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「許さない」
と、僕は無意識につぶやいていた。その声がどこかで聞いた声のような気がして、それが自分の声なのだと気づくまで自分の発した声なのだと分からないくらい、無意識だった。
とはいえ、これはいつものことなのだ。ある男にとても嫌なことをされて、傷ついて、それ以来、もうずっとこんなふうにしばしば、許さない、と声に出したり、頭の中で繰り返したりしている。
もう十年以上も前のことだから、周りの友人からは、もう許してあげればいいのに、等と言われることもあるけれど、実際のところ、許すとか許さないとかの問題ではない。
というのは、その男にされたとても嫌なことというのが、実は何なのか、思い出せないからだ。あまりにも嫌だったから記憶から消してしまったのか、それとも本当はそれほど大したことではなかったからあっさり忘れてしまったのか、どちらなのかはわからない。ただ、少なくともその時はそれがものすごく嫌で、それをした相手のことを許せないとものすごく強く思ったのだ。
そしてその時の気持ちがあまりにも強すぎて、最初の数年は、いつまでもそのことを忘れられず、もっと楽しく生きられるはずの時間を無駄にしてしまい、そうしているうちに、その「許さない」という気持ちが、僕の中にこびり付いてしまったのだ。それは剥がそうとしても剥がれなくて、まるで膿んでいるかのように、黒く汚れて僕の中に、今もずっとある。だから今もずっと、「許せない」のだ。
そんなだから、もしその男にいつか再会したらどうなるのだろう、とも思ったりはするのだけれど、幸いなことに、僕は引っ越して、その男と会う機会も無くなったし、だからこうしてたまにつぶやいてしまうのを我慢しさえすれば、何も問題はないだろうと思っていた。
けれど。その男に会うことになったのだ。
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