多く人と接したまま待機する。それでいいかな?」
「ああ、頼む。いま、崖に一番近いやつらから連れ出してくれよ」
「了解」
悠一郎くんはカヲルの腕を掴んだまま走り出した。カヲルがこちらを振り向いた。
「スズ香、頑張れ! 力になれなくてごめん!」
「そんなことない、ありがとうカヲル!」
わたしは手を振ってから、鞄からコンパクトオオヌサを取り出した。シャキンッと、サカキでできた棒を伸ばす。
「わたしたちは、除霊タイムだね」
「ああ、一人も崖から落ちないようにしないとな」
《オレたちも手伝おう》
《そのために来たんだものね》
コンゴウたちは、本来の大きなキツネの姿になった。
《こんなに暗くては、動きづらいだろう。まずは、光をやろう》
コンゴウの体が金色に輝きだした。この辺り一帯が、コンゴウの光で照らされる。突然、周囲が明るくなったので、みんなは「おおっ」と驚きの声を上げながら、まぶしそうに目を細めている。
《じゃあワタシは、この無数にいる悪霊の数を減らしていこうかしらね》
シロガネが跳躍すると、その軌道の霊が一掃された。
「やっぱ、おまえんところの神使はすげえな」
「へへ、でしょ」
コンゴウとシロガネを褒められると、自分のことのように嬉しい。
「っと、のんびりしている場合じゃないよね。みんなの体から、霊を消し去らないと!」
わたしは、崖に向かってふらふらと歩く麗子ちゃんに向けて、オオヌサを振った。
「祓えたまえ、清めたまえ。悪い霊よ、麗子ちゃんの体から出て行って!」
すると、歩いていた麗子ちゃんの足が止まって、カクリとひざをついた。
「動く。やっと自分で体を動かせるわ。怖かった……!」
麗子ちゃんは半泣きになっている。
「麗子ちゃん、悠一郎くんの傍なら安全だよ」
「わかった」
麗子ちゃんは返事をしたものの、動かなかった。
「また動けなくなっちゃった?」
「ううん。……スズ香」
「どうしたの? あらたまって」
麗子ちゃん眉を上げて目の下を赤く染めながら、スカートを強く握った。
「このまえは、ウソつきって言ってごめんなさい。……あと、助けてくれてありがとう。それだけよ!」
麗子ちゃんは悠一郎くんのいるほうに走っていった。
「麗子ちゃんに、謝られた」
初めてかもしれない。よほど、体を乗っ取られたのが怖かったんだろうな。
「よし、じゃあ次も……あっ」
歩き出そうとしたら、足が動かずに転んでしまった。
「イタタ、草がからまったのかな?」
そう思ってよく見ると、わたしの足首を、誰かが掴んでいた。
そう気づいた時には、いくつもの手が伸びてきて、地面に押さえ込まれて動けなくなってしまった。
「きゃあっ、離してっ」
わたしを押さえているのは、クラスメイトたちだった。
「ごめんね、冬月さん」
「なぜか、体が勝手に動くんだよ」
なんとか抜け出そうとするけれど、抑え込む力が強すぎて、どうにもならない。
こうしている間にも、誰かが崖から落ちちゃうかもしれないのに!
「スズ香!」
龍司が走りながら、両手をパンと合わせて、中指を高く組んだ印をつくった。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん!」
一瞬、印のかたちの指が光ったかと思ったら、わたしを押さえつけている力がゆるんだ。
「だいじょうぶか、スズ香」
龍司に手を引かれて起こされた。龍司が心配そうな表情でみつめてくる。
「うん、ありがとう。助かったよ」
なんだか最近、龍司に助けられてばかりだね。
「おまえら、もう体を動かせるんだろ?」
「おう、ありがとな龍司。今のスゲーな!」
「動けるなら、悠一郎のところに避難しとけよ。……って、そろそろ悠一郎も定員オーバーかな」
崖から一番離れた斜面の端で待機している悠一郎くんは、みんなに囲まれて姿が見えない。
「数が多すぎてキリがねえぜ。やっぱり、あいつをどうにかしないとな」
龍司が空に目を向ける。そこには巨大な黒いカタマリが、うごめきながら浮いている。
「スズ香、コンゴウかシロガネを貸してくれよ。おれが行って消してくる」
「わたしが行きたい。龍司じゃ消滅させちゃうでしょ? わたし、浄化させたいの」
わたしも空を見上げた。
「あれはきっと、トンネルで事故死した人たちの魂だよ」
どす黒い怨念の裏では。
本来あるべき場所に、戻りたい。帰りたい。
そう叫んで、悲しんでいるようにも感じる。
「あんなデカいのに、力の加減なんてできるのかよ。危ねえぞ」
「やってみる。これがあるから、きっとだいじょうぶだよ」
お祓いの力を増幅してくれる、オオヌサ。
「わかった、任せる。気をつけろよ、スズ香」
「うん。龍司も、こっちをお願いね。まだ霊に体を乗っ取られている人が、何人もいるみたいだから」
「こんなことなら、少人数制にすればよかったよな。じゃあな!」
冗談めかした龍司は、わたしの腕をぽんと叩いて走り出した。
よし、わたしも行かなきゃ。
「シロガネ!」
呼ぶと、悪霊を蹴散らしていたシロガネが颯爽とやってきた。
「シロガネ、わたしをあそこに連れて行って」
わたしは空に浮かぶ黒いカタマリを指さした。
《わかったわ。しっかりつかまって》
乗りやすく伏せてくれたシロガネの背中にまたがった。わたしを乗せたシロガネは、空高く舞い上がる。
龍司にはああ言ったけど……。
さすがに、家みたいに大きな霊を相手にするのは初めてだよ。
やっぱり、怖い。
