俺を超えたって?

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 今迄ベーブルースしか成し得なかった、1シーズン二桁本塁打二桁勝利を大谷が104年ぶりに達成しようとしている。で、スポーツジャーナリストらが大谷を讃えれば受けると思ってか、何たって大谷選手は二刀流を続け、それだけでも凄いのにこの活躍ぶりはもうベーブルースを超えちゃいましたねみたいなことを挙って言うのであるが、こんな風に短絡的に軽々しく言えるという事はベーブルースの成績も当時の大リーグの時代背景も少しも調べてないんじゃないかと思う。  ベーブルースは1927年に60本塁打を放って自身のもつ1シーズン最多本塁打記録を更新して本塁打王に輝いたが、その年の1球団平均本塁打数は58というのだから自分一人で1球団分以上の本塁打を打っていた訳で如何にベーブルースが巍然たる選手だったかが分かる。況して二桁本塁打二桁勝利を達成した1918年は、打低投高の時代で飛ばないボール(デッドボール)を使っていたからもっともっと本塁打が出にくく二桁本塁打を打つ選手が全然いない中で野手のレギュラー選手より大分少ない打席数でありながら11本塁打を放って本塁打王に輝いているのだから凄すぎる。  恐らく当時のチームは10試合やって本塁打が1本出れば良い方ではなかったかと思う。ところが、今は打高投低で飛ぶボールを使っていて試合数より本塁打数の方が多いチームが大半だから本塁打が出ない試合は珍しい程である。つまりベーブルースが活躍していた時と大谷が活躍している今とでは月と鼈くらい本塁打の値打ちに差異があるのだ。  それを踏まえていれば、ベーブルースを超えたなぞと言えるものではない。況してベーブルースは1916年、1917年に2年連続20勝以上してレッドソックスを優勝に導き、1916年には防御率1位を獲得するなど押しも押されもせぬ一流投手であったにも拘らず1919年から打撃を極めようと野手に専念し、二桁本塁打を打つのが難しい時代に断トツの29本塁打を放って2年連続本塁打王に輝き、翌1920年にはヤンキースに移籍して54本という他の追随を許さない圧倒的な本数で3年連続本塁打王に輝き、周囲を驚愕させ、そのお騒がせぶりは全く以てアンビリーバブルでファンタスティックな新記録に沸き立ってのことだったから今の大谷の比ではなく、その後も独自のスタイルを貫き、全く力まない自然体の構えからヒッチしてタイミングを取り、アッパー気味に振り出したバットにボールがヒットするインパクト時に全パワーが集中するように体重移動した右足を軸にスパンと振り抜く豪快且つ美しいスイングで本塁打を量産して本塁打王を大リーグ史上最高の12回獲得し、通算714本塁打も驚きだが、通算打率がなんと3割4分2厘という驚異的な数字を残しているのだ。  記録だけでなくその独特のキャラで誰にも愛され、ヤンキース黄金時代の原動力にして立役者となり、予告ホームラン、病気の子と約束したホームラン、バッターボックスで歩きながらホームランを打つなど数々の伝説を残し、大リーグ史上もっとも偉大なスーパーヒーローと言え、それ故、野球の神様と皆から讃美された。それに引き替え、大谷は本塁打王になったこともチームを優勝に導いたことも3割を打ったことすらも一度もない。然るにアメリカのファンも選手もOBも自国の誇るべき宝を閑却して大谷はベーブルースを超えたなぞと調子よく言うのがトレンドのようになっているが、目先のことしか頭にないか、時の人の内に取り入ろうとしているだけで全くそう言うべきではないのである。  嘗て日本でも王貞治選手が715号を打った時、ベーブルースを超えたって大騒ぎして僕も子供だったから只々凄いと納得していたが、飽くまでも日本プロ野球での記録であって大リーグの方が遥かにレベルが上だったのだから全くそう言うべきではなかったのである。  それはそうと大谷もどちらかに絞れば極めることが出来、名選手になれると思うが、投手成績は去年より多少良くなっているものの打撃成績は去年より良くなっているとは言えない。これでは何もタイトルは獲れないだろう。  まだ若いからいいようなものの早くどちらかに専念しないと、二兎を追う者は一兎をも得ずで何れどちらも駄目になってしまうと思う。  だから二刀流を良しとするのはいかがなものかと思う。今後も話題性を重視し、ま、本人はその積もりはないにしても周囲の要求に応えている向きはあるから、その方向で行くとすれば、駄目にならないまでも打撃成績も投手成績も平凡なものに成って行き、こんなもんでも話題になってりゃ良いかという感じになり、妥協を許さない厳しさが生まれないのではないかと思う。  
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