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8 思いがけない再会
怨念で覆われていた黒いカタマリの表面が解け落ちると、白い人型の魂が、たくさん閉じ込められていた。
その中に、七歳くらいの男の子の姿を見つけた。
「あっ……」
わたしの中に、映像が流れ込んでくる。
きっと、この子の記憶だ。
* * *
タカシは、今日という日を待ちわびていた。
何度も両親にねだってねだって、やっと連れて行ってもらえることになった遊園地。
「だって、ぼくだけ行ったことがないんだもん。恥ずかしいよ」
両親は共働きで忙しいことはわかっていたけれど、それとこれとは別の話。
本当は連れて行ってほしい場所も、買ってもらいたいものも、もっとたくさんある。だけど我慢しているのだ。
そして夏休みのある日、やっと遊園地に連れて行ってもらえることになったのだった。
「高速は事故で渋滞だな。仕方がない、下道を走るか」
運転をしている父親は、チッと舌打ちをする。
「やだ、イライラしないでよ」
「わかってるけど、やりかけの仕事が気になってな。この時間があれば……」
「そんなの、私だって同じよ。今日は仕事のことは忘れることに決めたでしょ」
「そうだな。家族で出かけるなんて、ずいぶんと久しぶりだ」
「いつもタカシに淋しい思いをさせているぶん、今日は楽しませてあげなきゃ」
「ああ」
前の席で両親の会話は、車の風切り音でタカシの耳には入らない。
タカシの心はすでに、遊園地にある。
遊園地に着いたら、なにに乗ろうかな。
まずはジェットコースターに乗りたい。
それから――。
窓から見える景色は、森林になっていた。
道は上り坂で、道路の状態があまりよくないらしく、車がガタガタと揺さぶられる。
シュンッと音がして、一気に暗くなった。
トンネルに入ったのだ。
対向車が、タカシの乗る車のギリギリを通過していった。風圧で車が揺れる。
「おいおい、危ないな。カーブがきついのに、そんなに飛ばすなよ。センターラインをはみ出してきてるじゃないか」
「いやねえ。道が狭いから、これ以上左に寄れないわよ」
「まあ、ラインオーバーしてくるやつなんて、そうそう……」
タカシに突然、衝撃が走った。
聞いたことのない激しいクラッシュ音と、全身の痛み。
対向車とタカシの乗っている車が接触したのだ。それぞれの車は、他の車を巻き込みながらとまった。
後部座席にいたタカシは、フロントガラスを突き破って、道路に投げ出された。
《……ここは?》
タカシは立ち上がった。
暗いトンネルのようだった。
《パパ? ママ? どこにいるの?》
周囲にはなにもなかった。
地面はびしょ濡れになっていて、砕けた車の欠片が散らばり、オイルのにおいが充満している。
《きみは、交通事故にあったんだ》
タカシは声をかけられた。
声の方に顔を向けると、トンネルの壁もたれて座る男性がいた。
よく見るとトンネル内には、男の人のような黒っぽい影が、いくつもあった。
《きみは即死だった。でもきみの両親は息があったから、救急車で運ばれていったよ。だからここにはいないんだ》
《ソクシ? ぼくは、死んじゃったの?》
その影はうなずいた。
《パパとママは、生きてるの?》
《さあね。わたしたちは、このトンネルから出られないから、わからないよ》
《パパとママのところに行きたい》
《言っただろう、ここからは出られないんだ》
タカシは、その場にしゃがみこんだ。
自分が遊園地に行きたいと言い出さなければ、こんなことにならなかったかもしれない。
《パパ、ママ、どこ……? 淋しいよ……》
《淋しくないよ》
どこからか、声がする。
《淋しくなんてない》
《ここにいれば、どんどん仲間が増える》
《きみが来たようにね》
そう言われたって、淋しいよ。
《もっとそばに来て。もっと……》
タカシたちは融合して、だんだんと膨らんでいった……。
* * *
「タカシくん、っていうんだね」
わたしが声をかけると、身を丸めていた男の子が顔を上げた。眉がしっかりとした、活発そうな顔をしている。
「淋しすぎて、人恋しくて、トンネル内の幽霊たちと、ひとカタマリになっていったんだね」
そして、古くから残るトンネル内の怨念と結びついて、悪霊化してしまったのかもしれない。
《タカシ》
後ろから、男の子を呼ぶ声がした。
目を向けると、そこには夫婦らしい男女の霊がいた。
「この二人……」
わたしには見覚えがあった。トンネルに向かっている途中で、雰囲気が違うなと思って見ていた二人だ。