わたしはシロガネの銀色の毛を、ぎゅっと握った。
《だいじょうぶよ。スズ香なら、きっとうまくいくわ》
「ありがとう、シロガネ」
この山の頂上よりも高い位置で、黒いカタマリと並ぶ。
近くに来ると、蠢いている体の部位がはっきりと見えた。やっぱり、ブキミだ。
声もよく聞こえる。
甲高い笑い声。大人の男性の低い声。赤ちゃんみたいな声。たくさんの声が重なっている。
《食ってやる》
《取り込んでやる》
《おまえもこちらへ来い》
そんな表面の怨念のこもった声の隙間から、
《淋しいよ……》
《痛いよ……》
《怖いよ……》
そんな、男の子のかぼそい声が聞こえる。
その男の子だけが、異質に感じた。
「この集合体の核にいるのは、この男の子なんじゃないかな」
《そうかもしれないわね》
男の子はおびえて、淋しがっている。
やっぱり、わたしが来て正解だった。あの男の子を救いたい。
わたしはオオヌサを構えた。
「祓えたま……あっ」
唱えている途中で、カタマリから腕が伸びてきた。長く長く伸びて、わたしの首を掴む。
「苦しい……!」
《スズ香ッ》
シロガネがシッポでその腕を払う。
すぐにまた、いくつもの手が襲いかかってきた。
シロガネが逃げ回ってくれる代わりに、わたしはシロガネにしがみつくことしかできなくなった。
どうしよう、これじゃあ、浄化するどころじゃないよ。
黒いカタマリは、ボコリと一部が分裂して、車くらいの大きさになって飛び掛かってきた。
「祓えたまえ!」
わたしはオオヌサを使って、なんとかカタマリを跳ね返した。
本体から無数の手も伸びていて、それにシロガネが対応しているなか、またボコリと分裂した新たなカタマリが襲ってきた。
わたしはバランスを崩していて、オオヌサを構えられなかった。
カタマリは、ボコボコと体の部位を飛び出させながら、いくつもの奇声を発して近づいてくる。
ダメ、このままじゃ祓えない!
ぶつかる! と思った時、
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん!」
声がしたかと思ったら、すぐ近くに来ていたカタマリが消滅した。
「龍司!」
龍司がコンゴウに乗って来てくれた。
「苦戦しているようだったから、加勢に来たぜ。下の方はひと段落ついたから」
コンゴウが霊を蹴散らしながら、悠一郎くんの能力もいかして、みんなを柵の外に誘導できたみたい。よかった!
「ありがとう。一人じゃもう、どうしようもなくなってたんだ」
心強くて、ちょっと泣きそうだよ。
「安心するのは早いだろ。おれがアレの動きを止めるから、スズ香は浄化させろよ」
「うん、わかった」
龍司が、さっきとはまた違う印をつくり、真言を唱えると、大きいカタマリの動きが鈍くなった。腕も伸びてこない。さすが龍司!
「スズ香、今だ!」
わたしはオオヌサを両手で持って構えた。気持ちを集中させる。
そして唱えようとしたとき、背後から気配がした。
振り返ると、さっきわたしが弾いた、分裂したカタマリが襲ってきていた。
わたしはあわてて、オオヌサをそちらに振った。
すると、そのカタマリが消滅した代わりに、オオヌサの上半分が折れて、崖の奥底に落ちていった。
「ウソ、オオヌサが、壊れちゃった」
手に残っているのは、サカキの棒だけ。
「これじゃ、とても浄化なんてできないよ」
「どうするんだ、このデカいの。おれが調伏してやろうか。できるかは、やってみなきゃわからねえけど」
「待って! この中に男の子がいるんだよ。助けたいよ」
たぶん、表面についた悪霊の奥には、男の子以外にも、囚われてしまったいくつもの魂が眠っているのだと思う。
そのすべての魂を解放したい。
だけどもう、わたしにはその力がないんだ。
オオヌサが壊れちゃったから……。
「スズ香、その棒の先にあった白い紙があれば、なんとかなるのか?」
「うん、紙垂があれば、きっと……」
家に取りに戻っている時間はない。その間にこの悪意のカタマリは移動してしまって、悪さをしてしまうかもしれないのだから。
だったら今、龍司に消してもらったほうがいいのかもしれない。
そんなこと、したくないけど。
恵美ちゃんのときみたいに、笑顔で行くべき場所に行ってほしいけれど。
ごめんね、救ってあげられなくて……。
「スズ香、おまえの頭についてるのはなんだ」
「えっ、わたしの頭って?」
「手を当ててみろよ」
わたしは頭を触ってみた。カサリと紙の感触がする。
「あっ……」
「髪を結ってるその紙、特別なものだって言ってなかったか?」
混乱していて、思いつかなかった。
そうだ、わたしはいつも、紙垂を身につけていたんだ。
「なんとか、なるかも」
ううん、絶対に、なんとかしなきゃ!
わたしは紙垂を外した。ハーフアップにしていた髪が、さらりと広がる。
紙垂を棒の先につけた。
サカキは短くなっちゃったし、紙垂の量だって、全然足りない。
だけど気持ちを込めれば、きっと神さまに届くはず!
わたしは深呼吸をして、目を閉じた。両手で持ったオオヌサに意識を集中させる。
「祓えたまい、清めたまえ、神(かむ)ながら守りたまい、幸(さきわ)えたまえ。……お願い、みんなを開放して」
周囲がぱあっと明るくなった。
怨念の黒いカタマリの表面が、溶けるように消えていく。
そして――。
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