deux

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「ねぇ、アリ。あなた歳を取らないわね。どこの病院に行ってるの? 教えてよ」  投げかけられたその言葉に体が固まってしまう。  仕事を終えた娼婦たちが一斉に帰り支度をする。煙草を咥えた女性たちが各々に支給された薬を飲んだり、精液を体内から取り出したり、と忙しない。ここは違法な売春宿であるが、親切にもシャワーを完備している。狭く衛生的では無いが身体を洗えるだけマシな方だ。  排水溝に鼠が這っているのを横目で見ながら、私はシャワーの水を出す。何人の精子を身体に入れたのか定かではないが、私は他の女性と違いそれを掻き出すことはしない。自分が身籠もれない身体だと知っているからだ。レオナルドでも女性に子を身籠らせる、という神にしか許されなかったことは出来なかったようだ。  シャワー室に入ってきた女性。上向きの綺麗な乳房にピンク色の乳首。そのバストの上、首元を彩るタトゥー。色をふんだんに使ったメイク。ここには沢山の女が在籍しているが、みんなワケありらしくコミュニケーションは一切無い。高級娼婦かストリート娼婦か、その二択しかないフランスで、こんな場所にいる人。もうそれだけでどんな人生を歩んでいるのか想像がつく。  くちゃり、ガムを噛みながら膨らませてはまた噛む。そんな威圧的な彼女は全裸のまま私にそう訊いてきた。悪意は感じられない。純粋に訊いてこられるとそれはそれで返答に困ってしまう。  歳を取らない。不老不死。それは幸せなことなのだろうか。目の前の女性は私が老けないことを羨ましがるが、私のこの継ぎはぎだらけの身体を見て本当に医者にかかっていると思っているのだろうか。1845年にドイツの医師によって行われた鼻の手術が始まりとされる整形。私の身体は整形の失敗に見えるのに。 「無視か」  無視じゃない。ただ答えられないだけ……。そう言いたくなるが、言えずに口を閉じる。私は目の前にいる女性のその問い掛けに答えることができない。今までもこれからもそれについて話せることはない。私は生まれたまま美しい女性から視線を逸らす。答えられない自分が大嫌いだ。こんな姿に生んだ父が嫌いだ。  この薄汚れたシャワー室で水を被る度、鏡が無くてよかったと心底思う。古びたシャワーヘッドから水を捻り出す。温かい湯が出てきたことはない。水圧は弱くなったり強くなったりと忙しい。 ぐぽ、がほ、と水道管から流れる水音が激しく聞こえる。ここに順応するのは早かった。  排水口が視線に入る。下を向いた私の視線には、排水口に他人の陰毛がゆらゆらと絡まり蠢く様が切り取られた。排水口に絡んだ金髪も鮮明に見えた。水は絡んだ髪の毛によってゆっくりと円を描くように排水口に流れていく。出の悪い水、引けの悪い水。 「おい、裏口はどうだ」  シャワーヘッドから水が出てこなくてなった瞬間に聞こえた声。私はゆっくりシャワーを止める。冷えた肌から滴り落ちる水。  ……警察だろうか。
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