《タカシ、会いたかった》
《ここにいるのはわかっていたけど、どうしてもトンネルの中に入れなかったんだ》
男の子はびっくりしたように、目を見開いた。
《パパ! ママ!》
大粒の涙を流しながら、タカシくんは二人に抱きついた。
《もう会えないかと思ってた!》
《長い間一人にさせて、ごめんな》
《これからはずっと、三人一緒だからね》
《うん!》
タカシくんがこちらに振り返った。瞳は涙にぬれているけれど、満面の笑みを浮かべている。
「お姉ちゃんたち、ありがとう!」
両親も深く頭を下げると、三人手をつないで、姿を消した。解放されたそのほかの魂たちも、それぞれの場所に消えていく。
「よかったね、タカシくん」
わたしは家族三人そろった後ろ姿を、うらやましく思いながら見送った。
お父さん、お母さん。
幽霊でいいから、わたしも会いたいよ。
幼いころに突然失ったお父さんたちを思い出して、涙が込み上げてきた。
「どうした、スズ香」
気づいたら、龍司が心配そうにこっちを見ていた。わたしはぷるぷると首を振って、笑顔をつくる。
「なんでもないよっ」
「なんでもないって顔じゃなかったけど」
「ほっとして、気がゆるんでただけ」
「なら、いいけどさ」
まだ龍司はあやしんでいるみたいなので、わたしは元気に声を張り上げた。
「一時はどうなるかと思ったよね! 龍司が助けてくれたおかげだよ。これにて一件落着!」
「これで、おばけトンネルから心霊現象はなくなりそうだな」
わたしと龍司はそう言いながら、神使たちに地面におろしてもらった。
《スズ香》
女性の声に呼ばれた。
「シロガネ、呼んだ?」
《ワタシじゃないわ》
あれ、じゃあ、誰だろう?
わたしは周囲を見回した。
そして、息が詰まって、動けなくなった。
《久しぶりだね、スズ香》
《こんなに大きくなって》
少し離れた場所から、二人のシルエットが近づいてくる。
……これは本当に現実なの?
こんなことって……。
「お父さんと、お母さん、なの?」
《そうよ。あらやだ、忘れちゃった?》
《しかたがないさ、五年も経っているんだからね》
髪が長くて、清楚で美人なお母さん。
背が高くて、神職姿が似合うお父さん。
穏やかな笑顔を浮かべた二人は、わたしの記憶どおりの姿だった。
忘れるわけない。思い出さなかった日なんて一日もない。
わたしは走って、二人に抱きついた。
「お父さん! お母さん!」
目を開いていられないくらい、あとからあとから、涙があふれてくる。
「どうして会いに来てくれなかったの? わたし、ずっと待ってたんだよ! 毎日毎日、待ってたんだよ!」
わたしには幽霊を見る力があるのだから、きっといつか、お父さんたちが見えるはずだって信じていた。
だけど、いくら時間が経っても、お父さんたちは見えなかった。
《ごめんね、スズ香。お母さんたちも会いに行きたかったんだけど、ここから動けなかったのよ》
《お父さんたちは五年前、このトンネルで事故に巻き込まれたんだ》
「ここで……?」
五年前、わたしは七歳だった。
まだ小さかったかったから、おジイちゃんもおバアちゃんも、事故の詳しい話をしなかった。あとからたずねたりもしたけれど、なにも話してくれなかった。きっとわたしが悲しまないように、気をつかってくれていたんだ。
肝試しでおばけトンネルに行くと言ったとき、おジイちゃんが顔色を変えたのは、お父さんたちの事故現場だったからなんだね。
《ここで命を落とすと、地縛霊の力が強すぎて、トンネルから出られなくなるんだ。そのうちに悪霊と一体になってしまった》
《だからお母さんたちは、スズ香に助けられたのよ》
「わたしに?」
《そうよ、ありがとう、スズ香》
《カッコよかったぞ。お父さんは鼻が高い》
「そうかな、エヘヘ」
お父さんとお母さんに抱きしめられて、頭をなでられる。
わたしはずっと、こうしてもらいたかった。
三人でいられるなら、もうなにもいらない。
《本当に大きくなった。お母さんに似てきたなあ。美人になるぞ。将来モテモテだな。お父さんはな、お母さんを口説くのに苦労したんだ》
《スズ香になにを言ってるの、あなた》
お父さんとお母さんが笑っている。それだけで、わたしも嬉しくなる。
《……さて、そろそろ行かないとな》
「行くって、どこに?」
《死者が行く場所は、決まっているんだよ》
《会えて嬉しかったわ、スズ香》
「ヤダ、行かないで!」
わたしは二人をギュッと抱きしめた。お父さんとお母さんは困った顔をしながら、わたしの頭をなでる。
《これだけはどうにもできない。ごめんな、スズ香》
「だったら、わたしがお父さんたちについて行く!」
わたしは二人を抱きしめる腕に力を込めた。もうこの手は、絶対に離さない。
「もう一人はイヤだよ。わたしも行く! 一人にしないで、一緒に連れて行って!」
泣きじゃくっていると、腕をとられて、引っ張られた。
「ふざけんなよ、スズ香」
振り返ると、龍司の怒った顔がすぐ近くにあった。
「誰が一人なんだよ。よく見てみろよ!」
龍司の後ろには、コンゴウとシロガネがいた。それに複雑そうな顔をしたカヲル、心配そうにしている悠一郎くん、麗子ちゃん。
「死者になんて、ついて行かせねえからな!」
「龍司……」
龍司に掴まれている腕が痛い。それはわたしを連れて行かせまいとする、龍司の意志の強さのようだった。
怒った龍司の顔を見ていたら、だんだん涙がおさまってきた。
《いいお友達を持ったな、スズ香》
お父さんがわたしの頭をなでた。
《だいじょうぶよ、またすぐに会えるわ》
「すぐって、いつ?」
《今は夏だろ》
「夏だからって……あっ!」
来月はお盆。ご先祖様の霊が、この世に戻ってくる期間だ。
《元気でスズ香》
《会えなくても、いつでも見守っているからね》
お父さんとお母さんは名残惜しそうに手を振りながら、消えていった。
「消えちゃった……」
全身の力が空っぽになったように、わたしはその場にくずれた。
「スズ香、だいじょうぶかよ」
龍司がわたしを支えながら、そっと地面に座らせてくれた。
「わかんない。いろいろ、ありすぎちゃって……」
体に力が入らないし、頭も真っ白でなにも考えられない。
「ちょっと休んでから帰ろう。スズ香は大活躍だったからね」
カヲルがとなりに座って、ハンカチでわたしの涙を拭ってくれる。
「スズ香ちゃんってあんな風にも泣くんだって、びっくりしたよ。クラスではあまり感情を出さずに、いつも静かに本を読んでいたからね」
悠一郎くんもわたしの向かいに座った。
「一番驚いたのは、スズ香が空を飛んだことだけどね!」
そう言った麗子ちゃんは、悠一郎くんのとなりに座った。
「おれはショックだったぞ。おまえは、一人だと思ってたんだって」
龍司は目尻の上がった瞳を伏せて、くちびるをかんだ。
「あたしも。すいぶん仲良くなったと思ってたのにさ」
カヲルはすねたような顔で、指先でわたしの頬をつついた。
「ごめん、そういうつもりじゃ、なかったんだけど……」
ずっと待っていたお父さんとお母さんと会えて、もう二度と離れたくなくて。それで……。
「わかってるけどさ」
はあ、と龍司はため息をついた。
「おまえのオヤジさんを越えなきゃいけないのか。もっとスズ香に会いに行かないとな。クラスが違うのがネックだよな」
「えっ」
どういう脈絡で、お父さんを越えるって話になってるんだろう。
それに、じゅうぶん龍司は押しかけてきてるから、これ以上来られても困る。
「あたしも、もっとスズ香をかわいがってあげないとね」
カヲルがわたしの頬をつつきながら、流し目を送ってくる。女の子同士なのに、なんだか、ドギマギしてしまった。
「ぼくは同じクラスだから、スズ香ちゃんが一人にならないように目を配るね」
悠一郎くんは普通の提案でよかった。
「あたしもそうする!」
悠一郎くんに密着できて、ご機嫌な麗子ちゃんはそう言った。
麗子ちゃんは、今日みたいなオソロシイ企画さえ思いつかなければ、それでいいよ!
《スズ香、オレたちのことも忘れるなよ》
《毎日一緒にいるのに、イヤになっちゃうわ》
すねる神使たちに、わたしは「ごめん」と手を合わせた。
コンゴウとシロガネに関しては、家族だと思ってるんだから。さっきのは、本当に言葉のアヤだったんだようっ。
本当に、なんであんなこと言っちゃったんだろうね。
わたしはぜんぜん、一人じゃなかった!
からっぽになっていた体が、温かいもので満たされた。
「みんな、ありがとう。遅くなりすぎないうちに家に帰ろう!」
わたしは立ち上がった。
でも、急に立ち上がったせいで、頭がクラリとしてふらついてしまう。
「スズ香!」
となりに座っていた龍司とカヲルが同時に立ち上がって、両サイドから支えてくれた。
「だいじょうぶかよ」
「急に立ち上がったら危ないよ」
「うん。エヘヘ。ありがとう」
――わたしは、幸せものだな。
イヤな幽霊の気配がなくなった森の坂を、わたしたちはゆっくり下っていった。
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